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耳のない父・口のない母・目のない子供(2004年 制作)

【過去作品紹介・とりとめない日記】

性差につての表記や発言が難しくなっている昨今であるが、父・母という言葉も、これからは廃れていくのだろうか。
男女を表すピクトグラムも。

・言葉というもの
・デザインというもの
・文化というもの
そのあたりのことを農道で自転車こぎながらぐるぐると考えている。

人が生活するには、道がないと不便だ。
道路標識にしても、ピクトグラムは私の脳にすんなりと浸透し、デザインされたモノたちはだいたいのものが、自分ではない誰かの甚大な努力と、功績によって、ありがたくも煩わしくもなく、誘導の線を作ってくれている。

私がこの作品を描いた当時には、性差の不自由さを感じている人の声が大きく表面化されなかったこともあり、当時の自分は考えになかったのか。。。と思いきや「子供」には性別がない。
現在、二人の子どもを育てていても「男の子の色」「女の子の色」が今でも暗黙に(自分自身の中に)あり直面するし、そこでなにか教えられることなんてあるんだろうか。と考えてしまう。

とりあえず、大抵のことが人間社会が織りなす、文化であり普遍的なものではないと捉えつつ。付随して動物的な遺伝子の影響がどのくらいあるのか。

自身の過去の作品を見ていてわかる。自分の鈍感さ。
それは、今も延長されていて、言動や感情をそのままに生活、制作している。
それは私自身の性差に対する強い意識でもあるのであろうから、続けて観察していきたい。

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