渋谷重経 にまつわるサイクリング

画像1 平塚市立中原小学校です。徳川家康が駿府城から江戸城へ通勤する際の休憩スポット、中原御殿跡でもあります。私事ですけれども四年生まで在籍していました。ここの周辺や中原街道は鎌倉時代後期、渋谷重経という人の領地でした。
画像2 渋谷重経の父 渋谷定心、渋谷光重の次男から六男の一族は、1247年この綾瀬市城山公園こと早川城から、鹿児島県薩摩川内市またはさつま町へ下向しました。渋谷定心は入来院定心となり、渋谷重経はその次男です。
画像3 渋谷重経は父 定心や兄 明重と異なり、この綾瀬市にある報恩寺にあった法音寺の付近に住んでいました。
画像4 現在の報恩寺には渋谷氏に関するモノはありません。お寺の方に次回は伺ってみようと思います。
画像5 長後八幡宮です。東名綾瀬バス停🚏🚌近くの報恩寺から南下した、長後駅の北西です。渋谷重経の曾祖父 渋谷重国、祖父 渋谷高重が拠点にしていました。
画像6 長後八幡宮。渋谷重国は1160年 平治の乱で源義朝~佐殿 源頼朝の1180年の挙兵と従っていた。
画像7 塔之原殿墓。鹿児島県薩摩川内市の鹿児島県道333号沿いにあります。東郷氏が渋谷重経の分骨を受けたとも謂われる、渋谷重経の供養塔。
画像8 塔之原殿墓。渋谷重経は寺尾重経となって綾瀬市で没しているらしいけれども、明確に墓と名のつく遺構は薩摩川内市。
画像9 東郷渋谷氏の宝鏡院塔。残骸になっている😡⚡ 鹿児島県道333号沿いに南北に塔之原殿墓と近接。渋谷氏関連施設があったと推測しています。
画像10 樋脇城。渋谷重経から転じた寺尾氏の薩摩川内市に於ける拠点です。
画像11 薩摩川内市教育委員会設置の説明板。渋谷重経の次代の築城とあります。
画像12 樋脇城は諏訪神社が設置されている。
画像13 樋脇城の大手口を右におれた位置は、1699年に諏訪神社が設置された。画面左奥、西北が本曲輪だが行けず。
画像14 諏訪神社が設置されている西側。ともに馬場があり、画面左奥が本曲輪。耕作地となっているので私有地です。鎌倉時代後期は、この樋脇城を中心とする樋脇郷から、耕作物が川内川~八代海~瀬戸内海を航行、備前で美作の荷と合流して、大坂または安濃津から京都、鎌倉、渋谷荘(綾瀬市)への物流拠点です。

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