suehara_-_完成

思い出したよ……私が一番咲SSをやっていた頃のこと

 初めまして玉手箱つづらです。
 (とりあえずフォロワー?さんが付くまでは毎回初めましての精神で行こうかなと思いついたので試しています)

 ええと、私玉手箱つづらは趣味で小説を書いておる者なのですが、ノートでは後書きの再利用をやっていこうと思っておりまして。
 詳しくはこちらの自己紹介を参照していただければなんですが、
 簡単に言うと、カクヨムさんの隅っこに眠らせてた雑文を貼るからオラもノートに混ぜてくれ、ということです。混ぜてくれ

 というわけで早速その第1弾です。
 以下の段落の文章は以前「しっちゃかめっちゃかと愛のピース」という小説を書いた際に、咲SSにハマっていた頃の気持ちをなんとなく思いだして、その思い出?を後書きにしたものです。
 珍しく後書きらしい繋がりが無くもない文なので、単体だとすこし違和感があるかもなんですけど、その辺はなんとなく読み流してもらってだいじょうぶです。
 あと、ほとんど自分に見えていた世界の話なので「インターネット文化の分析」みたいな価値はぜんぜん無いです。半分自分語りです。あしからずご了承いただければと思います。
 ちなみにこの記事のヘッダーにしているのは僕が「咲 -Saki-」で一番好きなキャラクターである末原恭子を軽く記号化したものです。ツイッターのアイコンにもしているお気に入りの画像です。

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 昔……5、6年前くらいですかね、某有名インターネット掲示板で、「咲SS」が流行ったんですよ。
 アニメ化もしてるトンデモ麻雀漫画咲 -Saki-」の、えーと、文字による二次創作ですね。
(この場合の「SS」っていうのは「ショートストーリー」とか「サイドストーリー」とか「ショートショート」とか……なんか由来候補がいくつかあった気がするんですけど、ほんとのところなんなのかは、僕もよく分からないです)
 色んなところで色んな人が色んな形で活動してたので、一口にこういうのとは言えないんですけど、僕が主に触れてたのは

バイクで海の上走りたいよ
乗ってください」ブォンブォン

 みたいなかんじで、名前鍵括弧オノマトペ9割以上が構成されている地の文無しのやつでした。要は戯曲本形式、みたいな。
 この咲SSがねー、無茶苦茶おもしろかったんですよ。
 当時の僕は寝ても覚めても咲SSでした。最初は読む側だったんですけど、だんだん自分でも書いてみたくなって、なんかチャカチャカ書いてましたね。もちろん有名どことかではなく、隅っこでなんか書いてるだけでしたけど、それでもすっごく楽しかった。
 僕が最初にハマったSS文化は咲SSの更に5年前くらいに流行った「けいおん!SS」で、これも僕に多大な影響を与えたんですが(このときは読み専でした)(これについてはいつか機会があれば書きます)、咲SSの時は僕自身時間やらなんやらの余裕があった時期だったのもあって、まあドップリ行ったんですよ。
 簡単にまとめると、けいおん!SSが僕の幼稚園で、咲SSが僕の小学校ってことですね。
 冗談抜きで大切なことをたくさん教わりました。モノのジャンル問わず、美味いものは全部食べて血肉にしていきたいです。

 咲SS、なんであんなに楽しかったのかな、と時々考えます。ので、それもちょっと書いてみようかなと思います。
(※以下は完全に個人的な見解です※二次創作へのスタンスの違いって結構過激な争いを生みますよね※)

 まずはやっぱり元がいいからなんですよね。「咲 -Saki-」ってキャラとか設定とかが作り込まれてるんですよ。ポンポンポンとキャラが出てくるのに、表面的なとこ以外もちゃんと作られてて、影があって……。
 そして「余白」がある。これが二次創作が盛り上がったポイントかなあと思っています。
 キャラクターたちやその関係性に(、人間性とか、立体感を与えるようにちゃんと作られた上で)「具体的に描かれない」部分が無茶苦茶あるんですよね。想像の余地、というか。
 だから、二次創作も全然窮屈じゃなくて、作りやすかった。
 これが見たい、このキャラのこういうとこが見たい、このキャラとこのキャラの組み合わせが見たい。余白が多いと、キッチリカッチリできてるものより「はみ出し」への忌避感が弱くなるんですよね、たぶん。余白からはみ出してるかどうかって、ちょっと見えづらいし、あんまり気にならないから。だからゆるくなっていくわけです。

 そんなわけで、咲SS文化は全体的に許容度がすごく高かった
 そしてその許容度の高さ、言い換えれば「遊び」の幅の広さが、某インターネット掲示板におけるSS文化にマッチしていたんですね。
 咲SSには真面目というかシリアスというかなもの、恋愛もの、みたいなのも多くあった一方で、カオス系だったり、なんかもう全くジャンルが違う(のに妙に真面目だったりする)(原作×別ジャンルっての自体はSS文化に結構見られたものでもあります)ものもかなりの割合を占めていました。
 なんかもう、正直なんでもありみたいなとこがあったんですよね。SSあるあるなんですけど、咲SSは特にそれが顕著だった気がします。
 作中で会ったことないだろってキャラをくっつけたりとか、普通にあったんですよ。大学編、みたいなのもすごく人気があった(僕も大好きでした)。組み合わせが高校とか麻雀対戦上の面識とかに縛られないし、少し年を重ねたキャラたちがどうなるか、ってのも描けるわけです。誰もあの世界の大学がどんななのかなんて知らないから、そこは想像で書くんですよね。
 もちろん読む人によって「これはNG!」「これは嫌い!」ってのはあるんですけど、少なくとも文化内世論にそういうコードみたいなものは(たぶん)(あんまり)無かった気がします。自由度が高かった、と言い換えてもいい、ですかね。

 これがねー、僕が咲SSを好きだったとこの、結構大きな1つですねー。
 上に書いた大学編みたいなのはまだ全然大人しいほうで、もっと荒ぶってるカオス、本当に秩序がトんでるようなのがたくさんあって……カオスがどうカオスだったかっていうのは、たぶん説明しても伝わらない(強いて言えば上のバイクの例は割とそれっぽい)ので書かないことを許していただきたいんですけども、まあ要は開放感があったんですよね。
 当時僕は文芸部に所属しながらもなんか書けない時期に入ってた頃で、たぶん僕の意識する「小説」の枠と、自分の中にある「書く」の方向性とが全然噛み合ってなかったんですよね。いま噛み合ってるのか問題はこの際置きますけども、今より噛み合ってなかったわけです。
(まあ僕の小説家としての問題点はこれ以外にももっともっと、量的にも質的にももっと、あるわけですけど、それも置きます)(いま大事な話してるんだ)

 だけど、咲SSはなんか書けたんですよ。1つにはキャラが既にいるっていう、めちゃくちゃありがたい前提があって(キャラ作るのってほんと難しいんだよな)、それは絶対欠かせないポイントなんですけど。
 もう1つとして、カオスの筆遣いが、なんか当時の僕にはすごく合ってた。ってことがあると思ってるんですよね。とにかく書いてて楽しかった
 書けない時期に書けるものがあったのは、幸せだなと思います。
(ほんと、全然知られたSSとかは書いてないんですけどね)

 ごちゃごちゃの話は終わりにして。
 あの頃書いてた経験が、今に少しでも活きてればいいなと思います。ていうか、たぶん活きてるから、よかったなと思います。
 ようやく後書きらしいことを言うんですけど、今回の「しっちゃかめっちゃかと愛のピース」は、その頃の書きかたを自分で思い出しちゃうようなことが結構ありました。
 だいぶ見切り発車的に始めたのもですし、あと、カッコつけかたもそれっぽいとこがあったり……んー、書き出すほどじゃないんだけど、実感としてはそういうものが沢山あったなって。
 逆にそれが小説的にはちょっと浮いてるかも、ってとこがあれば、それはちゃんとコントロールしていきたいところですよね。
 血肉にして、練り込んで、僕にしたい。みたいな。

 あんまりこういう、なんていうんですかね……某インターネット掲示板文化みたいなものとか、二次創作文化みたいなものをしたり顔で語るの、よくないよなあっていう後ろめたさはあるんですけども、
 なんか今回書いててほんとにあの頃のことを思い出しちゃったので、自分語り半分のつもりで書きたくなってしまいました。(自分語りもよくないって説があるが、それはもう許してくれ)
 そんな気持ちを引用で表して、長すぎる後書きを終わろうと思います。

「ぼくはそれを楽しんでいた。そんなことを楽しむのは最低だったけれど、そのときは最低の気分だったのである。」
(アーネスト・ヘミングウェイ『日はまた昇る』より)

 大好きな文章です。いつかこんなんが書けたらいいなと思います。
(ククク、SSからの引用かと思ったか……それはなんか違う気がするからしないんだな……ククククク……) 

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 クククククて。3ヶ月前の自分とこんなに気持ちがすれ違うとは思わなかった。
 SS文化ノータッチだった人にはいまいちピンと来ない話だったかもですね。という反省を活かして、次はダンテを読んだ話を持ってきます。
 今日はもう寝てしまうので、たぶん明日あたりに。

 そして最後に、私の小説の倉庫を貼っておくので、もし良かったら覗いて行ってください。飛び跳ねて喜びます。「しっちゃかめっちゃか」も入っております。

 あと、「咲 -Saki-」は最高の漫画なのでこちらも是非。