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愛染明王は恋愛成就のご利益があるのか問題について。

愛染明王は煩悩即菩提の仏さまというお話を前にしました。

世の中では愛染明王は愛欲に関わる仏さまで、
恋愛成就などにこの方の真言を唱えるといいとか
西国愛染明王霊場巡りは恋愛成就祈願の女性が多いとか
言われているようですけれども。

結論からいうと、
多分違うんじゃないかなー?
というのがほんとのところ。

でもですね。
業界の噂では、愛染明王を拝んで彼女できました。
みたいな話もないわけじゃあないんですよ。
しかもけっこう聞きます。

これどういうことなんでしょう。

このへん前にも書きましたけども。
「成仏するために願う願いなら、世俗的な願いも叶う」
ということです。

恋愛の願いでも、その路線に合っていれば叶うということになります。

わかりやすい例でいうと、
お寺の後継者の若いお坊さんが、一緒にお寺を守ってくれる
そんな人生の伴侶が必要、という場合。
これはなんか叶いやすいような気がします。

こういう願いが叶ってるところを見ると、
色々なルールがやはり現代の状況を鑑みて
修正されてる感じがけっこうしますね…。

そういうお二人でなくても
結婚して家庭を築き、安定して社会に貢献する
子どもを産んだり育んだりして、祖先の祭祀を継承していく
仲睦まじい二人が幸せに暮らすことの素敵さを体現する
共に結びつくことで、他の人や仏さまに対してすごくいいことができる
といった場合もこれは叶いやすいと思います。

こういった分かりやすい例ではない場合、
これはもう愛染明王さまとしっかり向き合って、
自分の恋愛成就がどういうことで
将来的に(来世や来来世も見越して)成仏するために役に立つのか、
みたいなことを交渉する必要があるかもしれません。

しかし、道徳的にも仏法的にも逸脱した部分が多い場合、
これはちょっと考慮する必要があります。

それは、願いではなく執着かもしれないので。

愛染明王は明王さまで、済度するにはちょっと難しい衆生を
すくい上げるのを専門としています。

真っ赤な体をして、日輪のような金色の後背を負い、
逆立つ髪には獅子の顔をした冠をつけていて、
六本の腕に五鈷杵と五鈷鈴、弓矢などを持っておられます。

この怒りのお顔は、迷いの中にいる者たちを厳しく導くため。
しかし、その迷いの中からなかなか抜けきれないことに対する
悲憤と憐愍のお顔でもあります。

どんな執着と煩悩の苦海の中にいたとしても、
断ち難いそれを滅ぼし尽くして、
自分の中にある美しい珠のように輝く本質、
より良くなろうとする心を現すようになる。
それが愛染明王の願いでありお働きと言えるでしょう。

どんな時にも、自分の望みの一歩先の
もっと広い立場に立ったゴールを見ることが
仏さまの心に叶う願いの持ち方なんじゃないかな、と思うのです。

煩悩と執着の向こう側にある
人と人との素晴らしい関係。
そういったものを描いてみてはどうでしょう。

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