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ハートのこもった演奏でしか、人に感動を与えることができないのは科学的事実

「黙っていても気持ちは伝わる」とも言われるし、「きちんと言葉にしなければ考えは理解されない」と言う人もいる。翻って音楽について考えてみると、感動を与える演奏と、そうでない演奏がある。

私はサイエンティストであり指揮者でもあるから、「気持ちを込めて演奏しなければ、お客さんに感動は伝わらない」ことを経験として知ってはいたが、それをオーケストラに対して自信を持って言うことを、長い間ためらってきた。気持ちが伝わるのは思い込みや錯覚であって、やはり「音楽そのもの(音という物理現象)が感動を伝えるかどうかを左右する」仮説を捨てきれなかったからだ。

しかしこの記事[1]を読んで考えが変わった。感情は空間を介して伝播するのだ。それは以下の実験による。被験者に怖い映画、悲しい映画などを見せる。被験者にはその間、脇の下に当てたガーゼで分泌物を採取する。そのガーゼを他人に臭わせると、その被験者がどういう感情であったかがわかるのだ。このメカニズムは完全には解明されていないが、体臭にもならない程度の微量のフェロモン様物質によるものと考えられている。感情は、言葉や表情、身振り手振りなどを伴わずとも伝わるのだ。

いわゆる集団心理も、アンドロスタジエノンなどのフェロモン様物質の仕業と考えられている。怒りの気持ちは周りの人に伝播しやすいため、デモが暴徒化するのはその顕著なケースと考えられている。

動物が発情期に、またヒトは思春期に体臭がきつくなることを思い出して欲しい。生理的変化からフェロモンなどの様々な化学物質が蒸散されているわけである。そして私たちはそれを何らかのレセプターで受け取り、生理化学的反応が誘発され、感情という高次元の現象として感じ取っている。

コンサートホールという同じ空間にいれば、演奏者の感情は聞く側に伝わる。音楽のクライマックスでドーパミンの分泌が最高域に達することも分かっている[2]。つまり演奏者が感情を強く持てば、多くの化合物の空気中濃度が高くなり、Fickの拡散法則に従って、より遠くまで届くのだ。オーケストラ全員が同じ感情になり、同じ化学物質を空気中に放出することが、感情を伝えるのに効果的であることは言うまでもあるまい。

そして観客もが、同時に同じ感情になれば、彼らも同じ物質を分泌するはずで、そうなれば相乗効果によって、そのホールにいる皆がより強い感動を得られることになる。

つまり、お客様に感動していただくには、演奏者自身が音楽の場面ごとに深い感情を持って演奏し、演奏者が音楽そのものに大きく感動する必要がある。それによって、初めて聞く側が感動するのだ。ハートのこもった演奏でしか、人に感動を与えることができないのは、紛れもない事実なのである。

あなたの演奏会の成功のために、前回の記事「演奏会を『発表会』で終わらせないために」もご参考ください。


Reference
[1] Blum, D., The Scent of Your Thoughts”, Scientific American, Oct. 2011, p38-41
[2] Salimpoor, V.N., Benovoy, M., Larcher, K., Dagher, A., Zatorre, R.J., Anatomically distinct dopamine release during anticipation and experience of peak emotion to music, Nature Neuroscience, 14 (2011) 257-264

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