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タイポップスが好きだ!って言ってたらタイポップスの中の人に好かれた話

#私だけかもしれないレア体験

 僕の名前は山麓 園太郎。「タイポップス探検家」だ。タイのポップ音楽「タイポップス」。最近では「T-POP」とも呼ばれているが、呼び方は人それぞれでかまわない。

 ハッシュタグの内容を簡単にまとめてしまえば、「タイ語も話せない僕がタイ大使館の壇上やTVやラジオに呼ばれてT-POPの伝道師みたいに扱われた2022年とそこに至るまで」の話だ。普通そういうのは音楽評論家か、タイに長年住んでいるとかタイが好き過ぎてタイ語を会話から読み書きまで習得しちゃったような人がする事で、もちろん僕だって「本当に僕でいいんですか?」とまず先方に訊いたのだ。

 でもその上で「ぜひ!」って言われたらそれは僕に使い道があるって事だ。向こうだってバカじゃないさ、僕の経歴を知った上で来るんだから。つまり僕はT-POP、あるいはタイポップスと呼ばれる音楽ジャンルがタイドラマ人気で話題になり始めた頃に検索結果に混じって出てくるブログ「STUDIO MUSHROOM IRON」の正体不明のキノコ頭で、趣味が高じての活動の数々は常軌を逸していて、しかし取材対象としてはメディア露出にうってつけのフックの効いた外見をしていたのだ。

 自分の欠点の数々が積み重なって、それでもその上に立つしかなかった自分が転げ落ちた時、そこには新しい地平があり、クッションになって守ってくれたのは積み重ねた自分の欠点だった。「タイポップス探検家」になった不思議ないきさつを書く中で、そんな欠点をひとつずつトピックと結び付けていこう。過去は変えられないが、今の自分を形作った過去なら「辛い思い出」の引き出しにしまっておく必要は無い。「去年の楽しい思い出」の写真の裏に縫い付けて部屋に飾ろうじゃないか。

1/1(Brian Eno/Ambient 1:Music for Airports)

 自分のことは自分が一番よくわからない。世の中と折り合いをつけてゆく中で、己のポンコツさや極度の人見知りを再確認しながら人前に出て行って芸能人か何かのように振る舞える自分がいて、それをまた俯瞰で見ている自分がいる。しかしそこには不透明な膜がかかっていて世の中と僕、そして僕同士を隔てている。

 よく見えないのに俯瞰している自分がわからない。俯瞰されてる方の芸能人っぽい自分も、靴と地面の間に膜があるようだ。事程左様に自分の居場所がわからないけど、別にそこに悲しみもない。いよいよわからない。

 どうやら子供の頃からだ。僕には印象に残っているTVアニメや特撮の記憶が殆どない。あんなに毎週見てたのに。自分は浮いて漂い続けていて、見るもの全てが膜越しで他人事だ。極めて普通に育ててもらったけれど、野球のグローブとボールを買ってきたり将棋盤を買ってきたりして僕にスポーツやテーブルゲームの何たるかを教えようとした父の企てはことごとく失敗した。僕がどれにも・・・いや、膜の中に住む自分の世界以外には興味を示さなかったからだ。

 膜から手を伸ばして外界から何かを取ってくる。気に入れば置いておくし気に入らなければ外に戻す。これが僕のやってる事の全てだ。今も。いつもおっかなびっくりで、深く関わるのが怖い。それでも思春期には音楽に夢中になった。特にビートルズとジャズには強く惹かれて楽器を手に取り、音楽学校へ進学するに至った。

 世間知らずで他人が怖い僕が音楽で食べていくために必要な人脈や信頼を手に入れられるはずもなく、それ以前に楽器の腕前も大したことない劣等生だから卒業するのがやっとだったが、気になる音楽はとにかく全部買って聴くという習性は音楽学校時代に身に付けた。それが2012年に爆発する。

 初めてのタイ旅行で都会的なセンスの良いジャケ写につられて買ったCDには80年代AORやシティポップの香りがぷんぷんする曲ばかりが詰まっていた。僕が音楽学校時代好んで聴いていたジャンルだ。タイムスリップしたような気持ちになり、半年後にもう一度タイに行ってCDを買えるだけ買った。

 この時僕が出会ったのは今やタイドラマですっかり日本でも有名になったGMMレーベルが出したシティポップ系コンピレーションだった。「ドライブ用」「泣ける歌」「冬ヒット」・・・GMMが自社の持ち曲をあの手この手でパッケージにして乱発していた時期だったが色んな歌手の歌が聴けて僕には都合が良かった。でもタイ語が読めないから収録曲がほぼ一緒なのに気付かず買う事も多かった。

 2015年。CDの枚数は100枚に迫っていた。そんな僕に音楽評論家の小川真一さんから声がかかった。僕は彼がレコード屋を営んでいた時の客のひとりで、彼が地元のFMラジオ局で持っている音楽番組でタイポップスを紹介してくれないか?と言われたのだ。ゲスト紹介の際の肩書きを「タイポップス研究家で良いか?」と訊かれて僕は「ただ好きで沢山買って聴いてるだけで研究してる訳じゃないし、分類もできないからコレクターでもないので、そうだなぁ・・・探検家にしておいてください」と言った。

 初めてタイで買った1枚も含めて番組でかけた数曲は小川さんとリスナーから「このデジャヴ感はいったい何だ?」と驚かれ、僕の「タイポップス特集」は隔月の人気企画となった。まだタイ語のGoogle翻訳の精度が低い頃だ。アーティストについて調べてもほぼ何もわからない。それどころか曲名の発音すら怪しい。打ち合わせ場所をタイ料理店にしてお店の人に読み方を教わってからスタジオに向かうような状態だった。

 タイポップスだけは特別だった。思春期に夢中になったビートルズのように、自分で「怖くないシール」を貼ってずっと自分の膜の中に置いておきたい魅力があった。何故80年代シティポップみたいな曲がリアルタイムに新曲で次々出ているんだ?買って買って聴きまくっても、その謎は解けないままだった。

 ラジオに出て1年が経った頃「選曲は毎回評判良いけど、小川さんの番組なのに僕の曲解説があやふやなのは問題だなぁ・・・」と感じていた。デジャヴ感の秘密は一向に解けないし。そんな時、タイでまだ入った事のないCDショップを見つけた。チャオプラヤー川沿いにある「ノーン・タープラチャン」だ。

ノーン・タープラチャン店内

 初めて店のドアを開けた時の驚きは今も鮮明に覚えている。壁を埋め尽くす、他の店には無いジャケットの数々。お気に入りの歌手の、何故か他の店では一度も見つからなかった旧譜。タガが外れた僕は30枚以上の爆買いをし、店長さんに名刺を渡して日本のラジオ番組で紹介するためにCDを買いに来た事を伝えた。

 帰国して自宅のPCの電源を入れると、フェイスブックにとんでもない人数のフレンド申請が届いていた。その全てがタイポップスのアーティスト本人とレコードレーベル関係者だった。

 1979年創業の「ノーン・タープラチャン」は洋楽の輸入盤取扱店の草分けで、後にタイの音楽シーンに携わる事になる人たちが学生時代から通い詰めた有名店だったのだ。ずっと後になって、当時リピート生産の概念が無かったタイのCD業界では全てが初回プレスの売り切りだった事(想像してみて欲しい。山下達郎の新作が発売から半年足らずで店頭から消えてしまい、二度と手に入らなくなるとしたら?)、この店がその初回プレス分を大量に仕入れる事で旧譜の在庫販売を可能にし、リスナーがまだ見ぬアーティストに出会う機会を作り続けていた事を知った。

 これ幸いと、僕は番組でかける曲を歌う本人にフェイスブックのメッセージを通して中学英語で取材する暴挙に出た。お察しの通り、人と関わる事に恐怖感がある僕にとっては間に入る人が少なければ少ないほど良い。直接本人に訊くのが一番怖くないのだ。対面じゃないのも助かる。僕がフェイスブックに書く放送PRはノーン・タープラチャンの店長さんにシェアされ、またフレンド申請が増えていった。初めてタイの野外音楽フェス「Cat Expo」に足を運ぶ頃には、フェイスブックではフレンドだが会った事は無いという人が会場中にひしめき合っている状態で、この時ばかりは僕も膜から外に出て頭から湯気をシューシュー吹きながらひとりひとりに名刺を渡して挨拶をした。

วัยเด็ก(Cyndi Seui/smallroom 004-Viewed & Crub)

 過去の話に一旦戻ろう。僕はメディアに出演する時必ず派手でいかれた服装でスタジオに赴くが、これも僕の外見的コンプレックスに由来している。中学生の頃から自分の顔がどうにも嫌いだった。しかし音楽学校を出た後で勤めたのはアパレル関係で、しかも深夜番組でブレイクした直後のとんねるずに衣装提供している派手な原色使いのブランドの店員だった。

 こんな僕が接客業だなんて!と思うが、店で取り扱う派手な服に身を包んでいれば社交的に振る舞う事が出来る事に気付いた。この服を着ていれば他人は僕の顔なんか見ない、僕の服の色と柄しか覚えていない。それ以来僕は仕事以外でも派手な服を着るようになった。この恰好は臆病な僕が外界へ出るための仮面なのだ。加えて趣味の音楽でライブハウスに出る事もあったから、ステージ衣装としても有効だった。お金を払って観に来るお客さんは、少しでも非日常を味わいたくてやってくる。そんな場にお気楽な普段着で現れて「音楽で主張すればいいんだ」なんて高尚を気取るのは最低にカッコ悪い。小川さんの番組に出た当初からスタジオをライブハウスと同等に考えていた僕は毎回派手な服で生放送に臨んだ。タイのアーティストたちには僕がいっぱしの芸能人みたいに見えただろう。それは仮面だったかもしれないが、一般人の僕がタイの音楽シーンとコネクションを作るのを確実に助けてくれた。

 職場の人間関係が辛くなりアパレル会社を辞めてしまった僕が次に見つけたのはゲーム会社の直営ゲームセンターのスタッフのバイトだった。アパレル時代、出勤日以外は部屋でゲームばかりしている半引きこもりだったからこの仕事は性に合っていた。そのまま正社員になり店長を務めた。仕事もゲーム、趣味もゲーム。アパートの部屋はあらゆる家庭用ゲーム機であふれた。父が不慮の事故で亡くなり、残された母を心配して地元へ戻ることになった時、それらも全部実家へ持って帰った。僕は「捨てられない/片付けられない人」でもあった。

 話を2016年に戻そう。取材したCyndi Seui(シンディ・スイ)のインスタグラムで、録音スタジオに多数の家庭用ゲームが置かれているのを見て彼がセガのゲームのコレクターだと知った時は「ついに実家が片付くぞ!」と思った。僕はもう結婚して家を出ていたが、実家の子供部屋はゲームソフトが地層を形成する魔窟のままだった。スーツケースとボストンバッグ2個にゲームソフトをパンパンに詰め込んで僕はタイに向かい、初対面のCyndiとショッピングモールで待ち合わせて持って行ったゲームを全部タダであげた。

シンディ・スイ

The Devil (STAMP/stampsth)

 レアな日本のゲームの数々に狂喜乱舞したCyndiが上げたインスタグラムの投稿に熱烈なコメントを付けたのがタイの国民的スター・STAMPだ。その彼が来日公演をすると知ったのでチケットを買い、当日まだ残っているゲームソフトの写真を付けて「これ欲しいですか?今夜ライブに行くんですけど」と厚かましくもDMを送ると、STAMPからすぐ返事が来て軽くチャット状態になった。僕がゲーム会社勤務だったのを知り「夢の職業じゃん!」と答えたSTAMPと僕はあっという間に打ち解け、チャットが終わる頃にはラジオ番組でインタビューする段取りがついていた。更に数ヶ月後、僕は名古屋のタイフェスティバルにSTAMPが出たら楽しそうだな、という妄想的な思い付きをレーベルもマネージャーも通さずSTAMPに直接伝えてしまい、あろうことかSTAMPがそれをOKしてしまう。

 大変な事になった・・・と思わなかったのは生来の「全てが他人事感」が半分、「変な義務感」が半分だった。この頃にはタイで買ったCDの枚数は300枚を超えていてラジオ出演も好評だったし、「タワレコには置いてない海外のポップス」を紹介している事に少しばかりの自負もあったから、エポックメイキングな出来事になると思って楽しくなっちゃったのだ。実際には大変な事になった。なんの知識も無い一般人が海外の大スターを個人で大規模なイベントに招聘しようというのだ。契約書はネットでテンプレを拾って作った。打ち合わせのためにタイと日本を自費で往復し、ギャラを捻出するためスポンサー探しに奔走し、あと一ヶ月を切った所でSTAMPの興行ビザを申請し忘れてるのに気付いたりもした。直前に出演キャンセルになっていたらどう責任を取るつもりだったのか、と問われたら「そんな事態になる可能性について1ミリも考えなかった」と答えるしかない。底なしのバカである。しかしタイ大使館に陳情したりして最終的には全て間に合ったのだ。協力金としてスポンサーから頂いたお金もギャラの足しにとSTAMPにあげてしまったから僕にはちょっといい冷蔵庫1台分位の出費と、それを「まぁしょうがないな。楽しかったし」と許せる位の充実感が残った。2018年のタイフェスティバル名古屋は過去最高の135,000人の来場者数を記録した。

タイフェスティバル名古屋でのSTAMP

 「STAMPを個人でフェスに呼んだ」という実績はパワーワードとして抜群で、僕の所にはWEBメディアや他のラジオ局からのオファーが来るようになった。同時にSTAMPからはタイポップスの「デジャヴ感の秘密」を解き明かせそうな鍵をもらっていた。タイでは90年代にジャパンカルチャーの大ブームがあったというのだ。STAMPも子供の頃日本のTVアニメや漫画、ゲームで育ったという。

 ・・・「キャッツアイ」や「SLAM DUNK」の主題歌って杏里やZARDじゃないか!80年代シティポップと90年代J-POPだ!

 その後の取材を通して、数多くのアーティストが子供の頃同じように日本のTVアニメを通じてその主題歌であるJ-POPに親しんでいた事、そこから興味を持ち、YouTubeでJ-POPを検索するうちにほぼ全員が山下達郎に辿り着いた事もわかった。

 タイポップスそれ自体がデジャヴ感を発しているんじゃない。同じジャパンカルチャーを体験して育った世代が作る音楽は、自然にJ-POPやシティポップの影響を受けたものになる。30代以上の日本人が、そこにデジャヴを感じているだけなんだ。

 「タイポップスのデジャヴ感の謎」。こうしてまとめてしまえば数行で収まる字数だ。研究でも評論でもない。しかしこれは僕が探検の中で拾い集めた小さな情報がある日突然像を結んだもので、知的興奮と「腑に落ちた」感覚があった。僕はこの時本当に「探検家」になれたのと同時に、この魅惑の底なし沼に両足を突っ込んだのだ。

Ride (HYBS/Making Steak)

 TBSラジオ「アフター6ジャンクション」、日本テレビ「スッキリ」、DU BOOKS「アジア都市音楽ディスクガイド」、そしてCyndi Seuiの日本編集ベストアルバムの企画選曲。数年前には想像もつかなかった場所と形でタイポップスを紹介する機会をもらったが、その中でも一番想像もつかなかったのは「タイフェスティバル東京オンライン2022」のPRを担当するメンバーのひとりとしてタイ大使館でのトークイベントに招かれたことだった。

大使館の庭で

 大使館で僕の周りにいるのはタイの偉い人と、タイ語が話せる人ばかりだ。ポンコツな僕には通訳さんが付いてくれている。「大変な事になった・・・」と焦っている僕を、また他人事のように俯瞰でもうひとりの僕が見ている。ふたりの僕が混ざり合った結果「こんな場所に僕なんかが来てすいませんすいませんでもマジでタイポップス最高なんで広まればいいなー的な?感じで今日はまぁ僕の経歴でも聞いて帰って~」という、よくわからないテンションで壇上に上がった。

 「タイ語が話せないのにタイポップスのアーティストと親しい」という点に驚いたからなのか、出番を終えた僕の所にはメディア関係者や他の(ちゃんとタイ語が話せる)インフルエンサーの皆さんが名刺を持ってやってきて大使館の一角には乃木坂46の握手会みたいな行列ができた。きっとタイ大使館の方々はこれを狙って僕に声をかけてくれたのだろう。

 何かのブームを仕掛けようとする時に必要なのはインフルエンサーとアイコンだ。タイドラマの場合は「2gether」という作品をアイコンに、多くのファンが自発的にインフルエンサーとしての活動をTwitterや個人ブログを舞台に繰り広げたが、タイポップスの場合は2getherという作品に深く組み込まれているせいかScrubbの楽曲だけを切り離してもアイコンとして成立し難かった。そんな時、作品以外のものがアイコンになる場合がある。熱狂的なファンというやつだ。「乗るしかない、このビッグウェーブに」のBUTCHさんみたいな人の事だ。

 とにかく一度耳で聴いてもらえれば、きっとタイポップスの楽しさは日本人にちゃんと伝わる。同じ文化を体験してきたんだから。タイ大使館はその最初のきっかけを作れる人を探していて、僕のいかれた人目を引く外見とタイポップスに注ぎ込む熱量がアイコンとしての条件にピッタリだったのだ。後は集まった人たちが僕よりずっと上手に広めてくれる。たぶん。

 イベントが終わって駅まで送ってもらう途中で、タイ大使館の方から「名古屋のタイフェスティバルにSTAMPが出演するのを知って私たち皆驚いたんですよ。誰が呼んだの?って。いつか東京でもお手伝いしてもらえたらと、ずっと思っていたんです。」と言われた。雨降りで傘を差していたから、僕がちょっと涙ぐんだのは大使館の人には気付かれなかった。たぶん。

The Jester (Podchara Kumchaisukul/View Of Third)

 新しい2023年がやってきた。2022年末にはコロナ禍以来2年半振りにタイ旅行が叶い、買ったCDの総枚数は450枚を超えた。僕は相変わらずタイポップス探検家を続けているが、去年1年間であらゆるメディアに出まくった中で「タイポップスと言えばこの人」みたいに扱われる事の危なっかしさも感じていた。アイコンとしての役目を仰せつかったのは光栄だったが正直なところアイコンのように簡潔で分かりやすく、伝える力があったかと自問すると心もとない。どちらかといえば僕のした事は道化師に近かっただろう。教養も語彙もお粗末な僕はこの先決して専門家にはなれないし、今のポジションに既得権益みたいにしがみつく気もない。この後タイポップスを本当の意味でK-POPと並ぶ位に身近な音楽にしてくれるのは、大使館で僕なんかのために行列してくれた「ちゃんとした」インフルエンサーの皆さんと、何よりタイポップスに興味を持ってくれたあなた自身だ。

 「私だけかもしれないレア体験」の話はここまでにしよう。でも、これまでカオマンガイや古式マッサージやインスタ映えする寺院に隠れて誰も気にしていなかったタイのポップカルチャーが日本に知られるようになった事は「あなたのレア体験の始まり」も意味している。日本に来る海外観光客が京都や富士山だけでなくコンビニのおにぎりや鉄道ダイヤの正確さに感激するように、レア体験は歴史ある観光地ではなくタイの現在があふれる街なかにこそ転がっている(タイでコンビニに入るのは本当に楽しい)。もしタイに旅行する機会があったらデパートやホテルのレストランで流れる音楽もちょっと気にしてみて欲しい。


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