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キラキラした部分ばかり見せがちだけど

今日は友人が遊びに来てくれた。同じ大学の別学部に通っていた彼女、ちょっと変わった出会い方をしてから自然と仲良くなり、会う頻度はそこまで多くないのだけれど、会えば結構深く話し込む相手だ。

彼女は「遅くなったけど出産祝いに」と、息子用のコップ(よくある子供用のじゃなくて、大人のお猪口としても使えそうな、おしゃれなやつ)をくれた。

私からは、つい最近入籍したばかりの彼女に、地元の窯元でつくられた平皿をプレゼントした。

そういえば、前回彼女と会ったのは2年前。そのとき彼女は、新たな仕事に挑戦するタイミングだった。そのときはパキラをあげた(花言葉は「快活」「勝利」だそう)。今あの子は新居で元気に育っているんだろうか。彼女が今の仕事を楽しそうにしていて、本当によかったなぁと思う。

友人が家に来るときは、たいてい夫と息子と3人で出迎える。ゲストに息子を抱っこしてもらい、「わ〜可愛い〜」などと褒めてもらい、1〜2時間ほどお茶して解散、という感じ。

子どもが生まれた家庭というのは、なんの疑いようもなく「幸せ」であり、笑顔に溢れている──いや、誰もそんなこと思っていないかもしれないけど、どこかそんなプレッシャーってあるような。だからたとえ直前まで夫との間に不穏な空気が流れていようと、120%の笑顔(自分比)でゲストを迎えるのだった。ま、当然っちゃ当然なんだけど。

ただ今日は、途中で夫が「女子トークどうぞ」と、息子を連れて夕食の買い出しに行った。そこからはもう、幸せな家庭像なんてものは脇に置いておいて、「ただただ本音を吐き出す」という時間だった。

子を産み育てるって、ぜんぜん綺麗事じゃなくて、体力的なしんどさとか、夫との関係が変わってしまうことへの戸惑いとか(変わらん夫婦っておるのかなー、私は自分の変わりようにびっくりしているんだけど)、ゆるく手足を縛られているようなうっすらとした不自由さとか、この子は下手すれば(あるいは関わる人間が悪意を持ってしまえば)簡単に死んでしまう存在であるという、それが大げさでもなんでもなく本当にそうであることの恐怖とか、なんか、わりと慢性的にストレスが溜まっているようで。

そういう諸々を女友達と語らうという、そんな時間がすごく久しぶりな気がして、ちょっと泣きたい気持ちになってしまった。

出産してから、今まで気にならなかった夫の言動にもいちいち突っかかるようになってしまい、小言ババァと化したわ…という話をしたら、新婚ホヤホヤの彼女がすでにそうなっていると言ったので、安心した。そういえば私も最初の1年はイライラしてたな。3ヶ月に一度くらい爆発してたな。イライラ期と平穏期が、今後も繰り返されていくのかもしれんな。

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