桜_bak

終戦記念日によせて


今年も終戦記念日が近づいている。近所の公民館で当時の新聞や資料が展示されているのをみた。

ひと月ほど前の、梅雨時期。

一週間くらい、ずっと庭で鼻に突く臭いを感じていた。
草むしりをしていたら、半分白骨化したイタチか何かの仏さま。
ウジが沸き「ああ、これか」と。


子どもも遊ぶ場所だし、放置するわけにもいかないので、土をかけて隠した。
こうしてお墓ってできるんだなぁ。
土が盛り上がった。


土をかけるときによく見ると、足のわずかに残った毛に黒と白の分かれ目がある。
どうやら猫らしい。


どんな猫生をおくられたのでしょうか。

遡って、
その二週間くらい前の暖かいうららかな日。

急いた気持ちで自転車に乗っていた私。

見晴らしのいいみちで、
田んぼの前で座っているおじいさんが、飼っている猫をずっとずっと撫でている
「あぁ、この時間が、いつまでも続けばいいのにな。。。」
と心の声が言った。

こんなにも猫は撫でられるのが好きなのに。
どうして寂しく死んでしまうのか。
どんな世界を見ていたのか。
心が通うような、通わないような世界を見ていたのかな。

人間の心は安定しない。
不安定な中で均衡を保ちながら生きていくのが人間だということは、この年になるとわかってくる。
誰かが自分の味方で、自分の敵だとも思わない。
どこかでつながって、どこかで離れているものだと思うから。
”猫”を思うと、そんな関係性を思わせる。

墓はこのように思われるのかと、あの鼻につく臭いがふと蘇る、ジリジリと焼け付く夏。庭の片隅に盛り上がる土に向かって手を合わせる。

あなたが誰かを、私は知らない。

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