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フィジョワ、幻のフィジョワ①



フィジョワという言葉を聞いたことがあるだろうか。

わたしは、30歳を過ぎるそのときまで、知らなかった。




当時わたしのお腹には、あと一ヶ月もしたら間もなく産まれてくるくらいの赤ん坊がいた。

わたしは妊娠してもやっぱり細いほうだったので
その巨大というほど巨大でもなかったお腹を抱えて

ニュージーランド行きの飛行機に乗った。





まっすぐにこれから起こることを見据えるように、地上に降りたわたしは
その場所の空気を吸うのではなく”この目”で捉えようとした。




19歳のときに、うまれて初めて海外へ行ったその場所こそが、
約12年ぶりにあらためて降り立った
そのオークランドというニュージーランドの首都であった。



空港に無事に到着したのち、いつものオレンジ色の古いグローブトロッターのスーツケースを片手にわたしはタクシーを拾った。



それまでずっと海外を転々としてきたわたしは、ほとんどの時期がありがちな貧乏学生か違法移民といったところで
空港からタクシーを拾って街に出るというのは
ひどく、贅沢な気がした。


わたしは、臨月の妊婦で、結婚をしておらず、仕事もしておらず、
経済力も貯金もなかったが
乗り心地の悪い格安バスに揺られる理由もまた、どこにもなかった。


まもなく、
首都なのに全然洗練されていない小さな街の
こざっぱりした台所のついたホテルに着いた。






わたしは、外国に行くとまず行く場所がある。
それは、その街で一番有名なレストランではなくて

地元の、スーパーだ。




ホテルのひとに、一番近くにあるスーパーの名前を聞いて、
耳馴れなくて聞き取りづらい、酷い訛りのその英語に必死で耳をかたむけた。

名前は何回聞いても覚わらず、それまで親しんできたアメリカの英語からすると
ほとんどそれはわたしにとって”外国語”のようだった。




心もとない手書きの小さな地図を頼りに外に出る。



5月。


日本は、春から初夏へ突入するさわやかな時期で
そして南半球は、しっぽりと、秋から冬へ向かうところであった。


ホテルからワンブロック先の交差点へ歩く間に

小さな教会を歩く観光客の姿が見えたり小汚い、埃っぽいコンビニのような商店がまばらに営業している。


わたしはこの先の未来を自分のなかに落とし込むようなつもりで
その土地の景色を身体のなかに入れた。





急な坂を下りる間に、あっというまに転んで流産でもするんじゃないかと運動神経のない臨月の妊婦はハラハラしながら
その懐かしい欧米人の間を抜けて

市内のビルの一階にあったスーパーに着くと、


入り口の看板にはとてもユニバーサルなデザインの緑色のロゴの上に
Count downという、実にシンプルな名前が記してあった。




固有名詞でもなんでもなく、なぜ「カウントダウン」が何度聞いても聞き取れず、何度聞いても覚わらなかったのが
いまだに謎である。




スーパーに入り、近くに学校があるのか、大学生っぽい若者たちにまみれながら
深呼吸をしてウロウロした。


わたしは、とても、緊張していた。




それは、外国に慣れていないからがゆえの高揚感の伴うドキドキワクワクとは全然違って


どちらかというと、
長く離れていた故郷に戻ってきて

その場所があまりに肌になじみすぎるためにしばらくの間戸惑ってしまうような、そんな感じであった。




数年前にアメリカから日本に帰国してからというもの
わたしは自分の母国のはずのその場所に

どうしても馴染めずにいた。

結婚をしないまま妊娠をし、子供を産むという選択をして
最後まで居場所を見つけられなかった私は、

新しい命とともに人生をやりなおすようなつもりで

出産を機に、「外国」という名の故郷に戻ることにしたのである。



それが、ニュージーランドであった。





スーパーの中をうろうろしながら、夕飯に食べるものをいくつか見繕った。
サラダも、ドレッシングも、ボトル入りのスムージーも袋づめされていないアクリルケースの中のパンたちも

数年前に発ってから恋しくて仕方がなかった
欧米の匂いだった。






通路を、ゆっくり
周回すると


日本ではほとんど売っていない、rice milk が数種類並んでいて
わたしはほっとした。


米を食べる伝統がある日本には、甘酒という米でできた甘くて濃い飲み物はあっても、さらっとして、もっと爽やかなさりげない甘さの日常飲料としての
米でできたミルクはなぜか売っていない。



わたしは、soy milk (豆乳)を常用的に飲んでいたが、

rice milkが好きだった。



アメリカにいた頃に親しんでいた、見慣れたメーカーのsoy milkもそこにはあり知らないオーガニックメーカーのものもあった。



見たことのない瓶に入った、何が入っているのかわからない物体も

棚に並んでいる。


英語で表記されている限り、
大体は想像がつくが


ニューヨークに住んでいた頃に
インドのスーパーや、ギリシャのスーパーに足を運んだときに

それが一体、何なのか


想像すらできない中身に想いを馳せることは


そしてそれを、いつか
口にする日を夢見ることは


わたしにとって


この世界には無限に知らないことがあると
宇宙の広さを感じさせてくれる

自由への片道切符だった。





それは瓶詰めの、複数種類がある得体の知れない黒いペーストであったり

みたことも聞いたこともない、

当然味を想像することもできない
果物売り場に積まれている、

小さな丸い、それが果物なのか野菜なのかすら判別できない

そういう存在。





どこにでもありふれた普通の、サラダとパンと、小さくパックされたチーズと
量り売りで買えるベーコンを、”ほんの少しだけください”と、1日分だけ包んでもらう。


皮ごと食べられるぶどうを袋にひとふさ入れて


手持ちが少なかった、カラフルで鳥の絵が描かれたおもちゃみたいなくしゃくしゃのお札をレジで何枚か出した。


国境を越えたという実感がついに湧き上がるとき
それは、その土地の食べるものや、

その土地の水を口にするのともうひとつ


その国でしか使うことのできない
お金を流通させるときだとおもう。




飛行機から空港のターミナルにつながるボーディングブリッジをくぐり
その地についに、足を下ろすときよりも

その国の言葉で、必要なことを初めて交わすときよりも

おもちゃのようなお金を換金して

実際にそれが使えることを確認したそのときに


はじまりのブザーが鳴り響いて、
「生活」の幕が上がる。






ホテルまでの急な坂を、今度は重力に逆らうようにして登った。



わたしはホテルに戻ったあと
その小さな台所の戸棚を漁って

シンプルな大ぶりのお皿と
安っぽいフォークをとりだして

大きなプラスチック容器に入ったサラダを半分くらい、その上に盛った。



無駄に大きなフライパンを熱くして
さっき買ってきた、ベーコンをカリカリになるまで焼きながら

お腹に入っている、人間かもしれないその生物に

ときどき、乾いた声をかけた。




にんじんも、レタス的な緑の葉っぱも
パンも皮付きのぶどうも
ベーコンも
それは、一応すべて
日本で買おうとおもえばどこでも買えるものばかりだった。


こよなく愛している「生活」のほんの端に
いよいよそっと触れて、

なにかにヒビをいれて、割る瞬間。



その場所で口にする全ては、不思議なくらいに
その場所でしか味わえない味がする。

それは、本当に忠実に再現しようとしても、
絶対にできないようになっている。





妊娠をして、母になった時点で
ひとは、独りではなくなるものだとわたしはいつか、そう思っていた。


でも実際はそんなことはない。



自分にとっての初めての外国に、ひとまわりして最後に戻ってきたとき
その場所は故郷になっていて


わたしはそこに、まだ事実上”ひとり”でいた。





簡素なホテルの台所の目の前に置いてある

ソファの上で

窓から見える懐かしい景色をBGMをバックに

手を合わせて、



サラダをひとくち口に運んだ瞬間
涙が出た。




わたしは間も無く、一人で母になろうとしている。




つづく





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