見出し画像

【175回】聞いてくれてありがとう〜主語を自分にして感情とともに伝える(190609)

ある日。
ある生徒に僕は話をした。
生徒に変容を求める内容であり、言い方を気をつけなければ、生徒を責めることになりかねない。
一方的に思いを伝えるのではない。
僕の気持ちと提案を伝えるのだ。

「こんにちは、○□くん。ちょっと話があるんだ。来てくれるかな」
「来てくれてありがとう。信頼してくれて、先生はうれしいな」
「ところで、昨日のことなんだけど…」
「君はよかったのかもしれないけれど、まわりの生徒は誤解をしているかもしれない」
「先生はね、いつもやさしいあなたが、誤解されるのは嫌なのです」
「だからね、別の方法はないかなと思うんだ」
「例えば、……というのはどうかなあ」
「うん。聞いてくれてありがとう。これからもよろしくね」

その後、笑顔で一緒に教室に戻った。

僕の感情を伝えるとき、「嫌なのです」という言葉がはたしていいのかどうかなど、細かいところは気になる。しかし、生徒を一方的に責めることには少なくともつながらなかったのではないか。


アドラー心理学と学級経営を結びつけて実践をされてきた赤坂真二によると、

相手に何かを伝えるときに自分を主語にすることによって効果的にメッセージを伝える。(「アドラー心理学で変わる学級経営」(p193))

自分の言いたいことを断定的な言い方ではなく一個人の意見として伝える。(同書(p194))

という。手法を真似るだけではない。

生徒を一人の人間ととらえ、人間として対等に思っている。一方的に生徒に教えることが教師の仕事ではない。また、僕にとってはそれは苦痛なのだ。
だから、生徒に聞いて聞いて聞きまくる。生徒に教えてもらう。
そこから、伝えるべきことを考える。

「先生はもっともっとあなたのことを知りたいのです。だってあなたのことがわからなければ、どのように考えているのかもわからないし、助けることもできないし、教えることもできないもの。」

生徒は、不思議な顔をする。
そして生徒の関わりは進んでいく。
教師だからつい、上から目線で偉そうに教師ぶってしまいそうな…そんなエゴも出そうになる。人間として対等であることを意識しなくても過ごしていけるようになろう。

野口芳宏も言うではないか。

「ぶらずに、らしゅうせよ」

教師ぶらずに。
教師らしく生きる。