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ラッキーオールドサン、その二人

 私の大好きなお二人が2月15日、夫婦になった。

 私の大好きなお二人が4月17日、二年ぶりの三枚目のフルアルバムをリリースした。

 この二行だけで全て完結してしまう。が、愛は相も変わらず溢れて止まらない為、盛大なる祝いと共にこの文章を綴ることにする。大人に成り替わろうとする私の生活を彩り、ひっそりと守り続けてくれたのは間違いなく彼女たちの音楽だ。声を大にして言いたい。特大にして言いたい。

 私が音楽業界という場所に就職する意思を決定付けたきっかけも、ラッキーオールドサンだ。彼女たちが産み出した音楽が、自分以外の誰かの耳にも届いてほしい、少しでも売れて良い思いをしてほしい、とご本人様の意思とは全く関係のないところで本気でそう念じ、この業界に足を踏み入れた。

 実際は、自社コンテンツのラジオ番組のED楽曲として、ラッキーオールドサンを使用させてもらうといった私だけが嬉しい夢しか叶えられることは出来なかったが、これ程までにお二人そのものに心底惚れさせて頂いている。気持ち悪いことを言う。ことを、宣言する。末永くそばにいて欲しい。離れていくと告げられても、少し後ろの方をそろり歩いて着いていきたい。ラッキーオールドサンという存在になりたい。もしくはお二人に、いつか訪れる新しい生命の子に生まれ変わりたい。そのくらいの思いにさせる音楽をこの人たちは歌い続けてくれた。


 初めて聞いた楽曲は1stアルバム"LUCKY OLD SUN"よりリード曲の「ミッドナイト・バス」

  "生まれ育った街をはなれ
君もいつかは大人になってしまうだろう
魔法が使えなくなる
心配ないさそばにいるから
もっと遠くもっともっと光へといけ
ハミングするミッドナイト・バス"

 自然と耳に染み込んでいく、どこか懐かしいメロディ。
夜の静かな空気と、そこにいる"君"の姿が私の瞳には見えた。篠原さんの作詞の中にある"魔法"という言葉は、非現実的とは程遠く、不思議に親しみがあり身近だ。同曲より、次の歌詞に注目して聞いてほしい。

  "強がりや優しさだけじゃ
大事な人は守れない
いのちを燃やして
転がる日々のあぶく
叱ってほしいだけ
ながされないように"

突然の背負い投げ、
突然の平手打ちなのである。

 こんなことを優しい声で言われてしまっては、ひとたまりもない。良質なフォークポップスデュオ、というジャンルに収める訳にはいかないのである。心地よいサウンド、秋に羽織る毛布のような優しさ。雲と太陽が行き交う空の下で聞くだけの音楽ではない。いや確かに、晴れの日に聞く彼らは格別に良い。それはそう。

"いのちを燃やして 転がる日々のあぶく"

 何度も記述するが、この一節。根っからのパンクス夫婦ということを証明している。いつだってリングの上で戦ってここまで生きてきた、という凄みが抑えられていない。さらに同アルバムから、他の楽曲も紹介しよう。


 少し猫背気味でギターを弾き歌う二人から生まれた音楽なのだと思うと、さらに愛しさが込み上げ、涙。私が楽曲の中に感じていた"人と生活"、"人と街"の在り方を
彼らは丁寧に、風が吹くように歌う。調べたところによると、この1stアルバムは「耳をすませば」の舞台にもなった聖蹟桜ヶ丘という街が一つの創作のアンセムになっているとインタビュー記事で明かされていた。その想いが最も、Lo-Fiかつインディーフォーキーなサウンドで表現されているのがこの曲「坂の多い街と退屈」である。ギターのフレーズだけでなく、所々に感じた明るみと隣り合わせの寂しさを是非聞いて欲しい。

  "老いることを恐れないで
女の子it's gonna be alright
いくつになっても恋をする
素敵なひとでいて


答えは風に吹かれても
男の子boys don't cry
いくつになっても不器用な
夢ばかりをみる"

 女の子と男の子がセットで綴られる歌詞の楽曲は、殆ど名曲説をここに提唱したい。ラッキーオールドサンの曲は聞くだけで良いこと間違いなしだけれど、何度も、何度でも自身で口ずさみたくなる。気付けば、呟くように歌ってしまっている。既にお気付きかもしれないがこのアルバム、1stにして伝説。私はこのLucky Old Sunというディスクを燃えるまで再生し続けるだろう。一つ足りとも外せない9曲の並びの中で「二十一世紀」という曲を最後に、次のアルバムを紹介する。

  "いつもの朝 寝癖そのまま
二十一センチの刃渡りで
ズブリさよなら
息の根止めて
君はローストポーク 
迷子になる いりくんだ路地
二十一世紀も謎だらけ
人の世は住みにくいもの
それならなんとかするさ 

明日のことは きっとうまくいくきがするよ
根拠はないさ ふたりに必要ないさ

いつもの夜 忍び寄る影
二十一センチの刃渡りで
ズブリさよなら 夢から覚めて
またいつもの朝へ
明日のことは きっとうまくいく気がするよ
根拠はないさ ふたりに必要ないさ" 


 とてつもなく、かっこいい人達だ。根拠なんか、ない。そう言い切ってくれることに安堵する。だってここは”人の世”だから。それでもなんとかしようと言うのは、決してお気楽なだけの歌ではない。強くなりたい人の、弱さを守る歌。ふたりに必要ないさ、と強く言いたかった。当時、骨抜きに惚れていた人に言い聞かせていたワンフレーズ。大好きが、詰まっている。野に咲いた花と、その下の土の味をこの二人はきっと知っているのだ。これは、間違いなくハードコアの精神も宿っている。


 2016年にリリースされた6曲入りのEP「Caballero」

 リードトラックの「ゴーギャン」はジブリ映画の中の住人が、そのままリズム隊を引き連れて音楽をやっているような一曲である。彼女たちは今年、有難い事にサブスクを解禁した。それをいいことに、今後もどんどこ布教に専念しようと思う。

  ”眠らず音を鳴らす夜の日を
繰り返すいつものことさ
あくびをして乗り込んだ知らない電車は
何処へだっていけたはずなのに”

 Aメロから最後のサビに流れるリードギターの素朴で哀愁のあるメロディーライン。一言で、素敵だ。二人の音楽はメイン軸にポップスがあるとしても、その中での遊びの振り幅が大きい。それは次で紹介する、2ndアルバムでも伺える。バンジョーやコンガ、ウッドベースに管楽器など、様々な音色を奏でて味を加えている。音楽隊のキャラバンと森で遭遇してしまったような、聞いているだけでその物語に胸躍るような、愛おしい感覚。EPのタイトルから、勝手にDon Caballeroを思い出してしまってここでもポストロックの波紋が、と考えてしまったのはまた別の話。二人が一枚のディスクに、どんな想いを馳せ制作したのかなど想像するのが楽しい。


 2017年4月12日、全作から約一年ぶりとなる3rdアルバムを発売。タイトルの「BELLE EPOQUE」は、仏語で"佳き時代"。

 ラッキーオールドサンは変わらず、現代に生きるという事の決意を曲にする。思い出がいかに美しいものでも"人は今という時を大切に、日々を過ごそう"という意思を、軽やかな音色と共に感じる作品となった。

M-2「ベースサイドストリート」
二人の楽曲の中でも、珍しく唸るギターに驚かされる。夕焼けを背に、右にも左にも歩けなくなった自分の肩を叩かれた。


  "あなたのために今日を生きるよ
こんなはずじゃなかったと
言いたいわけじゃない
こんなはずじゃなかったと
言いたいわけじゃない"

M-3「フォーチューラマ」
篠原さんの渾身の叫びが聞こえた。このアルバムの中でも擦り切れるほど再生したのだが、未だに初めて聞いた時のように涙が出る。


 M-8の「すずらん通り」は今作のリードトラックだ。ここで歌われる"そばにいておくれ"、そしてその次のM9「Railway」の歌詞で伝える"そばにいるよ"

 隣に来て、隣に居てほしい。

 誰かを守るために、まずは自分を守らなくては。他でもない自身を鼓舞し、大丈夫と囁いてくれる彼らの詩は決してかっこつけの飾りではない。人の陰りを肯定し、淡い光の方へ向かえと、そっと背を押すこの言葉たちに、明日を生きる希望を貰った。

 そしてラストトラック「Tokyo City Brand New Way Day」
"自分たちの今生きている場所はここ東京だよ"とナナさんは歌う。美しいフランスの街並みが流れるように、アコーディオンが鳴っていた。何と洒落た演出だろうか。誰もが憧れ続ける70〜80年代への想いも同時に再生し、彼女たちは貪欲な音楽の時間を進み続けることが証明された。

そうして、2019年4月17日。
所属レーベルNEWFOLKより3rd フルアルバム「旅するギター」がリリースされた。

「Rockin' Rescue」
 このMVを撮影するにあたり、エキストラ出演の募集がされていたことを私は一生忘れないだろう。私が出ないで誰が出るんだ…?と真剣に思っていた。集合場所はお二人の本拠地でもある京都。私の現在地はここ神奈川。シティーブランニューデイである。であるか?心だけは京都に向かっていた。肉体は残念だけど神奈川の僻地へ置いて。

 以前、CINRAのインタビューでナナさんが言っていた"うるさい音楽"を作ったのだろうか。その名の通り、まだ見ぬラッキーオールドサンのロックンロールが▶マークを押すや否や、今にも飛び出してくるのだろう。 

 キネマだろうか。人生isロングロングロマンスキネマだろうか。素敵だけでなく、その分血反吐を織り交ぜながら旅をしてきた二人の音楽。これから先、何十年時を経ようが私は永遠に愛おしさを失わない。いつか色褪せても尚、また姿形を変えて心を届けてくれる。実はまだ、新譜の再生を途中で止めてしまっている。その状態で、この思いの丈を綴っている。

 一番大事な最新作のレビューを書けよ、という話なのだが、3rdアルバムはまっさらな気持ちで抱え込む準備をしたかった。今までの自分の中の、ラッキーオールドサンへの想いを一旦、精査しないとどうにかなってしまう気すらした。本当だったら思春期から抜け出せず、鉛筆の削りカスを昼夜排出し続ける中学生のような恋文を各一曲ずつに添えて送りたい程なのだ。怖い。

 私もこれから、自分の音楽が大きく動き出そうとしていた。"誰かに憧れ続けてる 多分それが丁度いい"冒頭から陰鬱スタートの曲を書いていた。アルバムのタイトルにもなっているこの「旅するギター」

"人の真似をしたって構いませんが
ジョン・レノンにはなれないよ
愛と平和なんて

そんなことより明日の話をしよう
眠くなってしまう前に
計画を立てよう
あの日の海を見に行こう
永遠みたいなロードムービー
夢なら冷めないうちに
それがいちばんいいのさ二人には

地球の上に朝が来る
ぐるっと回って夜が来る
続きが見たい旅するギター
hello goodbye 今日を歌うだけ”


 私の歌の根底には恐れ多いがお二人がいる。文字の如くうっとり面でこの曲を先行して視聴してしまった。涙を垂れ流す確率の高い毎日を送っているわけだが、今日はグッと涙を涙にしないことに成功した。お二人のお陰だ。ラッキーオールドサン、本当にありがとう。そして、これからもよろしくお願いします。

 篠原さん、ナナさん。改めまして、ご結婚心より祝福させて下さい。おめでとうございます。もう一度言わせてくださいおめでとうございます。お二人の笑顔を願って。ギャル風に言わせて頂くと、マジ♪最強だかんネッ☆です。最後にかけて全部が間違っているような気がしてきたが感情フルスロットであるから許してチョンマゲ。


 ↳公式のTwitterより、本当に【需要】なのでツイートを引用させて頂く。渋谷WWWの公演、命に変えても目の当たりにしたい。いこう。心を携えて。

 美味しいご飯、面白い本や映画や漫画、時の流れの切なさ、麗しさ、忘れられないあの風景や、幾つもの人のぬくもりと出会いが、お二人にとって永遠と音楽の力に繋がりますように。 

 本当の最後に、ラッキーオールドサンのお二人がまだ大学生だった頃にリリースしたデビューEP「I'm so sorry ,mom」でこの重いラブレターとお別れしたい。先日、TVからナナさんの歌声が聞こえ始め「え、MacのCMがラッキーオールドサンのような曲を起用しているぞ、聞不思議…」となった話や(本当にMacのCMに起用されていたおったまげ祝)「やりたいようになりたいように (feat. THE LOST CLUB)」)彼らがLPに込める愛なんてのにしこたま共感した話をし続けたいのだが、それはまた3rdアルバムを聴いた後に。

 愛ある写真たちを眺め、明日もどうにかやっていこう。

 きっとこれから先の人生、嫌いな人にも好きな人にもごめんねと、ありがとうを繰り返して生きていくのだろう。天気が良いと嬉しいし、悪ければ何故か少し嫌だ。笑ってばかりでいられなくても、涙がこぼれる時にはラッキーオールドサンの音楽がいつだってそばにいてくれるから。大丈夫。少しでも、お二人の音楽が沢山の人々の日常に寄り添いますようにと、今日も願わずにはいられない。

【ラッキーオールドサン】
ラッキーオールドサンは、日本の2人組バンド。所属レコードレーベルはkiti。 バンド名の由来は、メンバーがたまたま手に取った久保田麻琴のアルバムに収録されていた 「ラッキー・オールド・サン」による。wikiより
Twitter@luckyoldsun_tw
http://luckyoldsun2013.tumblr.com/
Mikiki 最新インタビュー記事 「ラッキーオールドサンはロックンロールの夢を見る。存続の危機をどう乗り越えた? 『旅するギター』めぐるバンドのストーリー」

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泣くなよ (2021.3.17 誤字脱字修正)

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