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【210回】しなやかさって、何回も起き上がることなのかなあ(190714)

この本を読んでおきたいと思う気持ちがわいてくる。

2016年の発売時に一度読んでいる。
開いたのは3年ぶりになるのか。

公立中学校というぎちぎちの枠組みの中で、何をどのように学ぶかを子どもたちが選択できるようにしていくことで、子どもたちの思考は逡巡しつつもどんどん広がり深まっていく。それを保障するためのしなやかな闘いがまたスタートした、そう感じている。(p62)

ある生徒は言う。
「先生は、勉強の仕方を選ばせてくれるのがいい」
すべての生徒がそう言っているわけではないが、指導内容が決まっている中で、学習する方法を選択し、試行し、ふりかえっていく過程は必要なのではないか。石川氏は「何をどのように学ぶか」とあるので、学ぶべき内容も、生徒が選択する場面が出てくるのかもしれない。

このような取り組みを行うとき、闘うべき相手は主に、同僚となる。
しかしすべての同僚と闘うことにはならないだろう。僕は特別支援学校勤務なので、逆に、やりやすさもある。
闘うというのは、孤立してもいいから、自分の責任を中で、思うべき道を行けということなのだろうか。

学校という組織に守られている以上、僕も「集団の中の個」(p34)に変わりない。孤立してはいけない。また孤立することはない。

自分がして欲しいことを
自分がしてもらってうれしいことを
まず相手に施す

自分がしてもらいたくないこと
自分が嫌だと思うことは
相手に施さないよう気をつける

生徒にも同僚にもね
これがベースなのだろうなあ。

でも、ときに崩れ落ちてしまう僕の精神には、どうしたらいいのだろう。
しなやかさとはどう身につけていくのか。柳みたいなものかしら。
それとも、起き上がりこぼしみたいな、倒れるけど、起き上がるようなもの?
起き上がりこぼしだとしたら、自分で立ち上がるのだけではなくて、誰かに支えられて立ち上がることも許してほしいなあ。


今日はもう1冊。
夏目漱石「こころ」は僕にとって、ベスト3に入る小説である。