パチンコの面白さは腸内環境みたいなもの
批判を目的とする人達
何かのツイートだったと思うんだけど見つからない。
「さあ、今日も粗探しをしてネットでボロクソに腐すかな」というスタンスでアニメを見てる自分に気付き愕然とした、的な話。
また、自分は面白いと思ったんだけど、世間の悪評に流されて自信を見失う話。
何度かお伝えしたように、2ちゃんねるには私の批判スレがあります。途中でスレ番をリセットしつつ、通算で20スレくらい。かれこれ8年に渡って続いています。
吉田批判スレの人達は、なんで嫌いなブログを毎日見てるんだろうと不思議だったのよね。そこで上記のツイートを見て得心した。粗探しからの腐し書き込みを日々の快楽としているのだとすれば、彼らアンチの行動は非常に納得できた。
それもう依存じゃんな(´・ω・`)
あった、これだ
ぜひリンク先のツイートをご覧ください。ネットは今、こんな人多いですよ。とりあえず批判し、それを針小棒大に広げ、強烈な執念で罵倒し続ける人。
パチンコ台への批判
10年間、新台レポートを書き続けた唯一の弊害も、実は同じ根っこを持っていた。パチンコに対峙した時、まず粗探しをしてしまう。吉田アンチの人達と同じことをパチンコに対してやっていたんだね。
7年目くらいでそれに気付き、ショックを受け、恐ろしくなり、まずは素直に演出を楽しんでみようとしたのだけれど、もう手遅れ。レポートを卒業した後も後遺症に苦しめられた。
治ったきっかけは、某メーカーさんからの「某機種における楽しいと思える要素の発掘」という依頼でした。幸運だったのは蒲田で受注できたこと。
楽しさを見つけられるわ、金銭的に大勝利するわで、素晴らしい時間を過ごせた。ボーダー+4回の台を打ちながら、積極的に楽しさを探すんだから、そりゃ楽しいさ。
パチンコを好きだったことを思い出し、悪評に流されなくなった。「いやいや、あの台は楽しいですよ」と言えるようになった。
自分を信じられないと寛容にもなれない
ただ、批評でメシを食っている以上、楽しい楽しい、でもダメなんだよね。何で楽しいかを言語化できなきゃいけないし、今のままではファンに伝わらないよと書かなきゃいけないこともある。
逆に、開発は意図してないだろうけど、こういう部分は楽しさとして伝わってますよと、発見できなきゃいけない。自分の感性を信じ、エビデンスのないまま言い切れるくらい、真剣に打たなきゃいけない。
批評≠批判であり、批評には愛・・・とまで言うつもりはないけれど、ある種の寛容性は絶対に必要なんだ。寛容であるためには、世間の悪評を見ても揺るがぬ自信と、自信を裏付ける根拠を持たねばならない。
パチンコの面白さは腸内環境みたいなもの
一つ覚えていてほしいのは、打たなくても批判はできるけど、打たなきゃ賞賛はできない、ということ。
業界人の口から機械に対して批判ばかり巻き起こるのは、この辺が理由。低稼働だから批判は仕方ない? 打たなくても分かる? いやいや、低稼働な機械の中でも面白い部分はあるはずでしょ。
パチンコの面白さは腸内環境みたいなもので、善玉菌と悪玉菌とのせめぎ合いなんです。善玉優性ならば高稼働だし、悪玉優性なら低稼働。現在のパチンコ業界は、演出の暴飲暴食により悪玉優性となっており、出玉というサプリメントでは太刀打ちできない状況。
機械を評価する以上、低稼働な機械からも善玉要素を見つけねばならない。こんなの、打たなきゃ絶対に無理ですよ。打ったって見つかるとは限らないのに・・・。
大腸ポリープを切除した私が言うのもアレですけど、悪玉菌ばかりに注目していると、自分自身が悪玉菌になってしまう。パチンコの善玉菌を増やすヤクルトのような存在になりたいなと思う、今日この頃です。
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