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フィジョワ、幻のフィジョワ③


フィジョワ、幻のフィジョワ②つづき


4時半からスタートする瞑想がほとんど終わりに近づき、
やっと1日が終わるとほっとするくらいに
夕食の時間がやってくる。

夕食といっても、
2に書いたようにガイドラインとして

”初めての参加者は果物のみ”
”2回目以降の参加者はお茶のみ”などの



きまりが定められているのだが、持病など他の事情がある場合は
事前に相談されて
軽い食事が用意されたりする。



センターによって参加人数はまちまちだが、
例えば50人の参加者がいる時


大体が病気とか血糖値の問題か、事情は知らないが
2、3人は端っこで夕食に「食事」をしている人が必ずいるのである。



初めての参加者が

やることが何もないもんだから
バナナやリンゴを丁寧に皿に乗せて、ナイフとフォークで食べていたり


その、選ばれし2、3名が
端っこのほうで肩身狭く「食事」をする様を


遠目に腹を空かせながら羨ましく指をくわえて

見てみぬふりをする。



誰も一言も喋らない食堂で、
カチカチとフォークが皿に当たる虚しい音が響き渡るのに
耳を傾けながら、



そんな自分の卑しさと向き合うのである。





さて、わたしは臨月の妊婦であったので、

なんと、
その「例外」として夕方に堂々と食事と摂る権利が与えられていた。



といっても、実際どんな感じになるのか自分で見当もつかなかったため、
最初にスタートする前に


「通常の条件で数日やってみて、無理そうだったらその時
通告して、夕食をもらう」


ということになっていた。



腹の中の生物に尋ねつつ、無理のない感じで過ごす
という10日間の瞑想は、これまで何度も経験してきたストイックな時間とは
全く異質のものであった。



妊婦というのは、まず第一に、眠い。


「妊娠すると眠い」とは、わざわざ私が書かなくても
誰もが知っている事実だが、
実際体験してみると、ほんっっとに意味もなく、わけもわからず、
ひたすら眠いことに驚く。


自分はもともといつでもどこでも眠いタイプで
学生時代の朝会で立ったまま眠れるような愚鈍な人間だったが、
妊娠でもした日には、もうただ眠い。眠いためだけに生まれてきたとしか思えないくらい眠い。

眠い。


眠いときに自由に寝るというのは
妊娠中の職権乱用でそれは全く問題ないのだが、

瞑想センターにおいて、「眠いから寝る」
というのはそもそも瞑想の目的から完全に外れている。

「眠い」に打ち勝って
心を静かに保ち、そして起きたまま目を閉じて座り続ける
ということが大事なのであるが、

しかしそれにしても眠いので、
腹をよっこらせと抱えて、ときどき昼寝をして寝過ごすことにした。



その10日間は、1分単位で正確に動き、
禁欲的に自制心を保つ活動が

本来楽しくて醍醐味なわけなのだが


だらだら適度に休みながら丸い腹を抱えて瞑想をしていた私は、
またべつの楽しさをそこに見出していた。


そして2、3日がすぎ、


「眠い」と並んで襲ってくるのが、


そう、


「腹が減った」

である。






夕食を抜いたら腹が減るのはあたりまえである。

しかし瞑想センターの10日はまた別であり、


その空腹を乗り越えた先の「身体」を超越した「意識」状態になることがさっきの「眠気」と同じで
またひとつの目的なのだ。



身体に無理のないように、変にストイックに頑張って
あと少しで生まれてくるっていう時に、外国で一人で何かあっても困るだけなので

眠い時に休んだまでは良かったのだが、
とにかく尋常じゃなく腹が減ることに気づいた。




もちろん普段とは違う身体状況なので
ぐんぐん腹の中でいよいよこの世に登場するために
急成長している生き物がいる限り、


それもまた当たり前に聞こえるかもしれないが
それは自分の意思とはちょびっと無関係のところで起こっている。



それは言葉すら介さないが、

ちょうど自分という人間は
普通に穏やかに過ごしていて、
目の前で別の人間が「腹が減っている」と
喚いているのと同じなのである。


別の人間が「腹が減って」いたら、その空腹とわたしは本来
関係ないはずだが

なぜか「わたしの腹」が減るのである。



身体のなかに人間がひとりいるという状況は、その当時も
今も変わらずに
摩訶不思議で奇妙である。






瞑想中、ココロ穏やかに精神集中をしようとすると、
慣れれば割とすぐに空っぽになれる。

それは清々しくて、大好きな「今に根付く」マインドフルネスな感覚なのだが


その時は、

待てど暮らせど、空っぽになるどころか、


腹が減った。


頭の中は、静かに黙って座っている間、

「腹が減った」


「腹が減った」


のエンドレスでエコーがかかるフレーズしか浮かんでこない。


瞑想センターで、眠いとか腹が減るのは当然なのだから、と
しばらく見つめてみるも、

どうにもこうにも、
腹が減って、

寝ても醒めても
腹が減ったことしか考えられなくなってきた。


うーん。これはどうしたものかと思ったが、
これまた変なところで意地を張って頑張る必要もないので
わたしはすぐに夕食を食べることを決めた。


初めての参加でもないのに、夕食を食べることにしたという
中途半端に意思の弱いような、

屈辱的な感じを味わってみる。


情けない。たかが腹に一匹人間を抱えているだけではないか。

戦時中だったら10日くらい飲まず食わずだとしても、
母親の身体から栄養をとって元気に生まれてくるはずだ。


くううう、情けない。

ちょっと無理すれば夕食抜きくらいいけるんじゃないか?


くうう、悔しい。妊婦なのに瞑想に来ているというストイックな感じがかっこいいのに、好きな時に寝て好きな時に食べたら

瞑想もかっこよさも台無しである。


しかし腹は減る。いたしかたない。



2014年のオークランドはそして、
実に平和で、

見たことのないオセアニアの鬱蒼とした森の中の
みずみずしい木々や、
聞いたこともないロマンチックな鳥のさえずりが

早朝から鳴り響いていた。

たぶん戦時中ではないはず。


さっぱりと「例外」の夕飯をいただくことに決めたわたしは、

そしてその
「特別扱いされている」
という自意識に気づいていくという体験を楽しんだ。


それまでは、角っこで肩身がせまい感じで夕食をとっている人を
うしろから眺めたが、

そのときは逆転したのである。


なるほど、後ろの空腹の人々を代表して、
ひとりだけ食事をいただくってこんな感じなのか、と。


それは「優越感」の混じった、心地の良い感覚とともに、
その特別感を脱ぎ捨てるという心地よさをまた

両方ともなっていた。



さ、これで全ては解決したかと思われたのだが、

夕食を食べて、夜の瞑想に向かい、
そして歯磨きをして、


眠った後、



夜中にまさかの、



「腹が減って」何度も目が醒めてしまう


という事態に


次は向き合うことになったのであります。




つづく

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