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自分の生活にルールはあるか。

先日、かつて男の子だった20代から30代のビジネスマンであれば、思わず目を止めてしまう記事と出会った。

この記事は、世界で一番売れているトレーディングカードゲーム「遊戯王OCG デュエルモンスターズ」の面白さを"ルール"の観点から分析した記事だ。

この記事を読んで、"ルール"の価値について考えてみた。

遊戯王に関わらず、世の中のあらゆるところにルールは存在する。憲法や法律のように全ての人が守るべきものもあれば、校則やスポーツのルールのように、特定の範囲内のみで機能するルールもある。

僕らは日頃ルールに大小様々なルールに縛られて生きているといっても過言ではない。ルールがなければ、極端な話、人を殺しても罪に問われることがない。そんなことになったら大惨事だ。

憲法や法律といった生まれてから死ぬまで、当たり前に存在するルールは自分たちが平和で自由に生きるために必要なものとして多くの人は享受しているが、限られた範囲のルールの話になると、自分の自由が抑圧されていると感じることがある。

その際たる例が校則だろう。

僕が通っていた高校は、あくまで個人の主観によるが、校則が厳しい方だった。男女ともにカラー・パーマはNG。買い食いも禁止(さすがに真夏日は水筒の持ち込みを許可されていたけど)。Yシャツは第一ボタンまで止めないといけなかたっし、女子のスカートは膝丈。校門にはいつも生徒指導の先生が立っていて、制服の着こなしを逐一チェックしていた。

マンガで見るような校則ゆるめの学校生活を見ると、ついつい憧れたものだった。校則なんて、今見ると随分かわいいルールだが、当時の自分は決められたルールに対して「不自由だなぁ。。」と感じていた。

だが、正社員でありつつも、編集者としてほぼフリーランス的な働き方をしている今になって、限られた範囲のルールがある方が、自分の自由を確保できていると感じやすいと思うようになった。

前職も大分ゆるかったとおもうが、それでも朝は9時半に出社する必要があったし、土日どちらか仕事が入れば、その分代休で平日にゆっくりできた。

今はどうだろう。会議や取材の予定さえ守れば、何時に起きようが、何時寝ようが、土日に働こうが、平日に休もうが、誰に何を言われることもない。(もちろん、原稿が遅れるとなにか言われる)

朝の通勤ラッシュに巻き込まれないことは最高に嬉しいが、自分の生活を自分で規定するのはかなり難しい。8時半出社だという友達には随分と羨ましがられるが、根がぐうたらな僕は、一定周りが決めた行動のルールに乗ってるほうが外圧で勝手に自分を律してくれるので、実はありがたかったりする。

時には「本当にそのルールは必要なのか?」と定められたルールに対して疑う姿勢も大事だが、ルールの存在は自分で余計なことを考える必要をなくすという観点で見ると、貴重な存在だ。ルールとは、ある種周りによって定められた習慣のようなものなのだろう。

自分の自由を確保しようとすればするほど、実は自分でルールを決めていく必要があるのだ。編集や執筆を生業とする関係で、どうしてもギリギリまで原稿と向き合うため、本を読む時間が確保しにくかったり、ついつい夜遅くまで起きて次のひ気づけば10時、、、なんてこともある。

だから最近は週に1度は映画を観ると決めて、チケットもとってその時間を映画に行かざるを得なくするなど、自由を確保するためのルールを少しづつ設定するようにしている。

「本当の自由とは…自分のルールで生きるってことなんだよ」

これは、「ドラゴン桜」の主人公、桜木の言葉だ。

ルールを作る側がゲームチェンジャーになると言われるが、世の中のゲームのルールは変えられなくとも、せめて自分の人生のルールは作りたいものである。

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