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神様を矮小化する一つの勘違い

はじめに

実のところ、どんな人も例外なく、知らず知らずのうちに神様を矮小わいしょうしています。

本来、神様は私たちのちっぽけな脳では理解しきれないほど偉大なお方です。

それなのに、私たちはどうにか神様を自分の脳に収めようと、無意識に矮小わいしょう化してしまうのです。

今日、その中でも特大の勘違いを一つ修正しましょう。
きっと、これまで以上に神様の偉大さを感じられるようになると思います。

誰もが陥る、一つの勘違い

その勘違いとは、時間に関することです。

時間を造られた方は誰でしょうか。

コロサイ人への手紙
1:16 万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。

時間を造られたのは、御子みこイエスです。
時間は、初めからあったのではありません
あらゆるものは、三位一体の神によって創造されたのです。

ここで質問です。
神様は、時間の中を生きておられるのでしょうか
別の言い方をするなら、神様は時間に束縛されるのでしょうか

絶対にそんなことはありません。

創造主が、ご自身の造られたものに束縛されるなどということはあり得ません。
そもそも、時間が存在する前から、神様はおられたのですから。

時間に束縛されない神

時間に束縛されないということがどういうことか、私たちの脳で完全に理解することはできません。

過去や未来へ自由に行けるということでしょうか?
いいえ。それさえも、時間という束縛の中での旅行に過ぎません。

未来が見通せるということでしょうか?
いいえ。やはりそれも、時間に束縛された視点に過ぎません。

神様は、時間という概念の外におられるのです。
それでいて、あらゆる時の中に満ちておられ、すべてを同時に体験しておられます。

いや、それさえも、真実を表現してはいないでしょう。
それほどに、神秘的なお方なのです。

すべてを理解することはできませんが、これだけは確かです。
神様は時間に束縛されません未来の出来事を、未来になるまで待たなければ体験できないようなお方ではないのです。

これは聖書を読む上で、とても大切な認識です。

勘違いから生まれた教理

なぜこれが大切なのでしょうか。
なぜなら、この理解がないために、間違った教理が教えられているからです。

その間違った教理とは、「神様は、救われる人と救われない人を、あらかじめ選んでいる」という教理です。一般に、予定説と呼ばれます。

予定説(預定説、よていせつ、英語: Predestination)は、聖書からジャン・カルヴァンによって提唱されたキリスト教の神学思想。カルヴァンによれば、神の救済にあずかる者と滅びに至る者が予め決められているとする(二重予定説)。神学的にはより広い聖定論に含まれ、その中の個人の救済に関わる事柄を指す。全的堕落と共にカルヴァン主義の根幹を成す。

ウィキペディア

予定説のうそ

その考え方を、聖書は完全に否定しています。

テモテへの手紙 第一
2:4 神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる

予定説は、有名な神学者らが信じている説であり、決してマイナーな説ではありません。

だからといって、それが正しいとは限りません。

神様は、救われない人を選んでなどいないのです。
すべての人が救われることを望んでおられると書いてあるとおりです。

予定説を生み出してしまった原因

予定説は、次のような箇所から生み出されました。

ローマ人への手紙
8:29 神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。
8:30 そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである。

ローマ人への手紙
9:11 まだ子供らが生れもせず、善も悪もしない先に、神の選びの計画が
9:12 わざによらず、召したかたによって行われるために、「兄は弟に仕えるであろう」と、彼女に仰せられたのである。

まるで神様が、人の信仰を無視して、一方的に選んでいるかのように感じられます。

しかし思い出してください。

神様は、時間に束縛されるのでしょうか

公正な裁き

「神様が一方的に人の救いを定めた」と考えるのは、無意識に神様を矮小わいしょう化しているからです。

神様は時間の外におられ、すべての時の中に満ちておられます。
この神様にとって、「まだ起こっていない」という出来事は一つもないのです。

これを使徒たちは、簡潔に「予知」と書いています。

ペテロの手紙 第一
1:2 すなわち、イエス・キリストに従い、かつ、その血のそそぎを受けるために、父なる神の予知されたところによって選ばれ、御霊のきよめにあずかっている人たちへ。恵みと平安とが、あなたがたに豊かに加わるように。

予定ではなく、予知
すなわち、神様はすでにその人の応答を見ておられるのです。

未来を待たずしてその人の行いを見ておられ、愛の応答をした人を、生まれる前から召し入れることのできるお方なのです。

ですから、この判決に異を唱えることは、サタンにさえもできません
すべては公正な裁きの結果、なされているのです。

エジプトの王ファラオ

出エジプト記
7:3 しかし、わたしはパロ(ファラオ)の心をかたくなにするので──

神の一方的な選びを信じる人たちは、このような箇所を見て、神様が「善良な王」を「悪しき者」に変えてしまったかのように考えます。

とんでもないことです

神様は、これから起こる奇跡に対して、ファラオがどのような応答をするか、知っておられたのです。

それで、「今から奇跡を起こして、ファラオの心をかたくなにする」と言われたのです。
けっして、ファラオの心を操作したのではありません。

神様は強制しない

思い出してください。神様は、全員を救いたいのです。

それでも、愛を強制なさりません。
この神様の苦しみが分かるでしょうか。

もちろん、人々を強制的に救うこともできるでしょう。
しかし、それは束縛であり、暴力です。

何とも歯がゆいことに、本人の選びがなくては、愛は成立しないのです。

そこで神様は、ご自身のほうから最大限の愛を示されました。
すなわち、ひとり子を罪の犠牲として、私たちに賜ったのです。

テトスへの手紙
2:11 すべての人を救う神の恵みが現れた。

「すべての人を救う神の恵み」そう書かれているのが見えますか?
それなら、もう惑わされないはずです。

選ぶのは私たち

すべての人が招かれていても、その全員が選ばれるわけではありません。
神様の愛に応答するかどうかは、人の側に任されているからです。

神様は、イエス・キリストが私たちのしゅであることを、すべての人に信じてほしいと願っておられます。

ヨハネの福音書
6:40 わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう」。

ですから、誰も、滅びを神様のせいにすることはできません
ただ、人がそれを拒絶するので、滅びる人がいるのです。

もう、予定説などで、神の愛をけがしてはなりません。
救われない人がいることを、神様のせいにするなど、言語道断です。

おわりに

神様は時間に束縛されません。
時間を造られたのは、神ご自身だからです。

予定説は、人の頭で考えようとした結果生み出された、勘違いです。

救いは私たちの選びにかかっています。
神学を捨てて、幼子のように聖書を読むなら、すぐにわかるはずです。

ルカの福音書
9:23 それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。

偽りの神学を捨て、聖書に従いましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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