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失い、顔をあげて、生きる


失うものがなくなったとき、

ひとはだれでも強くなれるものです。


もし何か、「失う」ことが怖くて前に進めないのなら、

一度「ゼロ」になってみるといい。


そうすれば、これ以上、前に進めない理由など、

見つからなくなります。



病気や事故などで死にかけたことのあるひとたちに、
一切の「迷い」がないように見えるのは、

そういう理由からです。



死と隣り合わせのような、

絶望的な状況ではじめて、


日々苦悩していた出来事も、不安も、

喜びさえもが、



ただの幻だったと

悟るのです。





わたしは、臨死体験をしたこともなければ、
不治の病からの回復をしたこともないし、
特別凄惨な苦境をくぐりぬけてきたような経験もない。


でも、何度も、


何度も、


何度も、



何度も、
自分の人生に、


自分自身に失望し、

し尽くして、

絶望し尽くしてきた。







そのなかでわかったことは、

ひとつ。



「失うものなど、

実際はもはや、

なにもない」ということ。




いま、目の前のできごとに

苦しんでいて、後ろにも前にも進めないとしたら、

苦しめばいいです。




中途半端に逃げるのではなく、
この際苦しみ抜いて、そしてこれ以上の苦しみはないというところまで

苦しみ抜いたら、

徹底して絶望することができたら、




「もう失うものはないのだ」

と、ただ、

静かに悟る感覚が

わかります。





それはたしかに、「楽でハッピーな作業」ではないことは百も承知です。


でも、感じ切って抜けて



実際に歩みだすと

そこには


これまでみたこともない景色が、

自分がただそのままで自然にしているだけで

なにもかもがうまく流れてゆく

最高の景色が、広がっていくのです。



それを、

階段を上がるたびに

繰り返す。







それが、

ただ、


生きるということだと

わたしはそう思うのです。








2015/10月の記事編集・再投稿

10-19-17追記



この2年で相当変わったなあと毎回しみじみ。

わたしが今現在、
絶望するという感覚についてどう捉えるかというと、

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