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その「幸せ」、本物ですか



自分の都合で、ものごとを決めつけて
その基準をひとに押しつけることは

それがたとえ、「幸せについて」であったとしても

愛とはかけ離れた態度です。




「幸せ」を追求するがあまり

自分の弱さや、脆さを見て見ぬふりをしていないか

ふりかえってみてください。




「幸せ」自体はもちろん本質ですが、

盲目的にそれを追いかけることで

ネガティブなものを力尽くで押しのけようとするとき



周りにいるひとは、

あなたの知らないところで

傷ついていきます。




それを、「傷つくのはその人の問題」

「怒りをかかえているのはその人の問題」

と、

自分には関係ないとたち振る舞うことは、

たしかに「自分の幸せ」をまもるためには便利で

役に立つかも知れませんが、


もちろんその「幸せ」は、

「真実」ではありません。





「自分だけがよければそれでいい」という、

自己中心的な「自分の幸せ」の段階では

それをいつでも最重要視します。



それは、

本人が「幸せ」をふりまいている、与えていると

錯覚していても、


実際は、その「力づく」であることで


逆のことが起こっているのです。






自分を護ろうとすればするほど、

人は傷ついていきます。



それは、「幸せ」だって

同じこと。




わたしは正しい、

自分は正しい

わたしは幸せだ

だから自分は正しい





わたしたちは、

正しさを証明するためにここにいるのではありません。




「幸せ」で、全てを覆い隠そうとする奥にある

エゴや、ひとの弱さもひっくるめて


そしてものごとを丁寧に見つめていくこと。




わたしたちは勝手に傷つくものですが、

だからといって、


傷ついた方が悪い

という態度は、ただ子供じみた自己中心的な態度なだけであり、

「わたしには関係ないからわたしは幸せ」


その「幸せ」が、

いかに次元の低い愛かということに

気づいていかなければいけません。





あなたの周りに、

「力尽くの幸せ」をふりまいている人は、いないでしょうか。



それのエネルギーは、勢いがあり、キラキラ輝いて

真実に見えますか?



そのひとのように、自分もいろんなものを手に入れたいと

惹きつけられますか?



あなたの内側で、何かが鈍く、疼く感じが、しないでしょうか?




「幸せ」を目指す時

あなたの追いかけるそれが

なんとなく「力づく」ではないか

見つめてみてください。




実際に、しかるべきやりかたを辿れば

欲しいものは手に入るように

この宇宙の仕組みはできています。




「欲しいものを手に入れること」

「幸せを手に入れること」


それは、必ずしも愛と同義語ではないこと。



自己中心的な幸せと愛は、

つよい影響力があり、


それはわたしたちの「弱さ」に見事なまでに

つけこむようにできています。




その魔法は

一時的に「人をも」幸せにし、

一見「愛」のように見えますが


それは、強く中心に求心力を働かせる蟻地獄か、

人々の命を国のために投げ打つことが「愛」だと

信じ込ませた、戦争と同じようなもの。


一度はまると、抜けることが困難になる場所です。




本質的な

愛は


広く、とても自然に

目に見えないほどやわらかに


わたしたちを包み込む感覚しか与えません。




そこで奪われるものは、

ひとつもないのです。





力づくで、幸せになりたいですか?


これまでの不幸を取り返すくらいの気持ちで、

180度違った人生を、歩みたいですか?





その「幸せ」は、本物ですか?




それは、

どこに向けられた、「愛」ですか?





あなたは何を、恐れているのですか?





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