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それは九種じゃん

この前、プロの音楽家と会う機会があった。特別注意を払わなくても、その人がどう考えても体癖9種でしかなくてすごかった。体癖論を読んだだけの素人だけど、勝手に分析してみる。

彼は幼少期から音楽を始め、学生時代には海外に呼ばれるような実力をつけていたそう。今はもう常人にはわけのわからない場所にいる。

本当にすごいの。その人の音楽を聞いているだけで、余計な緊張がほぐれる、なんだかワクワクする、勝手に身体のパーツが元の場所に戻っていく。生まれ変わるというより、もう一度生まれ直したような感じ。

私の周りで九種かな、と思う人はみんな人当たりがいい。その方も、ものすごく気さくで楽しい人だった。

でも話していて、全然響いてないな〜っていうのがわかる。たぶん耳には入っていて、それなりに返事もしてくれる。でも私から、本人の内側の世界へは何の影響も与えられない。その人の宇宙はその人で完結していて、私はまた別の宇宙なのだ。(九種だし気に入った人は別なんだろうけど笑)

極めつけは、すっとしゃがんだ時の安定感。ぱっと見は普通なんだけど、身がぎっしり詰まっていて、締まった身体をしている。精神と身体の異様な強靭さが、素人目にも伝わってくる。

内側で何かが起こっていて、それを何らかの手段で外側に表現・再現せずにはいられない。他人が聞いても全然わからないし、そもそも一口に説明できるようなことじゃない何かを、ただひたむきに追い求める。そこに他人は関係ない。ただそうやって生みだされたものは、当然みんなに愛される。すぐには理解されないかもしれないけど、いつか必ず評価される。

私も九種が入っているからわかる。

私とその方との圧倒的な違いは、自分の志向する場所に向かって、まっすぐ進めているかどうか。自らの九種性をちゃんと使いこなせているかどうか。

開花のタイミングも形も人それぞれだし、焦っちゃいけないんだけど、ああも見せつけられるとちょっと焦る。私は道草をむしゃむしゃ食べすぎているかもしれない。


どんな占い師にも、サイキックにも、カウンセラーにも必ず「あなたは好きなことを好きなだけやりなさいね」と言われる。

おそらく本当に、やりたいことだけやっていれば幸せになれるタイプなんだろうな。悪く言えば、やりたくないことは絶対に上手くいかないから、やりたいことしかしてはいけない。

私の場合、やりたくないのに言い訳をつけてやろうとしてしまう所がある。

例えば受験勉強。勉強は大好きだけど、試験のためだけのゲームみたいなお勉強は大嫌いだった。嫌で嫌で仕方ないのに、二浪して3年もやった。その間ずっと鬱病だった。嫌なことを続けていたら、生きていることまで嫌になってしまった。

嫌ならすぐやめたら良かったのに、当時はものすごく視野が狭くて、大学に行かなきゃ正気では行きていけないと思っていた。進学校による洗脳教育にまんまとハマっていた。だからやるしかなかった。

苦しいのは怠けている自分のせいだと思っていたから、寝ても覚めてもずっと責めていた。

中学の頃からナルコレプシーという睡眠障害で、授業中も家庭学習でも部活でも移動中でも、ピアノを弾きながらでもすぐ寝てしまっていた。努力がまずできない状況。

しかし性格上、病気だからしょうがない♫ とも思えず、なにか原因を無理矢理にでも自分の中に探してはグリグリと責めていた。私はもともとキツいというか、強いというか、エネルギー過多なので、それがすべて自分への攻撃へと使われていたと思うと、鬱になるのもうなずける。

今思うと「アンタいい加減やめなさいよ」と、病気を通してずっと天からヒントをくれていたんだなと思う。無視してごめんなさい。

でもちょっと酷い。勉強したくて仕方ないのに、寝ても寝ても眠くなるって散々悩んで、変な検査受けて変なクスリ飲みまくってたのに、受験やめたらケロッと治ってしまった。なーんだ。

今は、大学に行くのをやめて、全然関係ない石川県で楽しく暮らしている。フリーでちょこちょこお仕事はもらっているけど、結局のところフリーターだし、この先どうなるかなんて全然わからない。でも、余計な不安やプライドさえ手放せば、いつでもどこでもそれなりに好きなように暮らせるってわかっちゃった。定職なんかつくもんか。

私は何かにハマってのめり込むと、時間も環境も全くわからなくなる。寝なくても食べなくても(お風呂に入らなくても)無限に集中できる。というかしてしまう。人の呼びかけも聞こえない。そしてふっと緊張が解けると、自分が誰で、どこにいるのかを思い出す。

そういう時にこそ、自分らしく生きているなと感じる。何も考えなくても、勝手に動いてしまうそれが、本当にやるべきことなのかもしれない。

自分以外の何かになろうとするのはもうやめた。自分をねじ曲げて何かに組みこもうとしたり、憧れのなにかに嫉妬することもしない。

私の奥の奥のほうにはもう正解がある。そこに被さっているヴェールを一枚ずつめくっていって、それを取り戻せばいいだけだ。

自分に与えられた素質は、意地悪で与えられているわけじゃない。自分に必要なことを学ぶために、自分で選んだ環境であり体質なのだ。

自分と、自分の環境を愛し、運命に誠実に生きていく。

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