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歴史を考える「相模のもののふたち」

今、亡くなられた永井路子さんのご本「相模のもののふたち」を読み終わったところだ。鎌倉殿の13人を見なければ読まなかったと思う。

ドラマを見て、頼朝の旗揚げの人たちと石橋山で戦った人たちはほぼご近所の人たちのご先祖だったのに気が付いた。俄然、興味がでて聖地巡礼ごっごをした。本の中の半分ぐらい回ってみた。いい、ウォーキングのネタになったし。

行ってみて感動したのは、そのあたりで一番住み心地の良い場所に住んでいる開拓農家であったと感じられたことだ。地元の霊山である富士山と大山が必ず見える。そして空が青いのだ。

まったく同じことを永井路子さんも感じられて書かれていて驚いた。彼らの土地への愛着が800年前なのに彼女を通して伝わってくる。

そのひとりである岡崎義実の墓に行ったとき、地元の老人に尋ねると「ああ四郎さんのお墓ね」と親しみをもって教えてくれた。そして、コロナが盛んなころだったからだろうか、公務員と思われる方が近くの丘の上の岡崎神社に参っていた。
下に彼が原型を作っただろう田んぼが広がっている。清冽な空気が伝わってきた。

岡崎義実の墓の近くの丘
岡崎神社。ここも館があったとされる

そもそも、鎌倉殿はかつての永井路子原作の大河ドラマ「草燃える」を参考にしたものだ。その中で北条政子は頼朝と対等な人間として描かれる。
永井路子さんは、生前そういった歴史に残った女性が好き勝手に生きたなんて思って書いていないとおっしゃっていたらしい。骨のある方なのだ。

本を読んでみると、永井さんが書かれていたころは、慈円の愚管抄の研究は進んでいなかった。また、その後新しく研究で訂正されたことも多い。
だから、この本でも彼女の歴史的な解釈が間違っていることも多い。

でも、彼女がいたから鎌倉時代を研究してみようと思った人は多いと思う。
人間臭い人々がいた。その人たちの面影を追ってみたい。そう感じた人は多かったのだろう。

この本は古いけれど、古の人のかたみが感じられるので絶版にはなっていない。そこもぐっとくる。


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