フランシス・ベーコンの絵画についての覚書

 フランシス・ベーコンの絵画は、描かれた肉のフォルムの強烈な主張がある。歪められた肖像がかえって対象の「そのもの性」を表現し、ベーコン自身の言葉で言えば、観る者の神経に直接訴えかけてくる。
 それはそれでいいし、ベーコンの絵画は好き(画集や評論本を何冊も買って読んでいるくらいには好きだ)なのだが、ひとつひっかかるのは、ベーコンのそういう絵画には、余白や奥行きがないように思えるという点だ。主張や狙いが明確で鮮烈なため、また、作品を完成させるために何重にも描き加えられているため、観る者が想像で補う余地が残されていない。それが、私には不満である。
 油絵という手法上の問題でもあろうし、また芸術家である以上、作品を完成の域に仕上げなければならないという制約があるのだろうとは思う。しかし、ベーコンの絵画(ベーコンはまだましな方でそれよりもっと描き込まれた作品は無数にある)のようなものを、「なんとなく自分の部屋に飾っておく」気にはなれない。そういう完成された絵画を自分の部屋に飾っておきたいと思うのは、自分のことをいかにもアートがわかる人間だと気取りたいお金持ちや、自分の芸術的センスを他人にひけらかしたい収集家くらいではないだろうか。
 そうではなく、「なんとなく自分の部屋に飾っておきたい」絵というものがあるはずだ。小さいサイズの、シンプルな額縁に入れて、部屋の片隅にぽんと置いておきたい絵。自分の部屋というのは、つまり、自分の心の中の空間だ。心の中の空間には、繊細で、曖昧で、しかし輪郭のある、素描のような、それでいて印象的なイメージがあるはずだ。そういうものを、私は探し、そして、自分でも描いてみようとこころみる。

#エッセイ #絵画 #フランシスベーコン

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