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たとえ書いた文章が読まれなくても、書き残したことに意味がある

「書くこと」にはどんな意味があるのか。

ものを書いたり、編集したり仕事に就いて、ずっと言葉と向き合っていると、そんな気持ちがぽつぽつと湧き上がってきて、水面に波紋を作るくらいには広がってきた。

「書く」とは「言葉にする」行為だ。

言葉は人を他の動物と分ける要素の一つで、僕らが意識的に扱えるものだ。言葉とは、抽象的であれ具体的であれ、何か一つのカテゴリーに名前をつけて分類する道具にあたる。言葉には世の中のふわふわとしたものの角をまわりをなぞって輪郭を作る力を持っている。言葉にできると、よくわからなかったものが「何か」になって、社会とつながる。

言葉にできない思いは、曖昧にしか誰かと分かち合うことができない。もちろん、その人の気圧の中でしか生きられない感情があって、それを無理に言葉にするのは野暮だと思う。そういったアメーバのような、わたあめのようなうねうね、もやもやとした感情を除けば、「言葉にする」とは、自分が一人にならないための安全装置のボタンのような気がする。

いろんなことを「言葉にする」と、自分が世界をどう捉えているのかが見えてくる。

同じものを見ていても、友達と自分では心の中で照らし合わされる文脈が異なるから、当然つむがれる言葉も違ってくる。それぞれが、それぞれの言葉で社会と繋がることで、共感できる部分や自分とは違うなと思う部分が浮き彫りになって、また、自分を形作っていく。

言葉とは常々面白いものだと思う。同じ言葉を使っていても順番が違うだけで、読み手には違う印象を与える、映画や写真と違って、最も読み手の文脈に依存したツールだ。

最近、詩や短歌などは、言葉の面白さが特に顕著に現れているなと思うようになった。これまで詩や短歌はほとんど読んでこなかったのだけど、言葉選びによって書いた人の個性が見えるし、どんな状況でその歌を詠んだのか、想像して読むのも面白い。余白の広さや前後の世界観の曖昧性が、詩や短歌の魅力を際立てているのだと思う。

言葉は世の中を分類して、大多数の人にとっての共通項を作ることで、効率よくコミュニケーションを取れるようにしてくれる。その一方、その人にしか区分できない意味の塊に、その人なりの言葉を添えることは、その人なりの世界のつながり方を教えてくれる。コミュニケーションの素早さはなくなるかもしれないけど、それはそれでいい気がする。

歌人の穂村弘さんは、高校生に向けたとある授業の中でこんな言葉を残している。

事務連絡のメールや新聞記事など社会ではわかりやすい言葉が使われます。その方が効率よく全員が生きていけるからです。しかし、詩のよってたつ場はその真逆です。我々一人ひとりがまったく別の魂を持って生きていることを証明しているのです。

言葉は人を集団として一つの塊にみなすこともできれば、個々人を独立した存在に分ける事もできる。だからこそ、難しくなくてもいい、自分の言葉で世の中を見て、同じように他人も自分の言葉で世の中を見ていると理解することが大切なんだと思う。

自分の言葉を残すことについても考えてみたい。

日々、SNSからメディアまで大量の言葉がインターネットの海に解き放たれている。インターネットに限らず、出版不況と言われながら未だに多くの本が出版されている。

言葉を読むとは、能動的な行為で、精読しようと思うと結構大変だ。時間には限りがあるので、どうしてもかいつまんで読むことが多くなる。逆に言えば、自分が時間をかけて「傑作だ!」と思って書いた文章でも、全部読まれているとは限らない。

頑張って書いた文章が全部読まれないのは寂しい気もするが、そうして書いた文章の一部にでも誰かが興味を持ってくれたのなら、それだけで価値があると思っている。自分が見た世界が誰かの中に根付いて、そこから何かを感じ取り、また別の誰かに伝えてくれるようなことがあれば、自分の中から言葉を産んだ意味がある。

きっと、言葉を残すということは、自分の生きた証を残すことで、自分がずっと誰かの中で生き続けることなんだと思う。(誰かの中で生き続けるなんて書くと少し重いかもしれないけど) メディアが身体の延長線上であるならば、メディアを通して発信される言葉もまた、身体の延長線であるはずだ。

言葉は形を持たないからこそ、物理的に消えることもない。僕自身もたくさんの人の言葉で作られていると感じる。高校の先生の言葉も好きな作家の言葉も、たまたまTwitterで見つけた言葉も、いろんな言葉が僕の血肉となっている。「目から鱗」という言葉があるが、誰かの思いが宿った言葉を知ることは、色んな人の鱗を逆に目の中に入れることなんだと思う。

そんなわけで、誰かの新しい鱗になるような言葉を生み出したいなと思いながら、今日も原稿を書くのである。

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