私が欲しいものはいつだって値札がついていない


いつまでもいつまでも私だけが前に進めない。

久しぶりに煙草を吸った。電子だけど。
酒も空けた。明日も当たり前に仕事だけど。

そうでもしないとやってられないだとか、また同じ明日が来るだろうことへの逃避だとか、そういう理由も山ほどあったけど――、空っぽの自分を見透かされたような気がして、なんだか心にズンときたからだ。

そんなことはとうの昔に思い知ったことなのに、改めて己の浅はかさを知る。そして自分の女々しさや格好の悪さに辟易す。

満足という言葉を聞いて、もう何年満足なんてしてなかったっけなと振り返っても思い出せない。追いかけ続けている懸案事項はTHE・現実って感じで一向に片付かないし、目下それくらいしか私のこの世に留まり続けている理由もない。

たかが一時、同じ思いを持っていただけの元から他人だ。それを今更どうこうなんて烏滸がましいにも程がある。頭では理解しているつもり。

あの日からどこかがおかしい。何かが欠けている。宇多田ヒカルも最近 止められない喪失、なんて歌っていたけれど。その宇多田ヒカルだって教えてくれたのは。

根拠のない「大丈夫」を繰り返しながら、流し続けている血の輸血を行う延命の日々。当たり前に終わりなんて見えないし、当たり前にそこは現実で、違ってしまったあの日をもう幾ら恨んだだろうか。

静かなる絶望。緩やかな破壊。こういうことだけは忘れない人の海馬が憎たらしい。何でもない風に、可能な限りは穏やかで、そういう擬態を続けていくうちに、もうすっかり常軌を逸してしまったのだ。それがこの世に露呈することはまずないが、腹の内で常人とは似て非なる気味の悪い化け物が巣食っていることを自覚し、もう普通には生きてゆけぬと悟ってしまったのだ。

明日に備えて眠る為に目を閉じるたび、このまま目が覚めなければいいのにと思う。それがイコール リアルな死かどうかはさておき、そういう厭世の仕方ならばそれはもう今晩でもいいと私は言った気がする。

何か一つ、自分の満足することやものがあればいいのだ。何か一つ。きっと人はこれを器用に満遍なく、幾つも持っていて、バランスよく紛らわしている。ストレスコーピングでもいいし、アンガーマネジメントでもいい。とにかくしっかりと逃げ道が確保されている。

私は世の9割9分9厘が興味の対象にならない。その代わりと言ってはなんだが、厄介なことに私にとっての何か一つ、は文字通り本当に何か一つ、なのだ。何か一つ。そのみっともない執着が先に述べた私の中に棲まう化け物の養分となる。

それが得られぬ限り私はきっと生涯満足しない。いや、満足しなかったじゃん と責めることの出来るそのただ一人だけが、私の化け物を跡形もなく殺せる英雄であり、私が人に還ることの出来る、唯一の救いなのである。


(下書き供養)




気ままにどうぞよろしくお願い致します。 本や思考に溶けますが。