見出し画像

日本鬼子

大学のころ見た、ドキュメント映画の「日本鬼子」(リーベンクイズ)という映画を、Facebookのやり取りで思い出した。
http://www.magazine9.jp/article/kunio/14869/

(きっかけは川崎での事件に対する、SNSでの「死ぬなら一人で…」はやめよう。との呼び掛けから。)

この映画は、教科書では習わない歴史観をありありと、切実に制作されている。映画館から帰る時、世界がグラグラとしていたのを思い出す。

撮影当時、協力した面々が「生きている」ということが私にとっては驚きであった。
心の内がどうあれ、スーパーや駅で会っても当然気がつくことなく「人が作る社会」に、ただ溶け込んでいること。映画がなければ近しい人に知られるのみだったのだろうこと。それは日本社会の取りこぼしではないか。と強く感じた。…私の考えとしては「死刑相当」とかでなく、日本の歴史の証言者としての機能を抹殺していること。(着手には相応の時間を要したからなのであろうが)

日本人が努力して今の社会を作っていることは確か。
しかし、上っ面の正しさや美しさ。効率化する社会だけを求めても、清廉潔白な家計に生まれた人間なんて存在しないことを考えると、副作用が起こるのも合点。

この映画は、本当にひどい。けれど、ひどいことをする人間が、本当に「酷い」のか。
問いかけるドキュメンタリーだと思う。
日本人を集めているが、これは世界各地で人生を狂わせた「戦争」の体験者「その人」一人一人の持つ、人生における悔やみを現している。


猟奇的な行動がおこる「不可思議」の根元を知ろうという時には、俯瞰で歪みを見なければならない。



余談になるが、
先日終えた個展に来場してくださった高齢の方が戦中のことを語ってくれる人が多くいたり、
難民キャンプで移住してきた方が「居心地がいい」と言ってまどろんでくれた。
喫茶店で話すには躊躇する会話が引き出せたことが、一番の成果だと思っている。


画像2

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?