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交換ではなく、贈与の関係を築く

いま、inquireのメンバーと毎日noteチャレンジをしている。
まだ5日目だが、全身の産毛をセンサーのように際立たせ、とにかくネタになるものを探している。

そんな中、noteチャレンジで書いたnoteに初めて会ったことのない方からサポートをいただいた。

noteからの通知を見たとき、思わず「マジか!!」 とオフィスで声をあげた。
その後、ほほが緩み、思わずニヤニヤしてしまった。

まったく見知らぬ人からサポートを頂く体験がこれほど嬉しいこととは思わなかった。

別に僕は有名人ではない。自分では毎回良いものを書こうと努めているが、文章だって僕よりすごい人は沢山いると思っている。そんな中何かのきっかけで出会った文章に対して、サポートをするのはなかなかのハードルなはずだ。

サポートは、たとえ少額だとしても「イイね」を押したり、「シェア」をするのとはやっぱり違う。そこには消費の概念がない。感覚としては寄付に近いのだと思う。

寄付のハードルは、クラウドファンディングでの支援よりも一段敷居が高い。僕もこれまで、コンビニでもらった数円のお釣りを寄付ボックスに入れたくらいしか、これまで寄付の経験がなかった。しかも、その動機も「夢をかなえるゾウ」で「コンビニでお釣りを募金する」なる課題があったからだ。

最近とある仕事の関係で、寄付について考える機会があった。

寄付をする人は、一定以上自分の資産に余裕があって、もう自分を満たしきったからお金の使い道が寄付の方向にいくのだろうと思っていた。誰かのためにお金を使いたくない訳ではないけれど、心の余裕みたいなものがある人のやることだろうと他人事のように考えていた。

しかし、よく考えれば寄付というパッケージでなくても、人に等価交換の見返りを求めない贈与の瞬間は度々ある。後輩とご飯に行ったときや誰かの誕生日、結婚式のご祝儀など、支払った現金分の何かが手に取れる形として戻ってこないことは結構ある。

それを特に違和感なく行えるのは、その人と自分との間に関係値が構築されていることもあるだろうが、「何かをしてあげたいなぁ」という純粋な贈与の気持ちから来ているのではないだろうか。

僕らは普段から贈与の関係を気づいているのに、それが知らない人のものになったときになぜか壁を作ってしまう。かつては本を買わないと手に入らなかった情報もネットで無料で手に入るようになったり、コスパや生産性ばかりを追い求めすぎる世の中のせいもあるだろう。

だからこそ、見知らぬ誰かに寄付(今回はサポートという形で)をする行為は尊いことだと思う。「寄付をもっと日常に」という意見もある。将来的にはそうなるべきだと思うが、僕はサポートしてださった方に全力でありがとうと伝えたい。

そして、自分がサポートを受けたことにより、今日とっても面白かったnoteがあったのでその方に今度はサポートをした。個人的に、その作品にはお金が払われるべきだと思ったのだ。そうやって、玉突きのように贈与の循環が回っていけば、不特定多数の承認を求め苦しむこともなくなるのではないだろうか。

だから、あなたも「これは!」と思う作品に巡り合ったら、ぜひサポートをしてみて欲しい。


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イノウマサヒロ

Wantedly 採用/採用広報→inquire 編集・MIKKE 広報/贈り物本屋Hotaru/物事の構造を分析して掘り起こしてくのが好き。興味領域は余剰価値、言葉、デザインなど。「人はなぜ服を着るのか」「男たちへ」「ジョジョの奇妙な冒険」がバイブル。

旅する思考

日常生活の中で感じる「生きづらさ」みたいなところを、ちょっとでも「生きやすく」するために考えているアレコレ
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