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富山の覇者・ノースランド

富山パチンコ戦争を制したのは「自動車屋」

かつて北陸パチンコ戦争とも言われた富山県。マスコミで何度も取り上げられたため、ご存知の方は多いと思う。東洋観光(スーパーベンツ)、永森商事(トヤマホール)との三つ巴の戦いを制したのは「自動車屋」であった。

ノースランド第一号店のオープンは比較的新しく昭和50年。それまでは富山県魚津市で新車や中古車を扱う、文字通りの自動車屋だった。

代表取締役の澤田辰勇氏は東京生まれ。幼少時、戦争の惨禍から逃れるために東京から疎開してきた。

父の仕事は自転車屋。極貧生活の中、次男坊である辰勇氏を家に置く余裕はなく、中学卒業と同時に家を出される。勤め先は品川自動車(現富山トヨタ)であった。

家業は長男が継ぎ、自転車とオートバイを細々と扱っていた。そこへ技術を身につけた辰勇氏が戻り「これからは自動車の時代だ!」と叫ぶ。家族の大反対を押し切り、銀行から多額の融資を取り付け、自動車を扱い出した。

モータリゼーションと高度経済成長の波に乗り自動車販売は大成功。このまま富山県有数のモーター屋となるかと思いきや、オイルショックで売上が吹き飛んでしまう。


オイルショックを受けパチンコ事業を始める

これまでかと思ったとき、持ちかけられたのは「パチンコ屋」の話であった。当然、家族も銀行も大反対。

しかしそのとき、ある銀行の支店長だけが話を聞いてくれた。辰勇氏本人はロクにパチンコを打ったことはなかったものの、支店長は辰勇氏の持つ天性の商売勘を見抜いていたのである。

組合の台数制限圧力(当時は新規法人は100台~150台以外認めなかった)にも屈せず、むしろ抗い、有力者の近所に出店するなどして勝ち上がり、順調に店舗数を伸ばしていった。

そのまま富山県を制するかと思われたが、立ちはだかったのはライバルのスーパーベンツとトヤマホール。特に東洋観光はスーパーベンツの屋号からも分かるように、贅の限りを尽くした出店で有名だった。

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