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MMM2009-2018:盛れた年(MMM2012)

人生、生きていれば、まあ1枚ぐらいは「盛れた写真」というものがあるはずだ。

ということで、この年の1枚は個人的には「田島史上最大に盛れた写真」の一つ、と認識している。陰影が彫りを深くしてくれているし、左下に学生がいて、右下に田島がやや強面で立ちはだかる、という対立構図も良いし、真顔にピコピコハンマーを持つという、少し抜けたコントラストも良い。

撮られた時期は確か、2012年の秋。MMM2012はMMMが終わってからが忙しかった。

前回の記事でMMM2011をかなり辛そうに書いてしまったが、もちろん良いこともたくさんあった。地域の協力の質が多様化したことはその一つだ。新しい協力者の中には経営者もいて、ビジネス的な視点から、具体的な助力してくれる人も現れた。そんな中で、古民家カフェ「みなとカフェ」(〜2015)や、古い倉庫を改装したコミュニティスペース「百華蔵」が、生まれていった。MMM2011の時の軋轢は、「楽しくやろう」という(高草)まさお新代表の元、かなり薄れていった(…と思ってるけど、そうだよね?)。ぼくだけでなく、MMMもまた「盛れて」いった一年だったのだ。

資金獲得の一環として、総務省の「域学連携」に取り組んだのもその一つだ。企画内容は、前述の「みなとカフェ」を、地域内外の大学が連携して、コンサルティングする、という内容だった。ぼくは当時お世話になっていた嘉悦大学の非常勤講師として、昨年度の出展作家兼常磐大学の教員だった中村(泰之)さんや、アートディレクターだった小佐原(孝幸。「さん」はつけない!笑)と共に、そのプロジェクトに関わることになった。

一つぐらい、実現したら良いなあ、と考えながら、嘉悦大学の学生と、常磐大学の学生で6つの混合チームを作り、「みなとカフェ」を活性化する企画を提案してもらった。その中での「クリスマスカードワークショップ」を提案したチームは仲も良く、企画も実現することができた。このチームは、今も仲が良くて、毎年那珂湊に来ては楽しんでいる。今年も来てくれるかな。その後、みなとカフェは嘉悦大学フードビジネスゼミが運営することになり、中村さんはドゥナイトマーケットに深く関わることになる。その後のMMMが芸術祭以外に展開したきっかけとなった事業だった。

さて、このプロジェクトは、バタバタもしていたが楽しかった記憶も強い。バスをチャーターし、大人数でホテルを確保し、TAだった大西(未希)さんや、SAの關(佳太)とチームのことをずっと考えたり…、プロジェクトがスタートしてからも楽しかった。SAなのにバスに遅刻した關が、特急に乗って最高のタイミングで那珂湊駅に到着したり、フィールドワークで那珂湊の祭り「ドゥナイトマーケット」に参加したら、ウルトラセブンのお面をつけた学生が大人気になったり…。MMM2011で崩壊していた自信というか自己肯定感も、このプロジェクトを通して、少しずつ回復していった。この写真も「自分がここにいて良い」という自信というか安心感があるように、今改めて見ると感じる。

…と、書いていて感じた。この年はバランスが本当に良い年だったのだな。非常勤講師稼業は最盛期を迎え楽しく毎週充実感を持って仕事をしていたし、博士研究も査読論文が一本通って自信になってたし、毎年MMMに出せたので作品を作り続けることができていた。その後、様々なプロジェクトを一緒にする、渡邉(哲意)さんや、槌屋(洋亮)さんと知り合ったのもこの年だ。毎日実家の近くで美味い蕎麦屋を探して食い歩いていた。

今年、札幌と東京の二拠点居住をすることになり、実家を活用する機会が増えた。だからか、実家や近所を眺めながら、当時のことを良く振り返る。当時の衝撃的な一日というのが思い出せず、実はこの記事はかなり苦戦したのだけど、暖かくて心地の良い毎日の中で過ごしていた、そんな感覚だけが思い出されるのだ。…本当に、「盛れた年」だったんだな。

次の年、ぼくはバランスを崩すことを決めた。

作品を出すことと、MMMのプロデューサーを辞めたのだ。

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