『時は飴玉』そこはかとなく日記12/17
ああ、これっていつか終わっちゃうんだ、今だけなんだ、って思うと、今この瞬間を堪らなく愛おしく感じる。
永遠なんてない。輪廻転生があったとしても、地球という星に、この時代に生まれ落ちて、この肉体を有した私として生きられるのは本当にこの一回きりだ。この「私」として、いろんな人たちと関わることができるのはこのたった何十年かだけ。そう考えると、なんだかお年玉をもらって、何に使おうか迷っているような特別な気分。
友だちや恋人と一度離れてしまうと、またご縁を手繰りよせるのは、血縁のあるそれよりもとても難しい。奇跡的に巡り合ったり、別れたりを何度も繰り返す。人間関係というのは、雲が流れるようにいつの間にか変わっている。
いつか流れてしまう雲を目に焼き付けるように、今をよく見つめてみると、余計にぼやけてわからなくなっていく。今っていったいどこからどこまでを指すんだろう。今を指差した瞬間、今はもうそこにいない。どうやっても捕まえられないのに、どうしてかずっと一緒にいる。
追いかけるほど逃げていくのがわかっているから、忘れたくない瞬間には、思い出になる前に何かしら形を与えてあげる。
私はよく詩という形にして残す。その雰囲気にぴたりと合うようなフレーズを下ろしてきて、その時の温度やリズムで組み合わせる。そうして一遍の詩にすると、その場の空気や感情ごと写しとって残しておけるような気がする。
限りあるこの時は、有限だから美しい。だけど私は欲張りだから、またいつか思い出せるように詩に託す。口さみしくなったときに読みかえす。思い出は、舌を飴玉みたいに転がって、口いっぱいに蘇る。甘い思い、苦い思いが胸を焼く。その時を待っている。
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