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変な味のお茶

その店で、わたしは韓国人を装っていた。装っていたというか、ふつうに間違えられていた。名札には、Sooと書いてあった。漢字は、洙。

ピンクの長いロング丈のスカートと、セットアップの軽い上着はすごく可愛くて、とても気に入っていた。ちょうど足繁くヨガに通っていた時期で、もっとも食と自分の身体がダイレクトに反応しあっていた気持ちのいい時期だった。足やら腕やらが自由に動くうえに、裸足でずっといられるその格好は、働く上でとっても着心地が良かった。いっとき料理から離れた時期、わたしはなにをしていたかというと、洗ってもすぐカラッと乾くその韓国服の制服を着て、ウェイトレスをしていたのだった。
洗濯したての制服を、店でアイロンがけをしているスタッフたちの間で、アイロンという英語が、ほとんどアイロンじゃなくて、アイアンみたいな発音であることも、ちょっと嫌味な若くて可愛い韓国人の男の子に言われて知った。
「なんでスーはガニ股なの?ちゃんと歩けばいいのに」と言われてキー!ってなったのもその韓国男子だった。

その店は、わたしがどうしてもどうしてもマンハッタンで働きたい店のひとつだった。ヴィーガン、ベジタリアンの店をNYじゅう片っ端から渡り歩き、本当に好きな店がいくつかあって、そのうちのひとつ。
唯一の、韓国料理の精進料理の店だった。
アメリカにいると、ヴィーガンやらベジタリアンの店はまったく珍しくない。世界各国の料理を食べられるNYのなかで、ヴィーガンのメニューは必ずどこの各国料理の店にも間違いなく用意してある。
でも、すべてのメニューがヴィーガンである店は限られており、ベジタリアン人口の多いインドや台湾の料理店はたくさんあったが、韓国料理やらタイ料理に関してはほとんど存在していなかった。
そういうわけで、32丁目のコリアンタウンのまあまあ奥まですすんだ場所にあったその店は、重厚な扉の奥にさほど広くは無い落ち着いたおしゃれな店内も合わさって、健康志向のニューヨーカーにとって韓国料理が安心して食べられる、しかもかなりファンシーな美味しい店で人気があった。

はじめてそこに連れて行ってもらったのは、渡米して間もなかった時、親日家の親友ジェニーちゃんがわたしの誕生日にごちそうしてくれた日だ。まだアメリカに慣れぬ頃で、なにがどこにあるのかもよくわからなかったその時期に、ひそやかにそこで誕生日を祝ってくれた夜は、とても暖かく嬉しい夜だった。
わたしは、まだ当時上海で知り合ったユダヤ人のマックスが好きだった頃で、ユダヤのシンボルマークの小さな五芒星を探していた。ダビデの星と呼ばれるそれを、どこで買ったらいいか?ネックレスの先につけるようなものが欲しくてジェニーに聞いていたら、その夜リボンのかかった小さな箱のなかにそれが入っていた。

それからわたしは、ほとんどスタッフが日本人のマクロビオティックという玄米菜食みたいな店で、せっせと料理をしたり、いろんな店を渡り歩いていたが、ある日どうしても日本人のいない場所に行きたくて、門を叩いたのがその韓国料理の店だったのだ。
わたしは貪欲に、料理のことが知りたくて、世界各国の料理、の中でもベジタリアン、ヴィーガンを突き詰めようとしていた。普通の料理も元々好きだったけど、元々あんまり肉が好きでなかった手前、肉やら魚がなしで、ここまでバリエーションが無限に存在する料理の世界は、食い意地の張ったベジタリアンにとっては未知なる光でしかなかった。
日本にいた頃、ベジタリアンやら自然食やら、マクロビオティックだとか、精進料理的な菜食という菜食は、いろんな店で食べてみたけど、どこを切っても地味で辛気臭く、味は薄く、色はベージュか茶色で、匂いは似たり寄ったりで、それはそれは退屈だった。
世界中のハーブや調味料や野菜や果物、ナッツを使い、色鮮やかで味も食感も匂いも何もかもがカラフルに飽きない刺激的なそれが、肉や魚なしでも実現することがわかったとき、わたしはその旅の虜になった。

そんなわけで、韓国料理がひととおり好きだったわたしは、やれ焼肉だの牛肉のスープだの肉肉しいやつ以外でまさかそれが実現するとは思ってもおらず、その店をほかのニューヨーカーと同じくリスペクトすることになる。

ときどき、店の前を通りがかるときに、休憩中の静かで無防備な店をノックした。「なんか用?」てな具合で無愛想なスタッフが出てくるたびに、「ここで働きたいんですが。」と馬鹿の一つ覚えみたいな文句を、繰り返した。
毎回、「今募集してない」とふたつ返事で返されたが、ときどき、「日本人は募集してない」と言われた。
わたしは、韓国人であればよかったのに。と思いながらも、諦めずに淡々と、それを繰り返した。

ある日のこと、なにかのタイミングがパチリ噛み合ったのか、同じようにノックしたときにそのまま面接してくれることになった。
あとからわかったのだけど、その店のスタッフはなぜかマレーシア人の割合がかなり多く、韓国人は数人だけだった。
オーナーは韓国人の夫婦だったが、とくに韓国語が話せることは重要じゃないらしい。単に、これまで一度も日本人は雇ったことがないというような話だった。
たまたま人手が足りなかったときに足を運んだ幸運か、わたしはそのままその店で初めての日本人として働けることになり、料理をさせてもらう代わりに、ウェイトレスとしてその店にあるレシピをかたっぱしから覚えてやろうという魂胆で、ひとつ夢がかなった瞬間だった。


ところがどっこい、ウェイトレスは料理をする肉体労働とは違う、重労働であることがわかってきた。
わたしはその場所で、料理をしていたときには見えなかった、客の様子や客の顔、客が何を求めてそこにいるのかを毎日毎日観察した。
それは、厨房にいると直接食べるひとの顔が見られなかった時期からすると、ある意味すごく面白い経験で、ベジタリアンやヴィーガンの生のありかたがものすごく広がった時間だった。
それは作る喜びに代わる楽しい時間だったけど、問題勃発。身体がついていかないのだ。
なにがピンチかというと、石焼ビビンバである。ありゃ重い。知っている人は知っているかもしれないが、無駄に重い。ほんと重いんだよ。

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