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【219回】1学期が間もなく終わる(190723)

まもなく1学期が終わる。
精神的には浮き沈みがあるものの、なんとか一区切りできそうだ。

職場に復帰したのは7月だが、訓練の時期を含めると4月下旬から教室に入っていた。

意識してきたのは、アドラー心理学でいう「課題の分離」であった。
アドバイスをしているのに、指摘しているのに、生徒はさらに対応が難しい行動を取る。どうしたらいいのか。
そのような悩みを続けるのはなるべくしないように。

提案をするように語りかけた。
例えば、ある生徒に鉛筆削りを貸した。削ったあとに出た粉が残されまま、鉛筆削りを放置していなくなっていたとする。僕には何も報告もない。

生徒は別の机に向かって作業をしていた。僕は鉛筆削りを持って、生徒の前に置いた。

「あなたが削ったのです。あなたが捨てるべきですよ」

生徒は「いやだ」と言って作業の手を止めない。

僕は任せることにした。見守ることにした。僕ができるのは、「こうしたらいいのではないか」という提案なのではないかと思い始めている。
削ったあとに出た粉を、生徒が捨てるのか放置するのか。それは生徒の課題である。選択の結果を受け止めるのは生徒だ。
仮に、捨てなかったとしても、見守ることを決めていた。また別の機会がある。そのときに、また話をしよう。

子どもがなにをしているのか知った上で、見守ること。(岸見一郎、古賀史健「嫌われる勇気」p142)

この言葉が励ましてくれた。

また、

「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を呑ませることはできない」(「嫌われる勇気」p143)

あくまで、選択は生徒が行う。
僕は生徒を信じる。そして見守る。

あらゆる気になる行動に、例えば、あいさつや返事1つとっても、「社会にでるためには必要だ!」と指導していた。しかし、「生徒は選択する」「僕は信じ、見守る」という姿勢を練習することで、1つ1つの気になることに、「こうしなさい」ではなく「こうしてみたらどうだろう?」と言うようになった。頭ごなしに指導することも無くなっていったように思う。

「先生は悩みすぎだ」

生徒にそう言われながら、浮き沈みがありながらも、自分の成長を喜びたくなる1学期であった。