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ウォンテッドリー株式会社を退職します。〜シゴトでココロオドルとは何か〜

2018年12月をもって、僕はウォンテッドリー株式会社を退職する。

ウォンテッドリーのビジョンは「シゴトでココロオドル人を増やす」こと。思い返せば、自分が就活を始めた2013年から、ずっと「働くとは何か」について考え続けてきた日々だった。

自分の中での仕事に対する姿勢や考え方は、この5年間の様々な出会いの中で随分と変わったなと思う。

その5年間を退職エントリに代えてまとめてみた。予想以上に長くなったので、お時間ない方は最後の「シゴトでココロオドルとは何か」だけでも読んで頂ければ幸いです。

1. 仕事という概念の無い日常
2. 「志望動機」とは
3. 「やりたいこと」をやれる世界への思い
4. 「仕事=お金を稼ぐために我慢するもの」という考えの変化
5. 楽しく働くとワクワクして働く
6.  そして「好き」が生業に
7. しなやかな社会を作る
8.  シゴトでココロオドルとは何か

1. 仕事という概念の無い日常

仕事とは、定時できっかり終わらせるもの。夜は家族や友達と過ごす時間。残業なんてありえない。それが、大学時代までの仕事に対する価値観だった。そんな価値観が醸成されたのは、僕の父が研究職で、いつも19時ぴったりに帰宅して、家族で夕飯を食べることを徹底していたからだろう。

父は家に仕事を持って帰ることも、会社の付き合いで休日出かけることも決して無かった。母も専業主婦で、基本的には家にいた。父との会話の中で、仕事の話があがることは数える程しかなかった。そんな環境だったからか、僕の生活には「仕事」という概念が持ち込まれず、特にそれを疑問にも思わなかった。

母は「お父さんは絶対に家に仕事を持ってかえらないから偉いわ」と小さい頃の僕に聞かせていた。そのせいか、仕事にはネガティブなイメージがつきまとうようになっていた。仕事とはお金を稼ぐ手段であり、普段の生活とは隔離されたもの。そう思って過ごしてきた。

そんな僕が仕事について真面目に考えるようになったのは、就活の失敗がきっかけだった。

2. 「志望動機」とは

僕は就活を2回している。加えて残念なことに、2回とも成功とは言い難い結果に終わっている。何をもって成功とするのかにもよるが、自分が志望していた企業からの内定を取ることはできなかった。振り返れば、内定を得ることや有名な会社に入ってチヤホヤされることがゴールになっていて、その先を考えれていなかったから当然といえば当然なのだけど。

だが、その先の「志望動機」が僕にはずっと見つからなかったのも、また事実だった。「志望動機を教えてください」と聞かれても、「そんなのねーよ」と就活中ずっと心の中で悪態をついていた。社会で一度働いたことがあるならまだしも、「やりたいこと」が決まっている学生なんて、どれほどいるのだろうか。世渡り上手な人であれば、こういった質問には、華麗に言葉を並べ立てて乗り越えるのだろうけど、どうにも僕は嘘が苦手で、うまく「志望動機」を作ることができなかった。

2回目の就活中、自分としては割と納得のいく志望動機が作れた会社が1社だけあった。そのためか最終面接まで順調に進むことができた。人事面接でも「一緒に働けたら嬉しい」と言葉をかけてもらっていたことや、最終面接は確認のための面接だ、と小耳に挟んでいたこともあり、内心これでやっと就活が終わりだと浮かれていた。

ところが、その企業からは最終面接でお祈りされてしまった。理由はよくわからない。面接の形式や内容の詳細は控えるが、あまり納得がいかない結果だった。それと同時に、これ以上同じように就活を頑張ってても意味がないんじゃないか、と思うようになっていった。同じように自己分析して、薄い志望動機を作っても、納得のいく結果は得られないし、自分も変わらないだろうと、半ばやけになってもいた。

単位を一つだけ残して半年だけ留年していたため、9月にはこのままいくと無職になる。さて、どうしようかと考えた結果、この際だと思い留学をすることにした。長期間海外に滞在するなんて今しかできないし、全く知り合いがいない環境に身を置いてみる経験をしてみてもいいかもしれないと思った。半年間続けていたインターンで貯めたお金と、一部は親に頭を下げて借金をし、僕はイギリスへと留学することになった。

3. 「やりたいこと」をやれる世界への思い

留学中、これだけはしておきたいということが一つだけあった。それは、各国の就活事情を聞くこと。就活がうまくいかなかった僕にとって、他国の仕事選び事情を聞いて自分を慰めたかったのもあるし、純粋な興味としてもあった。

日本人は学生で留学している人が多いが、他の国の人は年齢も滞在期間もバラバラだ。高校生終わりで1年間ギャップイヤーをとってくるドイツ人、3ヶ月だけ次の仕事のために英語を上達させる目的でくる20代後半のイタリア人、学校のプログラムか何かで1ヶ月しかいない大学生のブラジル人など、バラエティに富んでいる。

僕は仲良くなった彼らに、自国ではどうやって仕事を探すのかを聞いて回った。例えば、授業で仲良くなったデンマークの高校生は、すでにデザインの道で食っていくと決めていて、高校もデザイン系の高校に通っていた。イタリア人の友達は新卒でどこかの企業にいきなり入るなんて普通あり得ないから、まずインターン(しかも無給!)から始めて、ポジションが空いたら入るのだと教えてくれた。その彼女はロンドンでアパレル系の企業からインターンの内定をもらっていて、無給にも関わらず楽しく働いているようだった。

ヨーロッパの国々は、大体がキャリアの始めはインターンからで、新卒でいきなり会社入れるなんて日本はすごいなと言われた。その代わり「日本の20代の自殺の理由が、精神疾患の次は、仕事や就活の失敗なんだよ」とパブで飲みながら話していると「お前は絶対自殺すんなよ!」と割と真顔で言われたりした。

仕事に対する価値観自体が日本と他の国では違うので、そういう背景を無視して「ヨーロッパを見習うべきだ!」とは思わない。だが、仕事が見つからないこと自体に危機感はありつつも、新卒レベルではいきなり給与をもらえる仕事が見つからなくても、それが普通だという空気感があった。僕が聞いたのは各国の仕事に対する価値観のほんの一部だけど、それでも日本の新卒一括採用の仕組みや働き方に対する一辺倒な考え方には違和感を覚えた。

自分自身が就活で苦しんで、新卒でどっか入らないと終わりだと思ってもいた時期もあったので、「今の新卒採用の制度が変わればいいのに」とか「一人一人がやりたいと思っている仕事をやれる世の中になればいいのになぁ」と留学を境にぼんやりと思うようになっていった。

そんなある日、ホームステイさせてもらっていた家のお母さんから「日本に帰ったら何したいの?」と聞かれた。その時、本当に偶然なのだが、ウォンテッドリーの掲げている「シゴトでココロオドル人を増やす」というビジョンをふと思い出した。そして、「一人一人がやりたいことができる世の中にするために、何かできればいいなぁ、と思います」と話していた。今話すと嘘っぽいようで、運命的な感じもするけど。ただ、当時はまさか入社するなんて思ってもいなかった。

4. 「仕事=お金を稼ぐために我慢するもの」という考えの変化

ウォンテッドリーのことを初めて知ったのは、「インターン」という言葉でGoogle検索をした大学生の時だった。運営している企業が「やたらオシャレ」だと思ったことをはっきりと覚えている。僕が募集ページを見た当時は、インターンや新卒はエンジニアしか募集していなくて、面白そうだけど自分には縁が無さそうだなと思っていた。

次にウォンテッドリーと出会ったのは留学から帰ったあと、新規事業の認知度を高めるメディアの記事を、外部のライターとして手伝うことになったのがきっかけだった。帰国後、「とりあえず生きねば」と思い、学生時代から興味のあった「言葉を使う仕事」をしようと思い、細々とライター生活を送っていたのだ。ただ、あまりにも自分の社会的信頼度が低く、このままずっとやるのはきついかも、と思った時にたまたまウォンテッドリーでメディア運営の募集を見つけたのだった。

その後、当時お世話していただいたメンターの方のおかげでインターンをすることになり、そのままウォンテッドリーに入社することになる。

ウォンテッドリーに入社した理由の一つはビジョンへの共感だ。

2年前のウォンテッドリーは40名ほどの規模で、時代としてもまさにベンチャー界隈盛り上げていこうぜ!という雰囲気があり、ウォンテッドリーを通じて多くのベンチャー企業が今まで出会えないような人材と出会い、事業を伸ばしていた。何より「会社に遊びに行く」という概念や、長期インターンを当たり前にすることで、働き方や仕事との新しい接点を作っているところが、まさに自分が社会に対して抱えていた課題とドンピシャだった。

もう一つは、初めて「企業で楽しく働く」経験をしたから。これは大きかった。

学生時代働いていたインターン先では、正直な話、早く定時にならないかなと仕事のたびに思っていた。お金を稼ぐためだからしょうがないと割り切っていてたが、時折「なんのためにこれをしているんだろう」と思うことがあった。だけど、ウォンテッドリーでの仕事は「仕事=お金を稼ぐために我慢するもの」という考え方を変えてくれた。

「楽しい」といっても決してラクな訳ではない。大型イベントで名刺を交換しまくるとか、テレアポをかけまくるとか泥臭い仕事もしたし、書いた記事がヒットしなくて落ち込むことも多々あった。やったこと全てが成果に結びつくわけではない。それでも楽しいと思えたのは、一緒に働いていた人が優秀だったことと、いつもなんとか頑張って飛び越えられるハードルが目の前に用意されていたからだろう。

人によっては「仕事はお金を稼ぐためのもの」と割り切れるかもしれないが、僕はそういう働き方は無理で、本質的には仕事とプライベートの境界が無い生き方のほうが合っているのだと、インターンを経て気づいた。仕事は定時で上がって、夜は家族や友達との時間。そんな小さい頃から持っていた考え方を変えてくれたことは、自分の中でとても貴重な経験だと今でも思っている。

「言葉を使う仕事」がメインではなくなるけど、自分も納得して働けるし、向いてる方向性も同じという理由で僕はウォンテッドリーに入社することに決めた。

5. 楽しく働くとワクワクして働く

ウォンテッドリーでは採用・採用広報担当として入社して約1年半、その後カスタマーサクセスチーム(プロダクトを継続して使ってもらうために色々施策するチーム)に異動して3ヶ月弱働いた。

採用担当は一番嫌いな職種だったのに、その嫌いな職種にまさか自分がなるとは思わなかったので、配属された時は驚いた。その代わり、採用広報は自分がライターとして働いていたこともあり、ワクワクする仕事だった。

ビジネス、エンジニア、デザイナとほぼ全職種の採用に関わり、新卒・中途どちらの採用も行う中で、本当に色んな人と出会ってきて、また自社から辞めていく人も見てきた。特に、エンジニアの採用に1年以上関われたのは、本当にきつかったけど、自分の働き方を考えるきっかけをくれたという点で、とても感謝している。

僕にとってのエンジニアは、黒い画面に謎の英語をツラツラと書き連ねれている対岸の存在だった。実は、一度プログラミングに挑戦したことがあるのだが、特に作りたいものがあったわけでもなく、すぐに挫折した。20年以上ど文系で来た自分にとって、エンジニアは始め理解しがたい存在だったが、彼らのことを知るようになればなるほど、その働き方に憧れるようにもなっていった。

僕の眼に映るエンジニアたちは、「好きなことを仕事にしている人」だった。コードを書いている時だけが仕事をしていると思われがちなエンジニアだが、実はそうではない。どんな風に実装すれば良いのか考えている時間や、新しい知識を吸収している時間も彼らにとっては大事な仕事の時間だ。人よっては、仕事とすら捉えていないかもしれない。「楽しい=ラク」ではないので、エラーが出たらイラっとするだろうし(僕もちょっとプログラミングをしたけど、エラーが出るたびにイラっとした)、理想の形を実現するために、うんうんと唸る時間はいつも楽しいわけではないと思う。

それでも、四六時中エンジニアリングのことを考えられるのは羨ましいし、好きなことがそのまま仕事に繋がるのは素敵だと思った。

自分にとって四六時中考えてもワクワクすることは何だろうと考えたとき、それは「良いものを伝えること」だった。

採用広報の仕事で、社内のメンバーをインタビューし、編集して、届けるべき相手に届くように整えている時は、エンジニアがノリに乗ってコードを書いている時と同じ感覚だった。自分の書いた記事がきっかけで誰かの背中を押したり、誰かを赦したりできる。そこにはえも言えない感情の高まりがあった。加えて、仕事以外でも個人で記事を書いていたりして、徐々にそっち側に思いが引っ張られていった。

採用担当の仕事は経験としては今後どの組織に入っても活かせる貴重な経験だったのは間違いない。CTOやマネージャークラスと肩を並べて1年目から仕事をできるなんてそうないだろうし、組織を俯瞰する癖もついた。人事チームの先輩も尊敬できて、採用で困った時の相談には沢山乗っていただいた。だけど、採用担当をずっとやっていきたいかと聞かれると、即決で首を縦にふることはできないとも思っていた。

「仕事だから一定割り切って成果を出すべきだ」と考えていたが、それでは100点以上の成果は出せない。それってワクワクして働いている状態なんだっけと思う自分がいた。楽しいとワクワクは違う。ワクワクしているっているのは、とにかく目の前のことを永遠にやっていたいと思える状態だ。

自分はわがままだけど、楽しいもワクワクも欲しかった。面談で候補者に話している自分は、自分が喋っている言葉通りに働いているんだっけと疑問が生まれた。チームを変えてもらった後も「良いものを伝えること」を軸にした仕事に進みたい気持ちはどんどん大きくなっていった。

また、2018年に入ってから複数のコミュニティに出入りしたり、編集者の友達が増えたり、起業している友達が増えたりした。そこで「自分の好きなこと」をなんとか仕事にしようと、もがきながらも楽しんでいる人たちに沢山出会ってしまった。

決断をするなら今しかない。

一度自分の「やりたい」に素直になって、自分で選んだ道を自分で正解にできる覚悟を20代のうちに持つか持たないかで、その後の人生は変わると思った。採用担当をしているときは、会社への恩義もあり、ここで抜け出すのは違うかもと思っていた。ただ、もうここで退いたら一生後悔すると思った。チャンスの神様が現れた時、これまではその後ろ髪を見送り続けてきた。でも、もう逃さない。そうして僕は転職することを決めた。

6.  そして「好き」が生業に

「一人一人がやりたいことをやれる世の中にしたい」

僕がウォンテッドリーに入社した時に抱えていた思いだ。就活への個人的な恨みのようなモノから生まれた思いだけど、今でもそれは変わらない。自分のように仕事に悩んだ人に、新しい可能性を作り出し、生きやすくするプロダクトとしてWantedly Visitはとても価値のあるサービスだ。「Wantedlyのおかげで今の会社に入ったんですよ!」と在職中多くの人から言っていただいた。僕はプロダクトづくりには関わっていないけど、そう聞くたびに本当に嬉しいと思った。

その一方で、「まだあまり知られていないけど、届くべき人に届いていない思い」が沢山あると、この1年色んな人に出会って感じてきた。その思いは、事業かもしれないし、プロダクトかもしれないし、その人自体かもしれない。「一人一人がやりたいことをやれる世の中」を実現するためには、まずミニマルに「自分のまわりの人がやりたいことをやれる世の中」にするべきなんじゃないかと思うようになってきた。今まで知らなかったけど、本来知るべき人に届ける役割を自分が担いたいと。

僕は何か事業を起こしたいとか、プロダクトを作りたい、などの思いがほとんどない。その辺りは空っぽに近い。その反面、誰かの代弁者としてに自分が良いと思ったもの、世の中的に広がるべきものを「伝える」ことに対しては人一倍思いが強い。それは、自分がこれまでずっと「伝える」ことを生業にしてきたからだろう。中高時代の演劇で自分の演じる役や大学時代のバンドで自分の演奏する曲、バイトしてたカフェ、一緒に働いていた素晴らしいメンバー、それぞれの魅力を「伝える」ことをずっとしてきた。そして、ようやくその「好きでしてきたこと」を生業にする時が来たのだ。

7. しなやかな社会を作る

1月から、inquireという会社で「自由と創造性に溢れた、しなやかな社会をつくる。」をビジョンに掲げる自社メディア「UNLEASH」の編集に関わったり、これから世の中を変えていこうとしてる企業のコーポレートブランディングの支援をする。個人でも同じような仕事を請け負ったりする予定だ。

inquireで働こうと思った決め手はウォンテッドリーと出会った時と同じで、自分が作ろうとする世界がここでなら実現できる可能性があるから。代表のジュンヤさんと面談(というかディスカッション)をする中で、「届けるべき情報を届くべき人に」という思想が一致していると思った。一緒に働くメンバーも世の中の不和やギャップを解消することに関心のあるメンバーたちで、今から非常に楽しみだ。

8. シゴトでココロオドルとは何か

「シゴトでココロオドル人を増やす」

それがウォンテッドリーの掲げているビジョンだ。この言葉はともすると都合よく捉えられがちだと、代表の仲さんはよくおっしゃっていた。ウォンテッドリーが定義する所の「ココロオドル」とは「仕事に対して、没頭し、没頭することで成長を実感する」こと。

仕事の報酬は仕事、なんて言葉を聞いたりもするが、自分がどんどんアップデートされていくことこそが、ココロオドル状態だとしている。

僕にとっての「ココロオドル」とはなんだろう。

就活含めて約5年間、「仕事とは何か」を考え続けてきた僕目線だと、「ココロオドル」状態とは、自分に嘘をつかないってことだと思う。自分の奥底の気持ちに正直になること。仕事の中には、嘘をついてやり切れることとやりきれないことがあると思っている。その場しのぎでとりあえずの嘘では無く、仕事を続けるためにずっと突き続けない嘘がもしあるなら、それは自分を振り返るチャンスだと思う。

人によっては、「仕事でワクワクとかありえないだろ!」と思うだろう。
僕が子供も奥さんもいない若造だから好き勝手言ってんだろ!と怒る人もいるかもしれない。

でも、みんながまず自分のことを大切にしたらどうだろうか。人は自分のコップの水が満杯になっていないのに、誰かに水を与えることなんてできない。まず、自分のコップを満たすこと。そうすれば、自ずと誰かに何かしたいと思えるはずだ。僕もそうだ。自分がやりたいと思っていたことができる環境になったからこそ、より周りの友達やもっと知られるべき人のために頑張ろうと思えた。

自分に嘘をつかないと、一時的には社会とのズレのせいでとても悩む。それでも嘘をつかないでいると、だんだんと同じような人が周りに集まってきて、そのうち「あれ本当に自分がやりたいことできるんじゃないか」と思えてくる。もちろん、嘘をつかないだけではダメだ。それ相応の努力が必要。だけど、自分に嘘をつかないことっていうのは、自分が努力できることだとも思う。

そうして「やりたいことをやれる人」が増えていって、届くべき人に情報が届くしなやかな社会になれば、この上なく幸せな世界になるんじゃないか。

僕は、そうした世界を作るための一端を担えるよう、これからも「伝えること」を続けていきたい。

P.S

どこの馬の骨ともわからない僕を採用して、ここまで変えてくれたウォンテッドリーの皆さん。本当にありがとうございました。ウォンテッドリーが1社目で良かったです。この2年間は、僕の社会人生活を支える土壌として、しっかりと耕されました。

とはいえ、近しい業界のため、また一緒に仕事することはそう遠い未来のことではないでしょう。その時はよろしくお願いいたします。

また、インターネットの海で会いましょう。

さいごのさいごに、Twitterでこれからもソーシャルグッドな情報を発信していくので、よかったらフォローお願いいたします。@ino22u

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