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豊かさの代償

大塚ひかりさんはかつて源氏物語の現代訳をされたらしい。
この本、嫉妬と階級の「源氏物語」は源氏物語の理解を求めることからはじまった歴史研究を踏まえての集大成だと思う。源氏物語は豊かさと権力を求めた人たちがどう変化していくかを描いた物語だと思う。

大塚さんが書いている通り、源氏は、義理の母と密通することにより、息子を天皇にまでした皇子、光源氏が妻に密通される若菜の巻まではさほど面白くない。たぶん、そこまででは、よくできたロマンス小説だと思う。
中流の姫君たちがあこがれの栄華と愛を得る。

前半に雨夜の品定めというパートがある。それは貴族階級を上中下とわけ、女性たちを品定めする。ここはとても生々しい。源氏研究によるといくつかの姫君たちを主人公にした短編を長編化するために紫式部が書き加えたらしい。当時はそれらの短編が大人気だったんだと思う。

彼女はそれを亡き母を理想に求め、現世の成功をとげる男の恋愛遍歴に仕立て上げた。しかし、母に似た若い皇女を求め、愛する身分低き女性を亡くしてしまう。欲望を求める虚しさだ。

そこに富と栄華をえた人びとの欲望のはてなさを感じる。いろんな歴史ものを読み解いていくと、道長の栄華は地方の搾取と権力闘争を元にした格差の拡大の時代だったと思う。
そのなかで都市を担う人が地方に散り、新しい流れができつつあった。
その変化のある時代に源氏物語は生まれた。

その中にある嫉妬について大塚ひかりは事細かに語っている。
印象的なのは、源氏の妻の紫の上の皇族の妻である義母の意地悪の数々と、そして、穏やかに過ごしているように見える妻たちの、花散里と明石の上の彼女への感情の描写で、それを抜き取っているのは流石だなって思う。
まともな親も財産も子もない紫の上は後ろ盾が夫しかない。

小さな棘の数々で人は刺される。彼らは、階級差のなかで自らを守るために命がけなのである。

そして、物言わぬ人々である侍女たちの感情も描かれいく。
そのなかには男たちのお手つきである召人もいる。そういう人たちの感情で物語は動かされていく。最古の近代小説といわれる理由だ。

そして、源氏は息子である薫大将の愛人にしかなれない身分の浮舟の物語である宇治十帖に落とし込まれていく。
彼女はさる皇族のお手つき侍女の娘で、父に認知されていない。
それゆえ、薫の理想の女性である義理の姉の亡き大君のかわりにおもちゃになる。

その存在を姉の一人、ライバルである匂宮の妻になった中君に、形代として紹介される形で登場する。形代、身代わりだ。
薫が帝寵愛の娘である女一の宮が氷をもて遊ぶ場面を隠れ見て、自分の正妻になった年若い女二の宮に同じことをさせる場面がある。
これは初見のとき不気味だなって思った。これはお人形だ。

最愛の人である大君からこばまれた男は、そんなことをしているのである。
もう、それは自分の観念のなかの理想の女性で、それを権力と富の力で実現しようとしていく。
その女性は誰からも素晴らしい身分であると思われる女性だ。
そうでない浮舟は懊悩し、自殺をはかる。

源氏の物語で尊ばれた理想の母に似た女性を求める旅は、より現実的な立場の弱い女性をもて遊ぶ話になっていく。現実の尊い方はそんなもんなんだという物語である。宮中に仕えた大君と同じ立場だった後ろ盾のない皇女は、好き者として貴族たちの慰み物にさえなっている。

大塚ひかりさんはそんな浮舟の母、中将の君が好きだという。私もそうだ。彼女は自分のかつての欲望を娘に託す嫌な親だが、自分に素直な人だ。
妻の姪だった彼女を粗末に扱う皇族を見限って、富ある地方官僚の正妻に収まる。
そして、その夫は落ちぶれた美人の義理娘なんかより、自分の娘を中流貴族に嫁にやる。彼女の富と後ろ盾を見て、あっさり浮舟を見限る男。

新しい価値観で生きる人たち。すかっとすらする。
この人たちはのちに武士になっていく人たちだ。
時代の変わり目に傑作は生まれるんだと思う。

嫉妬と階級の時代はかくして暴力の時代に変化していく。みんな疲れたんだと思うよ。





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