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地域アートプロジェクトの事務局制度:みんなで議論して、ずっと続けるために

先日、ぼくが関わっているMMM(みなとメディアミュージアム)MRS(一般社団法人新宿メディア芸術地域活性化推進協会)で、同時プレスリリースを公開した。内容は、MRSがMMMの事務局を担うこと、MMMは共同代表制とすること、そしてぼくがMMMの事務局長となること、だ。

昨年末に報告した、最終責任者としてMMMに戻る、という話をやっと公的に報告することができた*1。前任者のありがたみをひしひしと感じつつ、実はすでに新体制で走りまくっています。情報公開や対応が遅れているのは単純にぼくのミス。就任早々、すみません。。

こちらはMRS側のプレスリリース。

ほぼ同内容のMMM側のプレスリリース。

さて、今回の内容がどんな背景で、どんな効果を期待しているのか。ちょっと掘り下げて書いていこうと思う。

1.事務局体制について

今回、事務局(長)という概念を新たにMMMに持ち込むことにした。

これの最大の理由は、実行委員会と事務局で明確に職務を分けることを目的としている。具体的にはこうだ。

・事務局:マネジメント全般・実行委員会補助
・実行委員会:企画立案・意志決定

つまり、MMMが地域アートプロジェクトとしてなんとか成立するためのマネジメントは、その道のプロ集団(MRS)が事務局として責任を持ちながら[1]、その意志決定や、それを具現化する企画立案については実行委員会でフラットな議論を徹底的にやって進めて行く、と言い換えることができる。ぼくは、小規模地域アートプロジェクトが公益性を保ったまま、存続するためには「実行委員会・事務局制」は適切な一つの手法だと考えている。具体的には三つの理由で説明できる。

2.ぼくが事務局制度をMMMに導入する三つの理由

理由1:タスク分散

まずは事務局と実行委員会という、明確な役割分担ができることで、タスクの分散ができることは大きい。少なくともMMMのマネジメントで言えば、短期的な業務改善に直結する。

最近のMMMは、学生の代表と大学教員のプロデューサー、チーフキュレーターが意志決定とマネジメントを担う体制だった。タスク量の少ないイベントであれば、それでよかったかもしれない。しかし今やMMMは11年続き、大きく成長し、市からも協働者として見られるようになった。外部の方は何かMMMに依頼することがあると、とりあえず首脳陣の誰かに投げる。首脳陣はさらに余裕がなくなり「自分でやればいいや」状態が加速する、というケースもあった。こんなプロセスで、最低限やるべき業務だけでもかなり増えてしまった。このタスクの急増が、これまでの体制と圧倒的に合わなくなってしまったのだ。タスクが集中すると余裕がなくなり「それなら自分でやればいいや」となり、他のスタッフに回すことも難しい状態に陥っていた。こうなると、スキルの成長曲線やモチベーションも首脳陣とそれ以外で乖離するようになり、ますますタスクを首脳陣で抱えるようになる。この「タスク占有現象」は、初期のアートプロジェクトに多い現象であることは過去のぼく研究でも指摘している[1]。だが、10年目を迎えたアートプロジェクトでも同様に起きてしまっていた。

しかしこれはMMMだけが特殊ということではなく、他の中小企業などでも同じ現象は見られる。役割が曖昧なままでは「タスク占有現象」が起こるのは必然なのかもしれない。現状のMMMのタスクを処理するためには新しい役割分担、そう令和時代の役割分担(←言いたかっただけ)が必要になったのだ。

そこで今回の事務局制度だ。ルールとして実行委員会と事務局を明確に分けることで、マネジメント業務と企画立案・意志決定業務を意識せずに分散できる環境を作った。知見やスキルが要求されるマネジメント業務はプロが担当した方が効率的だ。実際、専門ではない実行委員会が暗中模索してマネジメント業務を担うことはストレスフルに見えたし、首脳陣のチェックが必須だったため実行スピードは上がらなかった。今回の事務局制度の導入で「タスク占有現象」はある程度は解消できると思う。

理由2:大学生以外の参入障壁の低下

「出口(タスク)」の次は「入口(スタッフ参加)」の話。事務局と実行委員会を分けることで、MMMに関しては、大学生以外の幅広いプレイヤーの新規参入がしやすくなる。そして、このことはMMMを超えて、大学が絡んだ小規模地域アートプロジェクトの困難を解消する位置方法だと考えている。

近年のMMMでは、近年では「(大)学生主体」と銘打ち、「学生」と「それ以外の大人」という方法で役割を分けていた。実際、小規模地域アートプロジェクトで「学生主体」な体制を取っているものは少なくない。その多くは大学の教育活動を連動したものだ。事例を出せばいくらでも出てくる。

福井県鯖江市河和田地区の「河和田アートキャンプ」は2004年から活動している学生主体のアートプロジェクトだ。京都精華大学の学生が中心となって活動している。2014年にはグッドデザイン賞も地域づくり分野にて受賞している。

茨城県石岡市八郷地区の「アートサイト八郷」は2010年から活動しているアートプロジェクトで、こちらは武蔵野美術大学の学生が中心となって活動している。車を使って、MMM会期中に行きたいと思っているのだが、毎年タイミングが合わずまだ行けていない。。

北海道赤平市の「赤平アートプロジェクト」なども大学主体だ。2004年から開催されているアートプロジェクトで、旧住友赤平炭鉱の炭鉱遺産をテーマとした作品展示や企画が行われている。こちらはぼくの職場でもある札幌市立大学が共催に入り、札幌国際芸術祭のディレクターをつとめた上遠野敏先生と関係学生が主体的に関わっている。

しかし、学生や大学を主体としたアートプロジェクトの限界が見えてきているように思える。その原因は、日本における大学の立ち位置の変化が大きい。文部科学省の方針によって大学生も大学教員も忙しくなった。大学生はしっかり授業にコミットすることが求められるようになった。大学教員は文科省の要請や学生の変化に対応するために仕事量が増え続けている。MMMでも、徐々に大学教員のスタッフが大学業務に忙殺されて、MMMに十分にコミットできなくなる様子を見てきた。こういった状況では、正規のカリキュラムに組み込めないMMMのような団体は苦境に追いやられることになる。

また経済的にも学生は厳しくなっている。景気停滞により小遣いは減り続け、アルバイト収入が増え続けていることが生協の学生生活実態調査でも明らかになっている。「最近の学生は課外活動やらなくなった」なんて愚痴る大学教員は山のように見ている。赤平アートプロジェクトも学生の参加が減ったとよく上遠野先生が愚痴っている。だけど、学生が悪いのではなく、こういった背景による影響があることは間違いない。

また、ピンポイントなところでは大学の教育学部で、教員免許の取得を卒業要件としない「ゼロ免課程」を廃止・縮小する流れも影響している。例えば、2001年から開催されていた新潟県新潟市内野地区の「うちのDEアート」は新潟大学教育学部美術科の学生や教員が中心となって実施していたが、新潟大学がゼロ免課程を廃止したことに伴い、開催を打ち切った。

このように大学や学生とアートプロジェクトの関係は微妙になりつつある。しかし、その一方で大学生以外にもアートプロジェクトに関わりたいと思う人間は多い。であれば、関心を持つさまざまな人たちが主体性に参加できる仕組みをつくることが、アートプロジェクトに求められていることだと、ぼくは思う。アートプロジェクトにおけるボランティアは、「瀬戸内国際芸術祭」の「こえび隊」や「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の「こへび隊」で既に知られていたが、現在ではより主体的な活動を期待されているものが多い。

例えば、埼玉県さいたま市の「さいたまトリエンナーレ」では「共につくる、参加する芸術祭」を掲げ、サポーターを広く募集した。結果として、973名のボランティア登録があり(ぼくも登録した)、中には「メディアラボ」が実施している諸事業や「未来会議(あるいは未来トーク)」などの主体的な活動も生まれていた。

また、新潟県新潟市の「水と土の芸術祭」では市民プロジェクトがアートプロジェクトと同レベルの扱いを受け、精力的に実施されていた。110件を目処に市民から募集し、一プロジェクトあたり最大50万円が助成された(総予算の4/5)。中には「小須戸ARTプロジェクト」のように良質な小規模地域アートプロジェクトを継続的に支援する形でも使われていた(自治体主催の大規模地域アートプロジェクトが、小規模地域アートプロジェクトを支援する構造については、またどこかで書きたい)。

実際、アートプロジェクト研究ではボランティアに焦点を当てたものが増えている[2][3]。これらの動向を踏まえると、MMMにおいても学生以外の方々を巻き込む仕組みづくりは必要だ。そのためにはMMMの魅力や開放性を保ったまま、煩雑なマネジメントから実行委員会を解放する必要があった。

では具体的にはどんな人の参加を期待してるのか。

まず高校生の参入、が挙げられる。先ほどは文部科学省の政策によって大学が関わりにくくなってきたという話をしたが、その逆のことが高校には起こっている。文部科学省は高校が自治体や大学、地元企業などを巻き込み、地域に関わる新しい教育を協働を通して生み出すことを推進している[4]。つまり「これからの社会で活躍できる人材を育てるには、高校や高校教員だけでは追いつかず、学校外や地域住民を教育に巻き込む必要がある」が、文部科学省の姿勢だ。であれば、高校とアートプロジェクトの間は今までより踏み込んだ連携できるはずだ。

次に18歳以上の若者である。那珂湊の近くには大学がない。一番近い常磐大学でも約16km。車なら約40分だが、公共交通機関なら1時間以上かかることもある。必然的に、那珂湊の18歳は大学進学とともに外に出ることになる。おそらく那珂湊はまだ良い方で「大学進学するなら出るしかない」地域はたくさんある。そもそも地方の大学進学率は高くない。大学・短大への進学率が60%を超えるのは東京、神奈川、京都、広島、兵庫の5つのみ。MMMのある茨城県は50.6%に留まる[5]。ひたちなか市単独で言えば36.1%だ(ちなみに最低は坂東市の8.3%)[6]。他の地域では大学に進学すること自体が必然ではない。だから、大学に行く学力はあっても地域に関わり続けたいという理由で、進学せずに地域内の就労を選択する者も少なくない。そのため「学生主体」を掲げることは、せっかく熱意のある地域の若者たちの参入を大きく妨げてしまう事にもなりかねない。

もちろん、それ以外のさまざまな人々の関わりを期待している。まさに水と土の芸術祭やさいたまトリエンナーレのボランティアのような人たちだ。MMMも、10年以上やっていると「MMM興味あるんです!学生だったら入りたいんだけど…」という声もよく聞く。そういった方々の参加障壁もできる限り下げていきたい。MMMは現在、東京と茨城の二拠点で活動しているし、オンラインでの参加の仕組みも整理している(こちらについても近日中に記事を書く)。さまざまな関わり方が提案できると思う。MMMがひたちなか市や那珂湊の関係人口を生み出す存在になれれば良いな、と思う。

理由3:公益化・主体化。「みんなのアートプロジェクト」へ

事務局制度を導入した理由で、最も大きいのがこれだ。すなわち、誰でも実行委員になることができ、誰もがアートプロジェクトについて、考え、学び、議論し、決め、そしてつくることができるよう形を作りたい。

アートプロジェクトの実行のためには、少なからず専門家の関与が必要だ。MMMでいえば昨年まではプロデューサーとチーフキュレーターは専門家と言える大学教員が担当していたし、今年からも事務局が専門家集団だ。一方で、専門家とは既存分野の専門家に過ぎず、既存分野を超えた判断については、保守的になりがちだ。誤解して欲しくないのだが、専門家の役割を軽視しているわけでは決してない。マネジメント(実務)は保守的であるべきだし、MMMで言えば、実行委員会における議論に際して、既存の論点を整理できる人間は必要だ。ただ、本当に恐ろしいのが、専門家の言葉は権力を持ちやすい、ということだ。MMMでも「田島さんの意見を待ってから」みたいなコメントはたまに流れる。この状態は専門家にとっては自分の思い通りに、かつスピーディーに動くことができてとても快適である。そのため油断するとマネジメント機関と企画立案・意志決定機関が混ざり出す。混ざり出せば、あの「タスク占有現象」が再発する。だからこそ、専門家を参照することは悪くないけれど、あくまで決断は実行委員会で行うべきだ。だからこそ、専門家は事務局で留まるべきだ、と考えている。

「地域を変えるアートプロジェクト/地域アート」という、「美術・芸術」あるいは「地域活性化・まちづくり」という既存分野では落とし込めない事業をやる以上、既存の専門家による通常の判断では、その可能性を最大限に掘り起こすことはできない。だからこそ大局の判断やそれを具現化する企画については、様々な関心分野やバックボーンを持つ実行委員会が徹底的な議論を通して決めていく必要がある。同時に各実行委員が「芸術祭の運営を考える/学ぶ時間」もまた求められることになる。

当初は民主的な体制だったが、紆余曲折を経て少数の専門家がマネジメントと意志決定を一元的に行うようになった小規模地域アートプロジェクトは少なくない。しかし、そうなると主催者以外の主体性は出せなくなるし、公益性も担保できなくなる。専門家や専門家の持つ知見を参照しつつ、決断は実行委員会自ら行う、そういった決断と実行の繰り返しこそが、地域に根ざしたアートプロジェクトの公益性を維持し続ける方法だと確信している。

3.終わりに:民主性という人類の発明を信じて

去年の出展作家に「MMMは誰のものなのか?」と言われた。ぼくは「実行委員会のものだ」と応えたが「それは何かごまかしているのではないか」とも言われた。当時のぼくなりに反論はしたのだが、明確な回答ではなかったかもしれない。今なら言える。「MMMは実行委員会のものである」と。ぼくが責任を持つのは構わないのだが、ぼくの意志決定に他のスタッフが付き従うもの、すなわちMMMを「ぼくのもの」には絶対にしたくない。

また今年の春先に、MMMに関わる研究者の方から「田島は徹底的にフラットであろうとする」とも言われた。そうなのかもしれない。ぼくは博士研究を通して、個人や少数の専門家のアートプロジェクトの危うさを、自治体主催のアートプロジェクトの不器用さを痛感した。それを超えるのは、主体的に考える者たちによるフラットな議論を通した意志決定ーすなわち、民主性ーじゃないか、と考えている。

*1:なお前回の報告通り、全責任は事務局長、すなわち田島が負うことになっている。ただし、これは上記に照らし合わせると適切ではない。実行委員会の責任、すなわち意志決定や企画のミスは本来実行委員会が取らないと、事務局からの独立性が保たれないからだ。ただ、現段階ではそれによる実行委員会のリスク増が参入障壁を高めてしまうのも事実。しばらくは事務局・実行委員会ともに田島が責任を負うことで対応したい。

[1]田島悠史、大西未希、小川克彦(2013)「小規模アートプロジェクトにおける持続性とコミュニケーション構造の関係 : 個別役割型から自発共有型への コミュニケーション構造の変遷」情報文化学会誌
[2]三宅美緒(2017)「アートプロジェクトにおけるボランティア活動の持続要因の考察 : 瀬戸内国際芸術祭で活動するボランティアの視点から」文化経済学会
[3]佐口史華(2012)「市民ボランティアを通じたまちづくり : あいちトリエンナーレ2010の事例から」日本文化政策学会
[4]文部科学省(2018)「地域との協働による高等学校教育改革の推進」
[5]文部科学省(2018)「学校基本調査-平成30年度結果の概要-」
[6]茨城県(2018)「平成29年度茨城の学校統計(学校基本調査結果報告書):統計表・報告書」

4.事務局制度に到るまでの産みの苦しみ(有料ページ)

さて、ここから有料ページです。
今回は「事務局制度に到るまでの産みの苦しみ」について。

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