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MMM2009-2018:話すことと、作り続けること(MMM2013)

誰にも見せる予定のない、2013年5月5日の非公開の日記に、こういう一文を書いていた。

今だってMMMがあるじゃないかって思うかもしれないけど、僕はMMMで腐っている。「作家」としてではなく「プロデューサー」として期待されている。人はどんどん来るけど、彼らと話したいと思えない時がある。

MMM2012はとても順調だった。上手くいくと、色々なことをやりたくなるし、後押しも生まれる。ぼくはMMM2013からは古民家カフェ「みなとカフェ」を、自分が持っているゼミ(嘉悦大学フードビジネスゼミ)で運営することになった。一方で、当時流行りだしたクラウドファウンディングの担当になってサクセスさせたり、那珂湊で発生したトラブルシューティングを担当したり、かなり活動は充実していた。

しかしそれは「プロデューサー」としての仕事であり(本来本業であるはずの)「芸術家」としてのものではなかった。もちろん当時は、こんな明確にわかっていたわけではなく、もやもやしていた。

ぼくは年に数回、ゆっくりしっかり考えて、次の道を決めることにしている。その時もゆっくりしっかり考え、今年やりきって次の段階に行こう、「みなとカフェ」担当としてMMMには関わるけど、那珂湊での作品展示は最後にしよう、プロデューサーも一旦退こう、と決めた。

さて、そうなると残されたのは「作品をどうするか?」である。いつも、作品が展示されていても、そこにいなければ、ぼくとのコミュニケーションは生まれない。このことを、いつももどかしく思っていた。もし那珂湊で最後に取り組むなら、この「作ったものを通してコミュニケーションしたい」問題を解決して、締めたい…そういうことを考えていた。

そこで生まれたのが「滞在制作」であった。百華蔵の事務所の脇を貸して頂き、そこに基本的には滞在して、作品を作ったり、作業をしたりする…。今までのMMMで生まれた「モノ」を介して、来場者とコミュニケーションを取り、それによって新しい「モノ」を作る…そういう場所にしようと決めた。今思えば「関係性の美学」みたいなことなんだけど。

会期が始まると、例年以上のバタバタ…。特にこの年は、みなとカフェもMMM全体のプロデュースも担当だったし、この年は卒業論文の受け入れもしていたので、気がつくと夜、なんて日もあった。ぼくは時間がある時は展示場所にいて作業をしながら、呼ばれたら出向く…という形式を取っていた。上記はその時の一枚。たぶん最終日じゃないかな。たくさん人が来てくれたので、嬉しい気持ちで説明をしているのだと思う。

実は「いいかげんだ」と、数人に批判された(確かに、今ならもうちょっとうまくできるな…)。作品がないことがわかると、無言で立ち去っていく人がいて、自分のしつらえの甘さにへこむこともあった。その一方で、「コミュニケーションを目的としたコンセプトは理解できる」「一度会ってお話してみたかったんです」「MMMのバックボーンになっている資料を見ながら、話すと違う」と言ってくれる人もたくさんいてくれて、うれしかった。MMM2010の時は、まだ2歳で、作品写真に掲載されていた子が5歳になって来てくれて話ができたことが、もっとうれしかった。当時の自分が想定していた「意図」は達成できた。これにて「MMM出展作家」は、引退。

それから5年。先日まで展示作家として「木津川アート」の準備をしていた。今日からはモードを切り替えてMMM2018の展示準備に加わる。「作家ープロデューサー」問題は、今の所うまく付き合っている、と言えるのかな?今後は、ちょっと不安だけど。

ただ今は、那珂湊に来るいろいろな人達と、話したい。

そしてそれは、芸術家として「作ること」を諦めたということでは、ない。


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