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【論考】焦りの正体

何か楽しいことをしている時、
あるいは、楽しいことが終わった時。

または、幸せだなあ、と感じた時。

はたまた、答えの見えない問いにぶつかった時。

僕は「焦り」に駆られる事があります。
実は今も少なからず焦っています。

この焦りの正体はなんだろう。

焦りは、心の状態としてあまり良くない、という経験則から、
できれば不要な焦りは取り除きたい。

不要な、と書いたのは、生存に必要な焦りもあると思うからです。
(例:危険な状況において、逃げようという反応)

僕が良く感じている「焦り」について、
書いて整理してみようと思います。

●焦り とは
現実と理想の差が埋められると分かっている状況で、それが出来ない時に感じる感情。
だそうです。
絶対的に無理なもの、ありえないものに対しては、そもそも焦りを感じないという事ですね。

●幸せを感じた時に感じる焦り
幸せを感じた時に感じる反応としては、
分解してみると、
「このままでいいのか?」
という反応でした。

何か幸せを感じていて、
それにずっと浸りたいと思う反面、
ここで落ち着いてしまったら、
「堕落していくんではないか?それにより、せっかくの幸せがなくなるのではないか?」
とか
「いつか不幸になった時に、そのギャップに耐えられないのではないか?」

つまり、「起こり得る今より悪い状況と比較して、不安になり、予防線を張りたい」という感情ですね。

行動としては、
「幸せ」と感じる→「このままでいいわけない」という焦り→その「幸せ」から離れる行為

というパターンになります。
そして、ますます、幸せから遠ざかるわけですね。

●答えの見えない問いに対しての焦り
「答えが見えない」というよりかは、
「答えが見えていて、それに対して自信がない」という事、
「本来実現可能そうな理想ではあるのに、現実的に難しそうと感じて、そのギャップに焦っている」
という状況でしょうか。

焦りによって、
問題が複雑化され、
やるべき事が見えにくくなっている、
と言えるかもしれません。

■焦りへの考え方
まず、幸せに対する焦りに関しては、どうしたらいいでしょうか。

そもそも幸せとは、多くの人間の最終目標であり、
形は違えど、幸せになりたいから、
自己実現の為あるいは単純に生存の為、
何かに打ち込んでいるとも言えますね。
(ただし、自己の幸福追求だけでなく、他者の幸福追求も含まれると考えます。僕的にはどちらも同義ですが。)

なので、「幸せに感じた状態」とは
ある意味、既にゴールしている状態、
「目標を達成している状態」ではないでしょうか。

という風に考えると、
その「幸せに感じた状態」はまず【善】である事、
そして、それを継続している状態が望ましいのは「確か」らしいです。

であるならば、
焦り→そこから離れる という反応は、
目標から遠ざかる行為=「適切ではないと思われる行為」となります。

なので、幸福感の後に焦りを感じたという事は
逆に「今正しい場所にいるよ」という合図でもあるのかもしれませんね。

次に、答えの見えない問いに対しての焦りについてはいかがでしょう。
これは、より分かり易く、
「既に答えが見えている」というのがミソですね。
答えが見えてなければ、焦る事がそもそもないんですね。
なので、その時は、
じっくり自分の心に耳を傾けてみるといいのかもしれません。

いずれの焦りにせよ、
焦りは「良いステップへの警鐘」とも言える気がしてきました。

となると、単純に
焦り→そこから離れる
という反応は良くない可能性があります。

前提としていた、生存に関わる焦りでない限りは、
「焦り」自体を【悪】としない方が良さそうです。

焦り→何かに気づけるきっかけ

と捉えると良さそうですね。

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