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お茶とお菓子

沖縄で実践的な行動をされている上間陽子さんと心理士のリーダーシップをとっている信田のぶ子さんの対談本言葉を失ったあとでを読んでるとお菓子の話が出てくる。グループカンセリングのとき、調査で話を聞き出すとき、お茶とお菓子は欠かせない。あの甘さで心の傷の吐き出しを和らげ、聴く方も力を溜めるのだ。

その時、思い出したのは吉本ばななの下町の思い出だ。
下町の女性はとてつもなく辛い愚痴を聞くとき、お茶とお菓子を出し、決してご飯はともにしなかったそうだ。
ご飯を出すことは、そのとても解決できないことを共に背負うことになる。
だからのお菓子だそうだ。

普通、お茶するより会食よりご飯の方が負担が少ない。宴会なんかそうだ。
お茶をするのは、信頼が必要だ。しかし、お互いに深入りは禁物だ。
そういう付き合いが下町にはあった。

うちの父は福祉関係の仕事をしていたが、喫茶店で商店街の人たちとコーヒーでだべれなくなった頃から、メンタルのおかしさが進んだ。
ひとりの人が困っている人たちを支えるのは限界がある。何かしらの無数の支えが必要なんだと思う。

お菓子は人類が初期に手に入れた麻酔薬だと思う。

そういえば、サマセット・モームの珍しく明るい小説にお菓子とビールというのがある。
ショーガールだった文豪の妻と若い作家との思い出話だ。
モームは貧民街で医者をしていた経験がある。それゆえに、そういったささやかな喜びに共感できる貧乏人出身の彼女を描いたのだろう。
彼女は夫が成功すると堅苦しさで離れてしまう。

あと、つらい過去を持つ将棋のプロである少年と不幸な下町の三姉妹との交流を描いた3月のライオンのひなちゃんちのお菓子パーティ。
彼らが和菓子屋の娘たちなのも象徴的だ。傷を和らげる大福やら団子。
ポテチとポッキーがある。

今、必要なのはお茶してだべるお金の余裕と時間かなって思う。
うん、経済大事よ。



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