見出し画像

視座の高さと意識の深さを掛け合わせる

「私は骨で踊る」

いつものように記事のネタを探し、Feedlyでネタを探していると、そんなタイトルが目に飛び込んできた。

骨を最強の筋肉として使うっていう感覚があって。たとえば立ち上がるときに『よいしょ』って立つと時間もかかっちゃうし筋肉を使うと大変。でも、この足の骨を筋肉として見立ててやると、バンッと、すぐ立てるんです。なので、いかに骨を骨として終わらせず筋肉のように意識するかでパフォーマンスも変わってくるんです

そう話すのは、アイドルグループ欅坂46の全ての振り付けを担当する世界的ダンサーのTAKAHIRO先生。2/24に行われたTAKAHIRO先生の著書「ゼロは最強」の刊行イベントでの一幕だ。

骨は最強の筋肉なんて考え、よほど踊りを突き詰めてなければ起こりえない発想だ。僕は週一でパーソナルトレーニングに行っているが、骨は最強の筋肉だから骨を意識してね、なんて言われたことない。というか、27年間生きてきて骨を意識した瞬間なんて骨折した時くらいだ。

しかし、TAKAHIRO先生レベルの世界に立つとむしろ骨を意識することが日常なのだ。普段なら無意識なことに対し、あえて意識を払う。それが一流の証なのだろう。

前職にいた時、よく「2つ上の視座を持て」と言われていた。1メンバーとしてではなく、マネージャーや経営者の視点で自社の動きを見て、何ができるのかを考えろと。

視座を高くする行為は、自分の体をどんどん遠ざける行為に近いと感じる。枝葉末節にとらわれず、全体の動きを捉える。細部を疎かにしろということでは無いだろうが、骨まで意識するのとは、なんとなく真逆の考えな気がする。

視座の高さと意識の深さ。

この2つを行き来することで、個人としての地力が上がるのだろうと、ふと思った。

物事を考えるときには全体を俯瞰し、形に落とし込むときは普通では意識しないところに気をつかう。

文章に落とし込むのであれば、目の前の事象はどんな社会や歴史の流れで起こっているのかを把握して考える。そして、句読点の位置や使う漢字、語句のリズムなど、普通の読者なら気にかけないし、気づかないところにまで意識を集中させる。

僕は両方ともまだまだ力が足りないが、骨こそ最強の筋肉という意識も持ちつつ、一文字一文字に打ち込もうと思う。

最後まで読んでいただきまして、有難うございます。 あなたが感じた気持ちを他の人にも感じてもらいたい、と思ってもらえたら、シェアやRTしていただけると、とっても嬉しいです。 サポートは、新しく本を読むのに使わせていただきます。