煙都煌々 vol.001

 一際大きな歯車の音が響いて、ぐらりと車体が揺れるのを感じた。木製の椅子に深く座り込んで、どうやら眠っていたらしい。午後の乗合ロープーウェイはほどほどの込み具合で、空いている席もあり、立っている人もおり。大きく縁どられたガラス窓から差し込んでくる五月の陽光が美しい。真鍮の真新しい手すりの輝きがぴかりと目を射るようだ、蔓を模したような繊細なデザインが車体全体に取り入れられている。先ほどの大きな音は停車場に着いた音らしかった。話し込みながら、または無言で人々が乗り、降りる。鉄骨の伽藍のある美しいステーションだ。ぼんやりとしている間にまた大きな音をたててロープーウェイは滑り出した。
 ゆっくりと、と感じられる。だが引っかかりなく動いているだけでそれなりに速度は出ている。彼は体をよじり、眼下に見える大坂のまちを見下ろした。黒瓦や赤レンガがきらきらと光っているように見える。まちのはずれのこの周辺にも、元から二階建の立派な作りの家もあったが、最近は三階建てや、煉瓦や鉄骨造りの四階、五階果ては十階建てやらも雨後の竹の子のように次々と建って、とうとう鉄骨の化け物のような通星閣が建築されたのはついこの間である。ロープーウェイの行く手、威容を持って城のようにそびえている。
 「ほんまあの通星閣……、」
 「わたし、あれ嫌いですねん。なんやお化けみたいですやろ」
 少し離れたところに腰かけた二人の老婦人が小声で話していたが、分からなくもない。今日のように晴れた日ならまだいいが、薄暗い、冬の曇った日などに下から見上げると彼でも不安になるようなところもある。
 それはあまりにも大きすぎる。パリの凱旋門を模したという下部分、細かな土産物屋や骨董店、ロープーウェイのコンコースがみっしり詰まっている。そこだけでも実際の凱旋門よりもっと大きくなるように作っているというし、さらにその上の塔の部分の細長さ。いかにさまざまな計算をして、鋼鉄、真鍮、その他素材で織り上げたと言っても、その計算を上回る地震や台風が来ないとも限らないのではないか、そんな話は折々に出ていた。
 「最近は私らにはわからんことばっかりですわ、蒸技、蒸算、さっぱりわかりゃしません」
 「ねえ、えらい世の中。孫も最近は蒸気車が欲しなんて言うて、あんなもん怖ぁてわたしよう乗りませんわ」
 また例の歯車音がして、ゆっくりとドアが開いた。独特の香りのする蒸気の塊がふわりと足元を撫でるように侵入してきた。その通星閣に到着したらしい。降りたホームは乗客や駅夫でごった返し、先ほどの老婦人二人連れもすぐに見えなくなった。大坂の四方八方から到着した人々が乗り換え、また降りていく。さすがに梅田方面からの車体から吐き出される人々は燕尾、山高帽、よい身なりに、着物の色も鮮やかだが、ステーション全体に籠る薄いスチームで、その色も、コンコースを飾るご自慢のシャンデリアも、柔らかく輪郭をぼやかしていた。黒く、すこしざらついた質感の鉄の床が、あふれる蒸気でさらに色を濃くしている。
 改札は新型の回転式のバータイプで、横手から三本松葉のように生えた真鍮のバーを押して出ていく。周囲には券売所、新聞や菓子などを売るスタンド、土産物屋や軽食屋などがところ狭しと詰め込まれている。そこいらにも物売りがおり、まるで市場のような賑やかさだ。慣れた出口までの道を歩き、凱旋門部分の中央からのびる、作りつけられた黄金色の大階段を下り地上に降りる。横手を下りていくのは名物三十人乗りのエレベーターだ。真鍮の籠細工のような繊細な作りで、陽の光をあびてキラキラと輝く。
 通星閣の周りも食事処、土産屋、遊技場などが密集して並ぶ。進行方向の逆側には遊園地ルナパークが広がる。土曜の昼とはいえ、かなりの人出だ。移動と観光と住んでいる人々がぶつかり合い、5月だというのに少し暑い。
 離れてもまだ家々の庇越しにずんと大きく通星閣が見える。塔の中腹から延びる鉄線は陽光にきらきらと輝くようだ。先ほど乗ってきた梅田、心斎橋をつなぐ鋼線である。巨大な鉄製の駕籠のような箱が吊り下げられてゆっくり空を横切っていく。先ほど乗ってきたロープーウェイが折り返し戻っていくのだった。
 年寄りの話によればここ三十年、五十年で随分世の中変わったらしいが、この町で生まれ育った森竜太としては自分が物心ついた頃から対して大きい変化は感じていなかった。せいぜいあのロープウェイくらいのものだ。
 彼はすこしくたびれた黒い学生服に短く切った髪に学帽を被り、手の中には風呂敷包みに菓子包みとバンドで留めた教科書という出で立ちで道を急いでいた。ほど近い場所に幾つか学校のあるこのあたりではさして珍しくない格好だ。彼自身も十六歳としては平均的な体格で、顔立ちもそう美しくもなく、醜くもなく。一重のわりにきょろりとした目と意志の強そうな太めの眉が特徴といえばそう言えそうな程度である。すこし学生服の袖や裾の丈が短くなっているのと、足下の下駄が若干減っているのもありふれた風で、実際彼は近所の第二中学校の四年生だった。
 難波に出来た流行りの洋菓子屋の包みを持っているが、それを買いにロープーウェイに乗って出かけたらしい。大した距離ではないが、彼もまた新しい交通機関に胸躍る一人の少年だ。むしろそれは乗車する口実だったかもしれなかった。唯一、妙な点といえば菓子屋の包みに載せるようにした風呂敷包み。随分古風なモーブ色の歯車柄だ。数十年前は進歩の象徴として人気のあった柄らしいが、歯車などどこにでもありふれた今はあまり見ることのない柄になっている。それは彼の家の屋根裏から出てきたそのままの包みだった。時代遅れもやむなしだろう。
 麗らかな昼下がりだ。本来は学生が歩いているのはおかしい時間だが、今日は土曜なので学校は半日で終わりである。ほのかな暖かさのある風が吹いてくるが、それが初夏のさわやかさに因るものか、どこからか漏れだした蒸気に因るものかは解らない。かすかな鈴の音が聞こえ、白い猫が走っていった気がした。古いのやら新しいの、高いの低いの混ざりあった町並みだが、植木鉢を置いている家が多く不思議と統率がとれている感じはあった。
 細かい砂利を蹴る豪快な音を立てながら蒸気車が走っていく。町の中心では石畳の敷かれた道もあるがこのあたりはまだまだ未舗装だ。車が吐き出す蒸気で土ぼこりが舞うようなことはないものの、騒がしいことには変わりない。走り去る磨き込まれた蒸気車の流線型の車体と真鍮のパイプが鋭く輝いている。
 蒸気まじりの白いガスが足下を流れていく。鼻腔をくすぐる蒸気の薫りには懐かしさすら感じてしまう。頭上から大きな歯車の音が聞こえたと思うとあたりが不意に暗くなり、ロープーウェイがひとかたまりの影を引き連れてまたゆっくり通って行くのだった。
 
「ごめんください」
 立て付けのすこし悪い引き戸を開けながら彼は言った。家の中はしん、としている。土間の中に足を入れながらもう少し大きな声で繰り返した。軽い足音が聞こえ、友人の永石次郎が見慣れた顔を出した。番茶のような茶色の目に猫っ毛の頭、色白な肌色で背丈だけは森より高くひょろひょろと伸びて少し軟弱そうな印象がある。「おお、久々やな。まあ上がれ」薄鼠色の着物の袖をひょいと振って奥を指さす。

 永石と森は同じ小学校を出た友達同士だが、そのまま中学に進学した森とは違い、日本橋の蒸技師に弟子入りした。日々着実に増えていく蒸気仕掛けの道具や仕組みは、それを作りメンテナンスをする人々も大量に生み出した。蒸気技師、もっぱら人は蒸技師と呼ぶが、それは今やこの大都市の生活には欠かすことのできない職業の一つだ。彼は普段は住み込みでその技を学んでいるが、病気の妹の顔を見るためにたびたびこの実家に帰ってきている。
「小夜子ちゃんは、具合どうや」
「あー、悪くはないな」
 良くもないけどな、と小声で付け足しながら言う。
「悪いなあ、菓子も出さんと」
「うん、持ってきたやつは小夜子ちゃんに食べさせたってくれ。卵にクリームらしいからな、元気でるかもしれへん」
「喜ぶわ、えらい高いもんすまんなあ」
「いや、ばあちゃんがな、どっかで食べて旨かったらしくて持ってったれって」
 二階の彼の自室で、彼の母親が出してくれた茶をすすりながら話を促す。
「で、なんか用事があったんやろ」
「これやねんけどな」
 畳の上に置いた先ほどの風呂敷包みを解くと、そこにはまるで拳銃のような異様な固まりがあった。
 引き金を備えたフォルムは確かにピストルに似ていたが、繊細かつ過剰に這い回る細い真鍮製らしき管や細かいねじの類、手に持つと見かけよりかなり重く、握りの部分の木のプレートと鉄の隙間からは小さな歯車たちが組みあがっているのが見えた。さらに普通ならば撃鉄があるであろう付近には何かを差し込むような口がぽっかりと開いている。
「また屋根裏から出てきたんか」
 少々呆れながら永石は言うには訳がある。森の家には両親が不在で老いた祖母と二人で暮らしているのだが、すでに死んだという父親がかなり酔狂な人物だったらしく、蒸気で動くものや動かしかたすら解らないもの、驚くべきほど繊細な歯車細工などが大量に屋根裏や物置に仕舞われていて、竜太としては見たこともない父の残したものと言うことで思うところがあるらしく、逐一調べて整理をし、自分一人では見当もつかないものが出てくるとこうして蒸技に詳しい永石の元に持ち込んだりしてくるのだった。謎の機器たちがそこから妙なトラブルに発展したことも一度や二度ではない。
 永石は、仕事で使っているものだろうか、複雑な眼鏡型のルーペを掛けて矯めつ眇めつ。工具箱から細い金属の棒のようなものを取り出して隙間に入れようとしても全く入らず、暫くいじり回してから風呂敷の上にそっと置きなおして、「さっぱり解らん」と重々しく言い放った。
 明日は日本橋へ帰るから、うちの先生に訊いたろか、と彼は言うが、それならとりあえず茜屋に行きたい、と森は言った。
 茜屋は角を曲がったところにある子供だましの駄菓子や玩具とたばこを売っている店で、彼らが小学生の頃から行きつけの場所だった。店先にはネジに模した飴や、きなこや小麦粉で出来たお菓子や、シリウス製菓のシガレット、空を飛ぶおもちゃや、張子の人形、あてもの、圧縮蒸気管の模型、パンチカードのきれっぱしなどどう使うべきかよく解らないもの大量に詰まれ、いつ行っても幼い子供や子守の娘が群がっている。
 行き慣れた道を歩いていると、永石が妙な声を上げた。見ると店の前には駄菓子屋に不釣り合いなピカピカの蒸気車がでんと構えている。モスグリーンの車体も硝子窓も磨き込まれて美しく、真鍮のパイプがまるで衣装の縁取りのようだ。流線形に長くとられたボンネット、夢の中から生まれてきたような美しい車に吸い込まれる様に永石が近づいていく。
「すげえ、今年の型だぞ。最新だ」
 今すぐにでも撫で回したい。そんなうっとりした表情で、小さなため息を漏らす。夢うつつの気分をかき消す悲鳴に近い声がきこえてきたのは店の中だった。

「だからこの猫を見てはりませんかっ!」
 彼らは顔を見合わせ、車の横を回り込みそっと店内をのぞき込んだ。いつも通りにごちゃごちゃとした店と彼らが子供の頃からすでに老婆だった店の主は相変わらず。老婆は店奥に誂えられた小さなスペースにいつもどおりにちょこんと座っている。その横に立っている人物が先ほどの大声の主らしい。まったく同じフレーズを繰り返して叫んでいる。
 身なりは悪くない男だ。紙切れを振り回しながら店主の老婆に突きつけているが、もともと耳が悪いこともあって、目をしょぼしょぼとさせながら、ハア、など小声でつぶやいている。
「もういい、ご婦人はご存じない様子や」
 車の中からもう一人、小さな人影が出てきた。女学生らしい格好をしているので歳の頃は二人とそう変わらないか、少し下かくらいだろう。身なりの良い華奢な少女だ。豊かな黒髪を車と同じ深い緑のリボンで結んでいる。大きな目をはっきりと長いまつげが飾っていて、黙っていれば美しい少女のうちに入りそうではあるが、なんとなくお転婆そうな雰囲気があった。
 森と笠井は顔を見合わせて、無言で頷きあった。この厄介に巻き込まれないうちに、そっと顔を引っ込めてどこかで時間をつぶして出直そう。そうお互いの顔にありありと書いてあるのが目に見えるようだった。
「ちょっと、そこの方々」
 遅かったようだった。少女がくるりと後ろを振り返り、まっすぐ歩いてくる。
 近寄ってくると背丈は思ったより低い。かかとが少し高い革のブーツをはいているようだ、紐を止める金具まで細かい装飾が施されていかにも高価そうである。美しい花柄の描かれた振り袖に、リボンと同じ深い緑の女袴。白いきめ細やかな肌に、澄んだ湖の底のようにきらきらと輝く瞳、赤く染まった頬、薄く形良い紅色の唇。どこからどう見ても裕福な家のいとはんである。
「この猫、ご存知ないやろか」
 差し出された紙には猫ヲ探ス、と大書されており、その特徴らしいことがこまこまと書かれていた。名前はルル、ルルと呼ぶと返事をします。大振りな体で、毛の色は白く長い、顔の中心と、耳、足、尾の先だけが焦げたように灰色になっている。上等な絨毯のようである。おとなしく、大きな声では鳴かない。太く立派な尾がある洋猫、云々。雑な似顔絵もついている。
「いや、知らんなあ。永石は」
「ぼくも知らん」
 少女の顔には明らかにがっかりという色が浮かんだ。それを見て森は少し苛ついた。なぜ初対面の、挨拶すらしてこないこんな女にがっかりされなければいけないのか。そんな筋合いはどこにもない。
「どうせ猫にもそないな大声出して逃げてしもたんやろ」
 思わずそんな、意地悪めいたことを言ってしまった。
 まずいことをしたか、と思ったときにはもう遅かった。少女の顔からさきほどのがっかりしたような感情すらもぽろりと落ちて、すっと表情が無くなる。
「私が、どんな気持ちで」
 青みがかって、揺れる白目から、一しずく、涙がこぼれて。
「どんな気持ちで、いるか」
 あーあー、と小声で囃し立ててくる永石を横目に流石に悪いことを言ったと思って謝るものの、固く結ばれた薄い唇からはなんの言葉も出てこない。先ほど騒いでいた男はただおろおろとしている。少女の細い手がその白い顔を覆う。
「まあ、こいつに責任持って、猫は探させますから」
 勝手に永石はそんなことを言う。すると彼女は手をぱっと放して前を見た。数滴こぼれたはずの涙も跡形もない。してやられた。
「本当に!?」
「違わへんよ。ところでここに書いてある猫を見つけた方には謝礼として二十圓って」
「もちろん、お支払いするわ!」
 話がどんどん勝手に進んでくので、森は慌てて永石の腕を引いた。そのまま少女に背を向ける様にして、あくまで小声で「どういうことやねん。猫なんて探したくないわ」と言うと、永石は握りしめていた先ほどのビラを指す。そこには確かに話通り、二十圓の謝礼と黒々とした墨で書いてあった。
「小夜子の病気に、聞くかもしれへん薬が出たんや。けど、輸入物で結構高い。一回分で六圓や。二十圓あったら何度か試せる。一緒に猫探してくれ、心当たりもいくつかあるし、頼む」
 そんなことを言われてしまうともちろん断りようもない。
「心あたりがおありやの?」
「ええ。もしよろしければ明日の一時くらいここまでいらしていただければ、お連れしますよ。よろしければそのビラも印刷でしょう。沢山持ってきてください」
「嬉しいわあ!ぜひご一緒させてくださいな」
 先ほどとはうってかわった笑顔だ。
「では、宜しくお願いしますわね!」
 何も言い返せぬ間に、少女はくるりと身を翻し例の最新型の車に乗り込んだ。ばたん、と音を立てドアが閉まり、真っ白な蒸気を吐き出しながら夢のように車は行ってしまった。
「いったい何やったんや」
「お猫様を探してお薬買うんやで」
「あんな心当たりなんていうて」
「まあ、無駄にはならへんやろう」

 気を取り直して店先の駄菓子をいくつか買い、鎮座する老婆に二階に上がっていいか訪ねる。今日は三回聞き直されるだけですんだのは幸運だった。
 茜屋の二階は下宿として貸しており、そのうちの一人である顔なじみの植野を訪ねるつもりだったのだ。
 植野は大学の三回生で蒸算を専門に学んでる男である。
 蒸気を利用し動くものやしくみ自体を作る蒸技とは違い、蒸算は動かしかたを決定する作業だ。西洋式のタイプライター機器などを扱い行うそれはプログラミング、とも呼ばれるらしい。今日の世の発展にはこの蒸算が貢献しているのは子供でも老婆でも知っているので、それを学ぶ植野は非常によい扱いを受けて二階の一番日当たりのいい部屋に陣取っている。あの蒸気車の流線型やロープウェイの歯車の配置も、直接作ったのはもちろん蒸技師だが、それを導いたのは蒸算である。
「植野さん、居はりますか」
 なんだかぼんやりした生返事が返ってきたので板戸を開けると西日のよくあたるほうに机を置いて、こちらに背を向けて植野は座っていた。先ほどの生返事とうって変わってすばやい手の動きで弾いているのは蒸算盤である。
 蒸算盤こそ、現代の日本の町を作った立役者と言えるだろう。外国から入ってきた大きな歯車でできた装置はまずカードの穴を読みとって動くものだった。その後、タイプライターと合わさってやってきた。しかし、日本には昔からそれよりずっと昔から手動だがすばらしい計算機があった。そろばんである。数字を打ち込むのにそれは非常にいいアイデアだった。蒸算がこの国にやってきて十年も経たないうちにすっかりそろばんは新しいいくつかの機能とともに蒸算盤として活躍する事になった。
 植野の蒸算盤は木と真鍮で作られており細長く、大きな桁まで扱うことのできるものだ。蒸算をやるものとしては非常にスタンダードなものと言えるだろう。読み込み部から飛び出したいくつかのコードは組み紐のような素材で包まれていて、一部厚くなった枠組みには決定や解除という符のついた釦が厳めしく並んでいる。軽やかな音を立てながら珠を的確に打ち込んではその横の釦をリズミカルに押し込んでいく。そのたびに横に置かれた小さな歯車が密に詰め込まれたちいさな紙打機が震えて、一寸ほどの幅のパンチングシートを吐き出しているのだった。
「ちょっと待ってくれぇ」
 机の上や周囲に散らばった書き付けや貼られた付箋を右手でちょっとめくりながら、左手では数字を打ち込む手を止めない。もうしばらくかかりそうだと、森と永石は顔を見合わせた。手慣れたものでそのあたりに埋もれたりしている座布団を引っ張りだして、床に落ちた紙などを適当に拾い上げ、二人が座れる場所を作る。元々永石は蒸技師見習い、森も学校で蒸算の初歩程度は学んでいるため部屋の中には興味を惹かれる本や模型もいくつもあるのだが、何せ全てが一塊にぐちゃぐちゃと混ざっているので触っていいやら悪いやらさっぱり解らない。
 暫くの後、ようやく植野は彼らの方に向き直った。 はずだが丸顔のせいでさらに若く見える。撫で肩と太ってこそはいないが全体に丸い感じがあり、子供の玩具じみた妙な愛嬌のある男だった。
「いやあ、ごめんね。今日までって頼まれてた事だったから」
「今日はなにを打ってらっしゃったんですか?」
 やはり仕事上の興味もあるのか、永石が訪ねた。新しい生地の柄をつくるプログラムだと植野は答える。機械の雲の上に風神雷神が乗っている帯を作るらしい、と下書きらしい紙切れを見せながら彼はにこにことしているが、森も永石も言葉にはしなかったが、その悪趣味な柄に唖然としていた。
「で、今日は何を持ってきたのかな」
 二人が植野の元を訪ねるときは大体森の家から出てきた謎の機械がきっかけのことが多いので、植野の質問はいつもの質問である。促されて森は風呂敷包みを開けた。植野はその拳銃風のものを取り上げるとふーむと言いながらひっくり返したり、銃口をのぞき込んだり、謎の穴に落ちていた細い金属の棒をつっこんだりという風に子細に見ていった。暫く森も永石も緊張した風で、正座をしながら、いったいこれは何なのかと心持ち前のめりになっていたが、おもむろに発せられた「さっぱりわからんな!」という植野の言葉に、すっかり力が抜けてしまった。
「解かりませんか」
「まあ、見たことない機構だね。ぼくは技術のほうは専門じゃないから詳しいことは言えないけど、もしかしたら何か模型で、動くものじゃないかもしれないなあ。パイプの配置とかも、めちゃくちゃに見えるし」
「模型ですか」
「うん、かなり精密だから、何か作ろうとしたときの試作かもしれないね。形を確かめるために作ったりするんだ。モックっていうんだけど……。そら、その棚にもいくつか入っているだろ」
 言われて部屋の本棚を見ると、隙間に確かに得体のしれない機械のようなものがいくつか詰め込まれている。上野はのそのそとそちらに這っていき、これは僕が作ったんじゃないけど、ということを呟きながら背負い袋のようなものを取り出した。よく見ると布でできているわけではなく、本体は金属、背負い紐の部分は革でできており、随分しっかりしている。
「まあこれは実現不可能ってことで落ち着いたんだけど、言えば試作品の試作品だね」
 金属の部分から何かを引きずり出すように持ち上げると、それはまるで巨大な蝙蝠の羽のような形になった。窓から差し込んでくる光が、何でできているのか、黒い羽を透かして不思議な影を森と永石の上に落とした。
「飛行器、空を飛ぶ機械さ。昔、友人と一緒に研究してたんだ。蒸算のシミュレーションで飛ばないってことにはなったんだけどね、これだけは作っておきたくて」
上野が何故かはにかむような顔で、小さな声で言った。
「まあ、こういうものかもしれないね」

 結局、何もわからなかったので拳銃のようなものは永石が持って帰り、彼の師匠へ確認をお願いしてもらうことにした。その日はそのまま別れ、心当たりとやらの為に翌日、茜屋前でと待ち合わせして帰った。せっかくの日曜なのに猫探しか、と森は考えたが。、日曜と言っても永石や学友達と遊んだり一緒に勉強をしたり本を読んだりしている程度だから、そう変わったところもないか、と思い直した。はめられた感があるとはいえ、女の子を泣かせてしまったのはやはり気まずい。
 日曜も、朝からさわやかに晴れていた。
 茜屋に行くと、店の老婆が珍しく話しかけてきた。友達なら二階にいるよ、ということで、礼を言って上がらせてもらう。階段を上がる音を聞きつけたのか、植野の部屋の戸が開き、永石が顔を覗かせた。
「いやあ、良かったよ。昨日君たちが帰ってから思い出してね」
 顔中に人のよさそうな笑顔を浮かべながら、植野が細長い布包みを取り出した。昨日の風呂敷と同じ歯車柄が染め抜かれている。剣道の練習用の竹刀を入れるくらいの袋だ。
「おお、あれ貸してたんか」
「ちょっと研究用に借りてたんだよ。いやあ見事なものだね、これはお父上のものだと言っていたよね。一体何をしてらっしゃったのかなあ」
「それは祖母も教えてくれへんのです、こういうのも持ち出すのにあまりいい顔をしなくて」
 でもこれから出かけるなら、後で取りに来てもいいよ。と植野が言ったところで、荷物が崩れるようなかなり大きな音がした。続いて間違いなく昨日の少女の声である。
「あの女、騒がな気がすまへんのかなぁ……、」
「随分なこいさんやなあ」
「すごいええ服、着てたけどどこのお嬢さんやろ」
「まさか満願家とか」
 永石が大坂随一の名家の名前を口にする。砂糖と石炭で財をなし、通星閣やロープーウェイの建設にもかなり出資しているといわれる一族である。
「まさかぁ」
「まさかね」
 そんなことをぼやきながら慌てて階段を下りると、またあの大きな車で乗り付けたらしい少女とお付きらしい昨日の男と、大量の飴やらが地面に転がっているのが見えた。狭い道なのでぶつけたらしい。
「失礼をいたしまして……、どのようなお詫びを」
 神妙に老婆に謝っているが、それも聞いているのかいないのか。
「いや、普通に弁償したらええんちゃうかな」
 まずそんな車で何度も来るな、という言葉を呑みこんで言うと。そうね!と元気よく頷いた。臼井、と声をかけると、お付きがはっ、はいと言いながら駆け寄ってきた。植野とはタイプが違うが、これまた気のよさそうな雰囲気の男である。
「はい、お嬢様」
「お財布出してくれはる?」
 恭しく差し出された小さな鞄を受け取り、少女は老婆のほうに向きなおって言った。
「大変申し訳ないことを致しましたわ。あの分はお幾らかしら」
 言いながら財布から取り出したのは五圓札である。老婆はさすがに驚いたらしく、そんな頂いてもお釣りのご用意できしまへん、としどろもどろになりながら返していた。
「もっと細かい額だしたらな、おばあちゃん困ってはるやん」
 あきれた様子で、思わず永石が言うと、申し訳なさそうに少女は、これが一番手持ちで少ない額だ、と言った。細い指で財布から取り出したのは、一圓札が五枚と、五圓札が三枚。
「俺、五圓なんて見たのひっさしぶりやわ……」
「せやなぁ。あのな、こいさん。その財布の中身でこの店のもん全部買えるわ」
 尋常ではない全員の反応に、だんだんと怯えたようになりながらも手に持っている札が使えないと悟ると、さすがにしょんぼりした様子でどうすればええん、と小声で呟く。
「あーぼく出しときます」
 固まった場を救ってくれたのは、藤原と呼ばれた運転手だった。
 運転手は、さすがに常識的な財布を持っていた。

 心当たり、と聞いてあっさり見つかるとも思っていなかったが、行ってみると四天王寺の縁日だった。
 どさくさに紛れて少女の最新の蒸気車に乗れたことは幸いだったが、漠然とした永石の指示ですこし遠回りをしてしまった。急に横道に入れなど言ったりするので、森は少し酔ってしまったようだ。例の長い包みもうっかり持ってきてしまって、邪魔なことこの上ない。
「ほら、ひと多いやろ。ここで聞いたら大坂中で聞くのも一緒やし。それにいまサーカス来てるねん。ああおいうのって珍しい動物使ったりするやろ。もしかして捕まえとるかもしれへんなあ、思ってな」
「お前、それは偏見やろ……」
 語る永石に冷めた目を向ける森は、さらに嫌な予感を感じて少女のほうに向きなおる。こんな人ごみの多いところにこんなお嬢様を連れてきてはまずいのではないか。怒り出すのではないか。と思うと彼女は目をキラキラと輝かせている。これはよりまずい方向だ、次のセリフは聞かなくても分かる。
「サーカス、見たい!」
 すっかり自分の猫がサーカスに出ているかもしれない、という気持ちになったらしく、わくわくとした足取りで境内を駆けていく。露店が並ぶ敷地の隅の広場に、茜屋を六軒ほど並べたくらいだろうか、とんがり屋根の可愛らしいテントが張られていた。森は見世物小屋くらいのものを想像していたのだが、それよりはいく回りか大きい、立派なものだ。生成りと臙脂の縞柄に、金の縁取りが折々に入った美しいテントだった。看板には飾りアルファベットが描かれていて、スチームパンクサーカス、蒸気見世物と言った文字に怪しげな絵や文言が描かれたポスターがそのまわりに貼られており、かなり後ろ向きな気分だった森もここまで来ると楽しい気分になってきた。丸い台の上に立ってお代は見てのお帰りだ、と叫ぶ燕尾服姿の男と、その後ろに低い櫓を組んで、西洋風の派手な格好をした男女が三人ほど、複雑な形状の太鼓や見たこともないような太い胴に細長い竿のついた楽器で、騒音一歩手前のやかましい音楽を奏でていた。
 促されて中に入ると思ったよりも広く、中心に丸い空間が広がっており、塀のような縁のようなものがあたりを囲んでいた。その周りのすこし高くなったところがすり鉢状に客席になっている。少女が前のほうで見たい!と騒ぐので親子連れやらに交じってまだ少し空いていた一番前の席に陣取った。
 天井から吊るされていたランプが一つ、また一つと消え、薄い闇がテントの中に満ちていく。珍しい電気のランプである。人々のささやく声の期待に満ちたトーンや、衣擦れの音。そんなもので空間が満たされ、外よりも随分と暖かく感じる。
 中央の明るいランプが一つつき、外国人らしい、燕尾服を着た年かさの男がレディース、アンド、ジェントルメン! とお決まりの言葉を叫び、そのあとは片言の言葉で、遠い国からやってきたことやらをくだくだと述べ、ソレデハ、ジョウキイチザの コウエンを オタノシミクダサイ!と叫んだ。その瞬間明るく白い光が爆発し、透ける妖精のような衣装に身を包んだ美しい少女たちが賑やかに踊っていた。空中ブランコや道化師の玉乗りなど、サーカスらしい演目もあったが、蒸気見世物と言うだけあって、蒸技が取り入れられたものが多かった。小人の女が出てきたと思うと、厳つい、巨大な鎧のようなものが運び込まれ、ちいさな梯子を使って彼女がそれに入り込むと鎧が意のままに動くというもので、子供の頭ほどの鉄の玉をお手玉のように投げたりするのだが、どうも鎧自体を蒸気で動かしているようであった。他にも、スチームバイシクルと呼ばれる鉄の馬のような二輪の車で、設けられた台と台の間のかなりの距離を飛んだり、窪んだ舞台の周りの縁を横になったまま走り抜けたりなど、子供向けと思っていた森も、なかなか引き込まれて拍手をしたり、ため息をついたりしていた。
 見世物小屋のような怪しい演目もいくつかあり、ステージの上に運び込まれた人は入れないだろうと思われる小さな箱から、非常に美しい少女がゆっくりと現れ、この世のものとは思えない声で異国の歌を歌った後また箱の中に折りたたまれて帰って行ったり、電気を使った交霊術、という触れ込みでテルミンと呼ばれる謎の箱から聞こえるこの世ならざる声を聴いたりした。動物を使った芸は少なかったが、蒸気の鎧を着こんだ小人女が熊と対決するということで再度入場してきたときに、舞台の縁を突き破っていきなり蒸気車が飛び込んでいた。随分慌てた様子でとっさに鎧がその車を抑えると、客席は新しい演出だとやんややんやと囃し立てたがどうも様子が変だ、とざわつき始めた。その、すこし型遅れになった茶色の蒸気車にはだれも乗っていない。今までテンポよく進んでいた進行が止まり、抑えている鎧も力が尽きはじめ、一歩、半歩とずるずると後ろに下がっていく。どこかで悲鳴が上がった時にはもうパニックになり始めていた。観客たちは我先に外に出ようとするが、出れる場所は二か所しかないので人が渦になってどうにも動けない。かなりの人がテントの外に逃れたようで森ら三人も逃げようとしたが、出口にすこし近いところにいたのが災いして人の流れに逆らって席を立つのも難しい。
 そのうちに、蒸気車の後ろから空気が抜けるような音がして、白いものが吹き上がった。
「まずい、蒸気が漏れてる!」
 言うか言わないかのうちにすさまじい音がして後ろの部分を覆っていた鉄板が飛び上がった。抑え込むことで行き場を失った力が爆発する。永石はとっさに少女を抱きかかえた。飛んでくる鉄板は、森の目には随分、ゆっくりと見えた。
 飛び込む。絶叫しながら振り下ろす。
 大きな音を立て、鉄板は二つに引きちぎれて舞台の縁に刺さっていた。車は力尽きたようにぐったりしたように見える。森は大きな刀を手に、舞台の端で膝をついた。肩で息をしながらゆっくりと座り込む。
 ぽとりと布きれが落ちた。先ほど植野から返してもらった布包みの生地だ。中に入っていたのはその刀だった。飛んできた鉄板を切ったのも。
「なに、あれ……」
 少女が茫然とした声で、呟くように言った。
「あれは、蒸気で振動する刀や」
 鈍い光を放つ鋼の刀は百年も前に侍がぶら下げていたようなそれであるが、握りの部分は真鍮の煌めきや革で飾られ明らかに違うことがわかる。圧縮蒸気管が内部に埋め込まれているのがパイプの隙間から見え、手を通す形の持ち手は西洋の剣に似ているがもっと工業製品に似た不思議な無機質感がある。森が手元のスイッチを切るとさっきから不気味に響いていた歯車がかみ合うような音がぴたりと止んだ。振り回すには重いものなのだろう、だるそうに手を放すと、重い音を立てて地面に突き刺さる。
「また、目立つ真似してもうた……」
 人の命を助けたとも思えない、情けない森の声が静かになったテントにぽつりと響いた。

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煙都煌々

スチームパンク小説「煙都煌々」

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