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【212回】自分自身と関係づくりがうまくいかないからこそ、同僚のせいにしていまうのかもしれない(190716)

うまくいかないことを他人のせいにする。環境のせいにする。言葉には出さなくても、心の中で渦巻く。
それが壁になり、よけい他人と関係を作りづらくなることも知っている。だから、自分から積極的に声をかけ、様々な職員と話をしてきたではないか。
自分の信念で実践を行うためには、まわりとうまくやっていく、まわりに信頼されることが必要だ。そのために伏線を張る。そのために少々ずる賢く生きる。

それができない。
いや、やろうとしていないだけか。
否、信頼があるからこそ、チーフの仕事が復帰直後に舞い込んだりするのかもしれない。

けれども、うまくいかなかった。

自分はそんなに仕事ができる人ではない…。

しかし、信念は守りたい。
生徒が自分で考える。自分で行動する。自分でふりかえる。
学び方を選ぶ。学ぶ内容を選ぶ。結果を受け止める。
対話をする。話し合いながら協力して課題に向き合う。
チームで課題を解決する。チームで解決する気持ちよさを体験する。
教師として頭ごなしではなく、同じ人として、最初は一緒に、しかし少しずつ離れた位置から、生徒の活動を見守りたい。
学校は楽しいところだ。居場所だ。
勉強して楽しかった、勉強になった!と思える授業を作りたい。
生徒と話をする。僕は僕の話をする。絵本や小説、歴史、現代社会のこと、生きることについて考えていきたい。雑談を大切にしたい。

今、絵本作家のかこさとしさんの本を読んでいる。「未来のだるまちゃんへ」という本。

「やりたいけどできなかった」っていう言い訳は、やっぱり通用しません。どうしてもやりたいなら、親や先生の目をごまかしてでもやればいい。
そのくらいの知恵は子どもだってあるはずで、それくらいの意気込みがなかったら、自ら水準を高めて、何かを達成するというのは難しいんじゃないかと考えます。
本当にやりたいことなら、誰になんと言われようと、やらずにはいられない。
それに向かって自らの意思で、自らの力を注ぐのが、子どもというものだと思うのです。(p88)

子どもに対してのメッセージ。しかし、大人にも通じる。
すでに中堅教師となってしまったが、4年目くらいまでは、同僚に見守られて、いややっかみを持っている方もいたようだが、あまりそういうことはわからず、やりたいと思ったことを実践してきたと思う。同僚の感情に気づいてしまったから、ずっと悩んでいるのかもしれない。

結局は、生徒より保護者より、同僚との関係がいつもつきまとうのだ。

こんなことで悩むのが、悔しくて、嫌で、「どうでもいい」と思えたら一番なのだが、そうもいかない。悩むということは協力して仕事をしたいのだ。

ずる賢く、そしてあまり気にせず同僚の言葉や行動を受け流すには、どうしたらいいか。

いや逆に、同僚をもっと信頼できるようになるにはどうしたらいいか。

同僚に頼ってはいけないという傲慢さ。自分は貢献できていないではないかという無力感。自分の中にあるものを同僚に投影してしまっているのか。だから、同僚を攻撃しているのではないか。

自分を責めるのも、同僚を責めるのも。いい加減勘弁してほしい。僕よ。

自分自身と関係づくりがうまくいかないからこそ、同僚のせいにしていまうのかもしれない。

難しい。