黄泉の道


元来夜行性の私は夜のお散歩が好きだ。コンビニでもいい、目的がなくてもいい。とにかくぶらっと陽の落ちた街を、街灯を頼りに涼しい気温を浴びながら歩くことが楽しかった。

見知っているはずの景観も、夜が来てしまえば途端に知らない顔をする。そんな町に私もまた他所行きの顔をして、人々の寝静まった世界を堪能する。

その日は何となく家に帰れない日で、昼から夕方へと移ろう頃、電車だと急行で隣の駅に、各停でゆったりと映画を観る為に訪れた。

映画を観終わったあとの喪失感を抱えながら、どこかこのままではまだ帰れないと思った私はすっかり暗くなった駅の周りを少し探検することにした。

知らない土地はワクワクする。

だから、あてもなくフラフラと彷徨える。

面白そうな名前のお店を見つけては、外から僅かながら見える内装にどういうお店かを想像して、いつか行ってみようと無責任にも思うのだ。そんなこと、きっと忘れてしまうのに。

そして駅周りを一周し終わる時、急にあたりが開けた、と思えば大きな鳥居が闇の中に出現していた。

正面までくると、何百メートルにも参道が伸び、ここからでは見えない最奥部に興味が惹かれる。

両サイドの長いこと使われていないだろう石塔を見やりながら私は吸い込まれるように鳥居の中へ足を踏み入れた。

夏も終わる9月の下旬、ひんやりとした空気を肌に感じながら静かに歩いていった。

等間隔に並べられた街灯だけがその道を照らしている。

あの世みたいで歩いているだけで落ち着いた。死地の淵というか。

三途の川もなければお花畑もなかったけれど、渡し守がいても渡賃の六文銭は持っていなかったし、目を引く彼岸花が咲いていてもこの景観にはそぐわない。創造の地獄よりよほどリアリティのあるこの世のものではない空間がスッと馴染み、その心地好さに思わず涙ぐみそうになる。

最奥にたどり着けばその門は固く閉ざされていて、浮世の散歩も終わりかと寂しくなる。

そのあとの記憶はあんまりないけど、普通に駅まで戻って、特急に乗って帰った気がする。

神社って、やっぱり不思議な力があると思ったとある日の出来事。


夜のお散歩一緒にしてくれる人、大歓迎ですお待ちしております。



気ままにどうぞよろしくお願い致します。 本や思考に溶けますが。