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毎日のネタをコンテンツに育てるには、思考の飛距離を伸ばすこと

何日もかけて書きたい場合をのぞいて、いつもnoteを書くのはできるだけ1時間以内を心がけているのだが、この冒頭を書き出した時点ですでに50分が経過している。

元々「紙の雑誌の存在意義とは」について書くつもりだった。しかし、書いている途中で「あれ、結局何が言いたんだっけ」となってしまい頓挫した。「雑誌はWebの記事と違って、手に取れるモノとして存在していることに価値がある」そんな結論にしようと思ったのだが、「じゃあなんでモノとして存在していることが良いんだっけ?」と読者の自分に突っ込まれるとうまく答えることができず、キーボードを叩く手が止まった。

毎日noteチャレンジを始めてから、日常のあらゆることをネタにできないかという視点が養われた。何か気になることがあったらすぐにEvernoteにメモをするのが習慣づいた。友達と話している時でも「ちょっとメモして良い?」と聞き、遠慮なくメモを取る。

メモ取り習慣を続けていると、ネタになりそうなことは沢山溜まっていくのだが、それを全てコンテンツにできるかと問われると、まだまだ修行が足りないと答えざるを得ない。寝たからコンテンツへのギャップの埋め方は、日頃から考えていることとパッと思いついたネタをどれだけ強固に結び付けられるかにある。

僕の場合、「編集者の未来」や「才能」、「生きている意味」、「ファッション」、「社会的な価値」などについて考えをめぐらせる傾向がある。「ファッション」は少し毛色が違うが、基本的にどうしたらより生きやすい世の中になるのかについてばかり考えている。

「雑誌の存在意義」と「生きやすい世の中」を結びつけるのは、今の僕には難しかった。たまたま今日部屋の整理をしていて、昔買ったお気に入りの表紙の雑誌が出てきたことをきっかけに「紙の雑誌の存在理由って何だろう」と思ったに過ぎない。普段から世の中の需要からこぼれ落ちていくモノに対して意識を向けていた訳ではないので、考えの飛距離が短かかったのだ。

だが、訓練をすれば思考の飛距離は伸ばせる。日頃考えていることを小さなネタと結び付けて、話を広げられると思っている。頭の良い人というのは、個別具体的な物事の構造を捉えるのがうまい。表面的に似ているところだけを見つけるのではなく、なんであろうと記号化する癖がついている。よく言われる表現を使えば「抽象と具体を行き来する」ことを当たり前にようにやっている。

「雑誌の存在意義」を考えた時に、雑誌は「紙」と「情報」に分けることができて、さらに「紙」は「パッケージの1つ」として捉えられる。次に、雑誌のように流通数は減っているけど、無くなったら寂しいなと思うものを考えて、その共通点を探す。こういう風にしていくと、枝葉が切り落とされ、抽象的な本質だけが残る。そのあと、そこから日頃考えていることに結びつければ、「雑誌の存在意義」で一本書けたはずなのだが、、、。まだまだ修行が足りないことを痛感した。

具体と抽象の行き来の鍛え方については、こちらの本の内容が非常に役立つと思うので、よろしければ是非。


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