短編恋愛小説|花の名前

「クボキさん(仮名)」と名付けたのはあーちゃんだった。

 駅から会社までの通勤路の大通りで、毎朝すれ違う男性がいた。スッと美しく端正な顔立ちで、大通りにあるビルの一つにいつも吸い込まれるように出勤していく。私はいつしか、通りに咲く花を目で愉しむように、彼と往き違う朝の短い一瞬を楽しみにするようになっていた。

「最近ずっと見かけないんだよね、クボキさん」
 会社の休憩スペースで昼の弁当を食べ終わり、お茶でひと息をつきながら同僚のあーちゃんにこぼした。
「あぁ、朝?」
「うん。春からずっと毎朝すれ違ってたのに」

「何それ、誰?」
 同席していた同じく同僚の香苗がにやにやしながら会話に入ってきた。
「妙ちゃんがね、朝、駅から来る時にすれ違うカッコいい人がいるんだって」
「へぇ。ナニ? ナニさんだって?」
「クボキさん」
「いや、勝手にね、私たちで付けて呼んでるの“クボキさん”って。あーちゃんが考えたんだよね」
「そう。妙ちゃんが隠し撮りした写真を見ながら、名前何だろねーって考えてて、なんか“クボキさん”ぽいね、って」
「何それっ! てか妙子、隠し撮りって!」
 予想はできていた香苗の反応に、
「すれ違うちょっと前にスマホいじってるフリしてシャッて……」
 と、恥ずかしい告白をした。

「わぁ。見せてよ写真!」
「ちょっと待って」
 急かす香苗に、カメラロールから彼の写真を探して見せてあげた。
「え、小っさ!」
 クオリティの低い隠し撮り写真に香苗は驚いて、すぐさま指で画像を最大限に拡大した。けれど拡大すればするほど、それはただ、ぼやけた灰色のグラデーションで画面がいっぱいになるだけだった。

「ちょっとね、これじゃ分かりづらいけど。カッコいいんだよ実物は」
 そう半ばムキになって私が言い訳をすると、香苗は写真をトントンッと軽く叩いて元のサイズに戻し、
「うーん、ま、カッコいい……かもね」
 と渋々、気遣うように言った。同情するようにあーちゃんが笑う。

「カッコいいんだよ実物は、本当に。いつもちょっとしかめっ面っていうか、機嫌悪そうなんだけどね。美しいっていうか……」
「じゃ、声掛ければいいじゃん」
 なんてぶしつけなんだろう香苗は、と思いながらさらに弁明をした。
「あのね……花、なんだよね」
「花?」
「美しい花があったら、素敵ねぇって見るでしょ? そんな感じ。それでいいの。それでよかったのに。花、終わっちゃったのかな……」
「また会えるよ妙ちゃん!」
 励ますようにあーちゃんが言った。
「そうだよ妙子!」
 無意味に香苗が念押しをする。

「……だね!」とやけくそ気味に私は昼休みを切り上げた。

 夏の終わりかけの、まだ陽が高い夕刻。仕事を終え、駅までの帰り道を一人歩いていると、途中の脇道から見覚えのある男性がスッと出てきて私の前方を駅に向かって歩き始めた。

(クボキさんだ!)

 会社帰りに彼を見るのはそれが初めてだった。彼と同じ方向きに歩くのも。
 ここ最近、もうずっと姿を見ることがなくなって、それでも毎朝、その日の朝だって、すれ違えないかと姿を探してしまっていたその人に、久しぶりに出遭えた喜びで、私はただただその背中を追い掛けた。早歩きで、というかもう小走りで。何故なら彼は、歩くのがスススととても速いのだった。これまですれ違うだけでは気づかなかったことだ。

 彼は駅前のショッピングビルに入っていく。私は少し戸惑いつつ意を決して後に続いた。息が切れていた。

 エスカレーターで彼が向かった先は、ショッピングビル内の百円ショップだった。彼は店内を歩き回って何かを探している。私は商品棚の陰に隠れながら、一定の距離を保ちつつ様子を窺った。が、彼はある一角で立ち止まりしばらく動かないのだった。

 彼の後ろ姿を見つめているうちに、何をしてるんだ私は? という気持ちが湧き上がってきて、どうしたものかと我に返る。全然興味のないまつ毛エクステを手に取り物色しているかのように装ったりして、余計に困惑した。

 ふと気づくと、クボキさんの姿が見えない。慌てて彼がいたコーナーに歩んで行き、棚の角を曲がる。と、ほんのすぐ目の前で彼がしゃがんで商品を見ていて、驚きおののき踵を返す。再び美容商品コーナーでまつ毛エクステのパッケージを手に取りながら、落ち着きを取り戻すのを待った。

 そして。何を選んでいるのだろう? と、彼がしゃがみ込んでまで物色しているものを、そっと首を伸ばし、目を凝らしてみた。

(……ハンコだ。……ハンコ!?)

 一瞬にしてある考えが巡り、まつ毛エクステをガタガタと棚に戻す。と、彼が何かを手にレジへ向かった。支払いをする彼をしばし遠目に見つめる。会計を終え、黒い革財布と買ったものをカバンにしまって店を出て行く彼を追うか、一瞬迷った。だが見送って、さっきまで彼がいたくるくる回る四面体のハンコの商品ボックスの前にかがみ込んだ。鼓動が高まる。ドキドキしながら或るものを探す。すると、あった。一つだけハンコがなくなっている穴を、私は見つけた。そして、そこに書かれている名前をそっと覗き込んだ。

「笠原さん!?」
 あーちゃんが給湯室で大きな声を出す。

「うん」
「か、笠原?」
「うん」
「本当にハンコ、そこだけがなくなってたの?」
「うん。そこだけ一つ」
 私は力強く頷いた。

「へぇ……」
「うん」
「全然“クボキさん”じゃなかったね」
「ね」
 二人して笑った。

「笠原さん、かぁ」
「うん、笠原さん」

 陽の暮れかけた夕刻だった。いつもの帰り道を歩いていると、前方から〝満面の笑顔〟の男性が歩いてきた。横顔だったけれど、私はすぐにわかった。

(笠原さんだ!)

 あっという間にすれ違った彼を、振り返って目で追う。遠ざかっていく眩しい横顔を、立ち止まったままずっと見つめた。彼の笑顔はずっと横を向いているのだった。そして気がついた。その笑顔の先に、同じく嬉しそうに笑っている女性が並んで歩いていることに。

 週明けの会社帰りに、いつも彼とすれ違っていた大通りに面したガラス張りのお洒落なレストランで、あーちゃんと、部署は違うけど同期の潤之介と3人でご飯を食べた。

「なんか、嬉しかったんだけどね。笠原さん、笑うんだ……って。こんな笑顔なんだ……って。すっごい素敵……って」
 はじまってもいない、恋と呼ぶかも決まらぬ、 胸焦がすというよりは胸焼けたその顛末を、あーちゃんに報告した。
「私も見たかったな」
 彼女ももはや、一連のこの未遂の恋みたいなものの見届け人になっていた。
「あーちゃんにも見てもらいたかった、一緒に。あの感じはね、あの二人の横に並んで歩くあの感じはね、これから始まる、って感じだね。すごくいい距離だった。近くもなく遠くもなく」

 テーブルに置かれた小さな花瓶に手を伸ばし、可憐に咲く花をやさしく掴んで見つめた。
「あの笑顔、正面から見てみたかったな」
 手を離すと花は、ふりんとそっぽを向いてしまった。

「つっまんねぇ。なんかすっげぇ、つまんね」
 潤之介が口を開いた。
「何それ、潤くん」
 あーちゃんが制すように訊いた。
「ホントなんだそれ。全然つまんねぇよ」
「なんか怒ってる」
 あーちゃんが何か言いたげな顔で笑った。
「怒ってねぇよ。つまんねぇって言ってんの」

 変な発言と変な笑顔で、変な空気が流れた。それから私も、じきに笑った。潤之介だけがむすっとしたまま居心地が悪そうにしていた。


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*本作は“横浜を舞台にしたショートフィルム”Life works vol.8『花の名前』(監督:利重剛/脚本:大島智衣 '15)の小説版です。映画本編とは多少異なる点がありますがそれぞれにお楽しみいただければと思います。

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