見出し画像

お年寄りに生きる元気を与えた仮想現実から、NARUTOのツクヨミに思いを馳せる。

仮想現実世界のことを初めて知ったのは、小学五年生の頃に見た、名探偵コナンの映画「ベイカーストリートの亡霊」だった。映画内でコナン達は「コクーン」と呼ばれるカプセルに入り、仮想現実内で謎を解いていく。そこでリタイアすると、誰かがゲームをクリアしない限り現実世界に戻れないシビアな設定だったのをよく覚えている。

昨年、上映されたレディプレイヤー1で描かれた世界は、コナンに比べるとかなり現実味のあるものだった。ヘッドギアとコントローラーを使って仮想現実を旅する。自分の姿はアバターに変わり、好きにイメージを纏える。

仮想現実の技術は日々進歩している。四年ほど前に初めてヘッドギアで仮想現実を体感した時は、ジェットコースターに乗っている気分を味わえるくらいであったが、今やお年寄りに笑顔を取り戻すまでとなった。

仮想現実を考えるとき、現実との向き合い方も同時に考えることになる。仮想現実はあくまで一時的ななエンタメの世界だと思っていたが、意外とそうではないのかもと思うようになった。

というのも、最近コミュニケーションの齟齬でストレスを感じることが幾度かあった。もっとお互いにストレスを感じないように会話ができないものか悩んでいた時、ふと一昔前に流行った「しずかったー」を思い出した。

「しずかったー」は、どんな汚い言葉を呟いても、しずかちゃんが綺麗な言葉に変換してくれるチャットボットだ。「しずかったー」はすぐになりを潜めたが、この技術を応用すれば、仮想現実でアバターを介して人を傷つける言葉が全て心地いい言葉に変換され、コミュニケーションによるストレスが無くなるのでは、と思ったのだ。

仮想現実の世界では、デジタルの力で実現できるものは何でも手にはいる。脳を正しく刺激すれば、欲も満たされる。現実が辛い人が、仮想現実で生き直すのも1つの選択肢ではないか。

そんな話をしていたら、「全てのコミュニケーションが耳障りの良い言葉に変換されれば、人のストレス耐性が低くなって、それはそれで良くないのでは?」と意見をもらった。

たしかに、たとえ仮想現実の世界でもストレスと無縁の世界はありえないだろう。口頭のコミュニケーションが滑らかでも、他に人同士が衝突する機会は沢山ある。ストレスに一定耐性がないと、諦め癖がついたり、すぐに肉体的な争いに発展する可能性もある。ストレスばかりの世の中は嫌だが、人間自体が弱くなってしまうのも考えものだ。

また、仮想現実の世界では、誰がルールを作るのかという問題もある。仮想現実を実現する技術作った実際の人間がいて、その人たちがルールを作るのか。その人たちが死んだらどうするのか。AIに主導権を渡して、AIによる統治にするのか。そう考えると、仮想現実よりもやっぱり、現実の方がいいのでは…?という気持ちにもなってくる。

仮想現実の事を思うと、少年ジャンプで以前連載していた漫画「NARUTO」のことを思い出す。漫画の中で、全ての人間を覚めない夢の中に誘い、その中で個々人の理想の世界を夢見続けさせるツクヨミという術が登場する。この術を使う敵は倒されてしまうのだが、仮想現実が行き渡った世界はツクヨミの世界のようだと思った。漫画の中では悪い術として描かれているが、現実ではどうだろうか。

現実でストレスと努力の中、最低限の法だけを守る自由な世界を生きるか、仮想現実で夢を叶えながらも絶対的なルールを作る神のような存在に従い続けるのか。

あなたなら、どちらを選ぶだろうか。


最後まで読んでいただきまして、有難うございます。 あなたが感じた気持ちを他の人にも感じてもらいたい、と思ってもらえたら、シェアやRTしていただけると、とっても嬉しいです。 サポートは、新しく本を読むのに使わせていただきます。