【210回】しなやかさって、何回も起き上がることなのかなあ(190714)
この本を読んでおきたいと思う気持ちがわいてくる。
2016年の発売時に一度読んでいる。
開いたのは3年ぶりになるのか。
ある生徒は言う。
「先生は、勉強の仕方を選ばせてくれるのがいい」
すべての生徒がそう言っているわけではないが、指導内容が決まっている中で、学習する方法を選択し、試行し、ふりかえっていく過程は必要なのではないか。石川氏は「何をどのように学ぶか」とあるので、学ぶべき内容も、生徒が選択する場面が出てくるのかもしれない。
このような取り組みを行うとき、闘うべき相手は主に、同僚となる。
しかしすべての同僚と闘うことにはならないだろう。僕は特別支援学校勤務なので、逆に、やりやすさもある。
闘うというのは、孤立してもいいから、自分の責任を中で、思うべき道を行けということなのだろうか。
学校という組織に守られている以上、僕も「集団の中の個」(p34)に変わりない。孤立してはいけない。また孤立することはない。
自分がして欲しいことを
自分がしてもらってうれしいことを
まず相手に施す
自分がしてもらいたくないこと
自分が嫌だと思うことは
相手に施さないよう気をつける
生徒にも同僚にもね
これがベースなのだろうなあ。
でも、ときに崩れ落ちてしまう僕の精神には、どうしたらいいのだろう。
しなやかさとはどう身につけていくのか。柳みたいなものかしら。
それとも、起き上がりこぼしみたいな、倒れるけど、起き上がるようなもの?
起き上がりこぼしだとしたら、自分で立ち上がるのだけではなくて、誰かに支えられて立ち上がることも許してほしいなあ。
今日はもう1冊。
夏目漱石「こころ」は僕にとって、ベスト3に入る小説である。