村子田薬師堂、綾瀬市寺尾の寺尾家菩提寺跡ほか。

画像1 以前にも投稿している渋谷重経→寺尾重経のお墓です👋😆🎶✨ 神奈川県綾瀬市の報恩寺ではなく、鹿児島県薩摩川内市です。
画像2 1247年神奈川県立綾瀬北高等学校から下向してきた渋谷実重の系譜、東郷氏が分祀したようです。渋谷重経のおウチはおそらく東名高速の下、法恩寺→報恩寺はなんにも無しなので、これが渋谷重経墓だと思います😉
画像3 私が育った平塚市の四宮~八幡地区、仕事で回っていた津山市の美作河井、鈴鹿市も領有していました。
画像4 さて今日この日記の主題は、東郷渋谷氏宝篋院塔です👍
画像5 一つ上の写真の案内表示のこの場所には、以前noteの日記に紹介した私のYouTube映像のとおり、宝篋院塔の残骸があるのみ。今日はおウチが建っていました。現在の地主さんと葛藤があったのでしょうか。そして東郷渋谷氏宝篋院塔は、村子田薬師堂に移設されていることをすぐに知りました。
画像6 この看板は以前からあったのですが、この先50m先左って初めて見た❗
画像7 かつて5~6回歩きまって気付かなかったこの場所に何かある❗ 昨秋買った本より以前に読んでいた各資料からは、村子田薬師堂って渋谷氏と無関係と思っていましたから、よく見なかったのです😢
画像8 村子田薬師堂跡です👋😆🎶✨ そして東郷渋谷氏宝篋院塔がある❗
画像9 「南方新社 新薩摩学 中世薩摩の雄 渋谷氏」にもあったのだけれども、ここにあった薬師堂は寺尾重経から始まる寺尾氏の菩提寺。おそらく綾瀬市の法恩寺と同様のお寺さんであったのでしょう。
画像10 手前が村子田薬師堂、奥が東郷渋谷氏宝篋院塔
画像11 綾瀬市の法恩寺は現在の報恩寺ですが、この薬師堂も少なくともあの規模だったのでしょうか。
画像12 島津久光の廃仏毀釈で損壊したのでしょう😡⚡👊
画像13 1870年には約千五百のお寺さんを殲滅した島津久光の暗愚さの一面です。
画像14 東郷渋谷氏宝篋院塔の解説。ここより東方150mとあるけれど、それがこの場所です🤭
画像15 ウェブサイトを検索してこの http://niemon.travel-way.net/kagosima/hiwakityo/dotyu/sibuya.html さんが以前の東郷渋谷氏宝篋院塔です👍
画像16 日露戦争の英雄 東郷平八郎はこの渋谷氏の一族です。第二次世界大戦太平洋戦争の回避に奔走し、ポツダム宣言受諾、終戦交渉に功がある東郷茂徳外務大臣は異なりそうです。
画像17 最後はいつもの樋脇城です。渋谷重経以後、寺尾氏が鎌倉幕府御家人として活動する為、この樋脇町塔之原から米を京都や鎌倉や綾瀬市に送った拠点が、この樋脇城です👍
画像18 竹やぶから奥が樋脇城本曲輪。宝治合戦以後台頭した渋谷氏ですが、すぐ1274年の文永役、1281年の弘安の役を迎えます。

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