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指揮者になる覚悟

アマチュア音楽界には、「指揮者の条件」で述べた項目どれかが欠けている指揮者は大勢います。複数項目に欠けている指揮者も大勢います。こういった指揮者の元でリハーサルを繰り返し、演奏会を行うオーケストラ奏者は不幸です。

ここを読んでいるあなたは、すでに指揮者であるか、指揮者を目指している、と私は想定して書いています。

野球に置き換えて考えてみましょう。リーダーシップ・スキルや野球の技術とは無関係に、あなたは監督兼キャッチャー兼4番打者です。あなたより優れた長距離打者がチームにいても、あなたが4番打者なのです。あなたより優れたキャッチャーがいても、あなたがキャッチャーなのです。あなたの能力と行動、人間性そのものが、チームメイトをハッピーにするかしないかに影響し、試合の勝敗の主要因になります。

オーケストラの指揮者は、この野球の状況よりも大きな責任と影響力があります。一流のオーケストラでも指揮者がダメだったら音楽はダメになります。そういう例はプロ・アマチュア問わずたくさんあります。しかし逆に指揮者がよければ、オーケストラの技量が多少不足していても、人に感動を与える演奏はできますし、それに伴ってオーケストラはハッピーにでいることができます。

オーケストラ奏者という多くの人々の時間を有意義なものにするか、フラストレーションの溜まり場にするか、それは指揮者次第なのです。演奏会を聴きに来てくれた人が「次回も聴きに来よう」と思い毎回ホールが満席になるか、あるいは逆に一度聞いた人が「もういいや」と思って演奏会をする毎に観客を失っていくかも指揮者次第なのです。

何百年も使い古されたクラシック音楽に、あなたとオーケストラによるオリジナルな意味を込めて音にしなければなりません。それは常に試行錯誤と失敗と発見の連続であるべきです。「これが正しい」というものは存在しません。お手本もありません。他人の真似事で、聴衆に感動を伝えることは不可能です。

あなたの心の中で「革命が起こらないといけないんだよ」と小沢征爾は言っています。

ドキュメンタリー「OZAWA」(1985年作品)「革命」についての会話は40:55~

相手は、タングルウッドでデビューする前、24歳でサマーインターンとして勉強していた、今でこそ名だたる指揮者として活躍されている十束直弘氏です。今でこそ私には小沢氏のいう「心の中での革命」の意味が非常によくわかります。

私の中での革命は、大学3年で指揮者としての最後の演奏会。ドボルザークの交響曲第7番でした。本番直前になって、どうしても音楽が生きてこない、流れない、ということに私もオーケストラの全員もフラストレーションの絶頂にありました。そこで最後に私が疑ったのが、原因は自分の指揮ではないだろうかということでした。しかし自分でも何が悪く、どこをどうすれば良くなるのかは全くわかりませんでした。当時オーケストラのトレーナーとして指導していただいていた大阪フィルハーモニーのチェロ奏者である安藤信行さんの家に電話をし、冬の夜中にバイクに乗って押しかけ、レッスンをしてもらいました。二週にわたって二度のレッスン。

自分の指揮の基礎がいかに甘かったかということを初めて知りました。恥ずかしながらそれまでの私は、音楽を聞いてそれに合わせて棒を振っているだけだったのです。本当にオーケストラをリードする、つまり本当の指揮とはどういうものか、ということを初めて体験したのです。これに気づき、頭の中に音を鳴らしながら必死で鏡に向かって練習しました。

翌週の練習でオーケストラの前に立ち、音楽が本当の意味で「流れた」とき、音楽に生命が吹き込まれたのを私は実感しましたし、オーケストラの全員が同じように思ったはずでした。皆の目の輝きが違っていました。

私が自分の技術を疑わずにそのままの状態で演奏会に突入していたら、今の私という人間はなかったと思います。あの経験が、仕事でも社会でも、問題に直面したとき、壁にぶち当たった時の私の勇気の源泉になっています。この「私の中での革命」があったからこそ、当時のオーケストラの友人と生涯の友でいられるのだとも思っています。

オーケストラをハッピーな場所にするか(奏者も聴衆も)は指揮者次第なのです。その覚悟はできていますか?

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