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幽体離脱グセと金沢の小さな家で実現したいことがまだカリッとしないなりのメモ

数日前、マイコーチとのコーチングセッションがあった。私がコーチとの1時間で話すテーマに選んだのは、金沢町家のコンセプトで、ここ2週間ほど楽しく頭をぐるぐる悩ませていること。改修にも色々なやり方があって、考え方がすごく大事になる。ワカメの今の意思としては、100年近く前の本来の町家の姿を取り戻すのが第一で、同時に私の好きな空間にしていくのだけど、それだけだと支離滅裂になってしまう(だって私は、北欧建築も担々麺も佐々木蔵之介もカピパラも村上春樹も大好きで、そんなものを散りばめたらまるで学生の闇鍋のようになるから)。よって、「この視点で空間の細部を決めていこう」みたいな、今後の拠り所となるような立ち位置を探るお手伝いをお願いした。

大きな声では言えないが、と言いつつしょっちゅう言っていることなのだけど、私は仕事中に幽体離脱してしまうことがたまにある。たとえば私は毎日現場で割と辛いのに、偉い人が壮大でクリーンなビジョンを語っているとき。あるいは同僚が社会人としての人生が不幸なのは誰か・あるいは私のせいだと一生懸命訴えてくるときなど。毎回ではないのだけど、あまりにも私の美意識や現実感覚に反する場面に直面してしまうと、スッと魂が体から抜けてゆく。私の肉体はそこにいるのに、心ここにあらず、というか。あとは勝手にみなさんでどうぞ・・・みたいな気持ちで徐々に半透明になっていくイメージ。そんなことをコーチに打ち明けると、パワフルクエスチョンをいただいた。

「幽体離脱したワカメさん、金沢の上空までゆっくり飛んで行って、その町家を上から眺めて欲しいのだけど、そこで見たい風景は何?」

うわああああ、そう来ましたか、と思ってペラペラと色々思いつくままに話す。それでその1時間ほどの会話で出てきたKWを備忘のために記録しておくとこんな感じ。

コーチが取ってくれたメモ

大きなところでは、ちゃんと雨を楽しめる空間にすること、そして風が抜けることを楽しめること、一人であっても大勢であってもなんらか静けさと孤独を味わえること、など。

私はこれから2年をかけてこの町家改修をしながら、きっと金沢のことをもっともっと好きになっていくと思う。「愛は、その対象を知る過程の中にある」と言ったのはエーリッヒ・フロムだけど、まさにその通り。だからこの建物は結果として私から金沢へのラブレターみたいなものになる気がしている。

とりあえず原点を学べ、という気分にもなり、ZENの考案者、鈴木大拙先生の日本的霊性を読むところから始めようと思って注文した。

今回の物件は鈴木大拙館から約650メートル。大拙先生がスピリットで監修、みたいな設定もいいかも。

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