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世界は思ったほど速く進まない

この四日間は自分が周りの人と違う時間軸を過ごしている心地がした。

仕事はもちろんのこと、SNSや友人からのメッセージにも反応しなかった。
水曜日の夕方から溜まったストレスにやられた僕は、最低限の連絡をすまして、周りとの繋がりを絶った。

前職から今の職に移る間もなんだかんだ仕事をしていたし、していなくてもどこかで追われてる感覚があった。だから、本当に全てを投げ出してぼんやりしたのは数年ぶりだ。

Slack、Instagram、Messenger、Twitter。

これまで、トップ画面に鎮座していたアプリを全部消した。本当はLINEも消そうかと思ったが、万が一のために残しておいた。毎朝見ていた十数個のニュースサイトを見るのもやめた。

すると、世界からぽいと外に放り出された気分になった。でも、決して悪い気持ちはしない。運動場のトラックを何周もしている誰か達の群れから、すっと飛び出してベンチ腰掛けてそれを眺めている側に移った。

仕事もしない、当たり前に繋がってたネット世界とも離れた。僕が手に入れたのは、有り余る時間だった。これまで毎日仕事に追われて、あと1時間でいいから1日が長くなってくれないかと思っていたのに、急に両手いっぱいの時間を渡された。

流石に木、金とは気分も沈んでいて、外出しようなんて気持ちも起きなかったが、土曜には元気を取り戻してきた。

せっかくだから、先月BRUTUSのコーヒー特集で読んだ喫茶店でも行こう。

そう思い立って、東高円寺にある長月という喫茶店に向かった。パソコンは持たない。代わりに文庫本を一冊持っていった。

長月では、注文が入ってからゆっくりと時間をかけてネルフィルターでコーヒーを淹れる。銀色の注ぎ口から一滴一滴、雨だれから雫が垂れるようにフィルターに入ったコーヒーを湿らせていく。

その様子をじっと見つめていると、永遠にも似た時間の流れを感じた。ただ、コーヒーが淹れられるところをじっと眺めていたのなんていつぶりだろうか。

差し出されたコーヒーは程よい温度で、猫舌の僕でも一口目から味わって飲めた。持ってきた文庫をパラパラとめくり、物語を進めた。僕の他にお客さんは2人。時折マスターと常連さんと思われるおばさんの話し声が耳にはいる。コーヒーを口に含み、一緒に頼んだレーズンバターを齧る。そしてまた文庫をめくる。

時間に身を委ねることの心地良さをふと取り戻した気がした。いや、とにかくなんでもやりたがっていた学生の時より、流れる時間そのものを楽しんでいたかもしれない。

文庫を読み終えると、わずか2時間しか経ってなかった。感覚的にはもっと濃く長い時間を味わっている気持ちだった。僕は残ったコーヒーを飲み干して、長月を後にした。

それでもまだ夕方だったと思う。毎日忙しいと思っていたのに、追われている感覚がなくなるだけでここまで違うのかと思った。

そして、当たり前だけどちゃんと休むことの大切さを思い知った。たとえアウトプットをしてなくても、頭が仕事のこと考えていると、脳は休まらない。いつまでたってもぐるぐると回り続けるトラック走を終えられない。休むことで、今まで走り続けていた自分を客観視できる。忙しい忙しいと自分を追い詰めて、余裕がないことが良いように思えていたのは幻だった。

ゆとりのある時間を確保できると、周りへの接し方もゆとりを持てるようになる気がする。

今日、再び仕事モードに戻って、朝5時に起きて仕事をしていたが、先週ほど何かに追い詰められている感覚は無かった。消したアプリたちをダウンロードして、また沢山の情報を摂取したけど、意外と世界はそんなに速く進んでないことに気づいた。

少し立ち止まったくらいじゃ、誰も自分を置いていかない。むしろ、おかえりなさいと言ってくれさえする。そんな世界は思っていたよりも良いものだとしみじみ感じたのだった。

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