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テクノと私(3):「ケンイシイ」が好き

前回からの続き

思春期に聴いた音楽のなかで、人生を変える一曲…とまでは言わなくとも、価値観を形成するにあたって決定的な一撃となった一曲、というのがある方は少なくないと思います。私にとっては、それがケンイシイさんの "EXTRA"という曲でした。

この曲には有名なプロモーションビデオがあって、当時気鋭のアニメーターとして知られた森本晃司監督が手がける作品としても話題になりました。舞台は凶悪犯罪や邪悪なカルトが跋扈していると思しき、日本によく似た近未来風の電脳都市。そこで起こる様々な場面を短くカットアップして、強烈なケミカル色彩とドラッギーな演出で描いています。ミュージッククリップとはいえ、『ニンジャスレイヤー』にもかなり通じる世界観の、強烈な和風SFサイバーパンク作品ですので、未見の方はぜひ一度観てみてください。

※血や暴力などの刺激的な表現を含む内容です。

▽ ▽ ▽

きっかけは、高校1年のときに聴いていた電気グルーヴのラジオ番組「ドリルキングアワー」。ちなみに――そう、ここまで、私の同世代やそのちょい上くらいのテクノファンが必ず通ったであろう電気グルーヴの話題についてまったく書いていないのは、私自身は電気グルーヴの音楽を全然通って来ていないからです。

もちろん、のちに遡ってひと通りは聴いたわけですが、中高生のころの自分は本当に頑なで、いわゆるポップス全般を忌避していたために触れる機会がなかったのですね。なので、この深夜ラジオ番組のことも「卓球さんと瀧さんの面白いトークの合間にテクノが流れる番組」として聞いていました。

この番組で流れたのがケンイシイの"Circular Motion"。新宿南口のタイムズスクエアのオープン記念CMでタイアップとしても使われていたので、当時はTVでも流れていました。この曲を初めて聴いたときの驚きと言ったら…!

「この世でまるで聴いたことがない音」の嵐

なにしろ、それまでジュリアナ風のテクノばかり聴いていたもので、この何とも言えないガチャガチャ、キュンキュン、ピュンピュンする音は何だろう、どうやって出しているんだろう、と一瞬で心を掴まれてしまいました。テクノって、こんなにも自由でいいのか。

速攻でCD屋へ行き、この曲が収録されたシングルを買い、めちゃくちゃハマり、前年の1995年に発売されていたアルバム"Jerry Tones"も買いました。その1曲目に入っていたのが冒頭でPVを紹介した"EXTRA"。

のちに、リプレスされたアナログ盤も買った

この曲は本当にヤバいハマりかたをしてしまい、1日に何回も聴くというのを、比喩でも何でもなくほぼ1年近く毎日欠かさず続けていました。全然飽きなかった。PVのことは後から知ったので、ビジュアルイメ―ジが先行していたというわけでもなく…。

およそ地球上に存在するアコースティック楽器では鳴らないような奇妙な音が、オーケストラのように全方位から鳴っては消え、聴くたびに新鮮で、新しい発見があった。これは、シンセサイザーのことが一応ある程度は分かるようになった今聴いてもそう思います。

2003年さいたまスーパーアリーナでの「WIRE03」より
ライブバージョンの"EXTRA"

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ケンイシイ(Ken Ishii)さんは70年生まれ、当時26歳の日本人アーティスト。ベルギーのテクノレーベル「R&S」からまったくの無名でデビューし、最初にヨーロッパで話題になって、"逆輸入"の形で国内でもソニーなどで大々的にプロモーションされるようになりました。

初期作品で特徴的な点は、ダンスミュージックを基本にしつつも、何といっても固定概念に囚われない自由な発想の音作り。ローランドのシンセサイザーJD-800やサンプラーといった、いくつかの少ない機材だけでこれを実現しているのが真似できないところです。特に好きな当時の作品を挙げてみます(別名義のFlareの作品を含みます)。

Flare "Cycling Round" (1996)
冒頭3分間のイントロから気持ちよく軌道に乗せられる

Ken Ishii "Naiad" (1994)
暗い深海に潜っていくようなディープで内省的なトラック

Flare "Dir.r" (1997)
単体ではCD化されていない隠れた名曲

▽ ▽ ▽

この時代のテクノを語るうえで、ぜひ触れずにおれないのは「ソニーテクノ」について…なのですが、このへんまで浚っていくと本当にとりとめもないことになってしまうので、手短に。

1995年から99年ごろにかけて、ソニー・ミュージック・エンタテインメント(SME)が積極的に国内外のテクノ・ハウス作品をリリースしている時期がありました。当時日本ではドマイナーな海外レーベルのライセンス作品を、日本語の詳細な解説付きでカタログとして出していた。毎月毎月、何枚も!今思えばつくづく信じられないプロジェクトで、後にも先にも、これだけメインストリームのテクノ(言ってみれば「テクノの中のテクノ」)がメジャー音楽シーンに異常接近していた特異な時代はないと思います。町の普通の小さなCD屋さんでアンダーワールドやジェフ・ミルズやエイフェックス・ツインが買えるようになったのは、ソニーテクノのおかげですね。

ソニーテクノの重要な功績はもうひとつあって、黎明期にあったインターネットにおいて積極的に情報発信をしてくれたこと。こんな未開拓の荒野のような状況なだけに、ファンは常に情報に飢えていて、主に音楽雑誌に頼るしかなかった。そんな中いち早くWebサイトを開設して、毎月の特集ごとにどんどんコンテンツを提供していったわけです。

で、さらにすごいのは、その1996年から99年までのコンテンツが、今もまったく当時のまま健在というところ!

SONY TECHNO PAGE

これ、本当に素晴らしいことなんですよ。21年前のWebページとか残ってないでしょう、普通!しかも例えば98年4月の特集「初心者のためのテクノ講座」や、98年8月の特集「DJって何だ?」あたりは、(さすがに時代は感じるものの)まとめられている知識そのものは全然今でも通用する。

これは一体何なのかというと、企画を担当されていた方々の「自分たちがカッコイイと思うものを広めたい」という、編集者・キュレーター的情熱の賜物なのだと思います。

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そんなこんなで、1996年、高校1年の私はテクノという音楽に対して一気に開眼してしまった。というのは、今まで聴いていたジュリアナのようなテクノはほんの一部分であって、もっともっとオープンマインドかつフリーフォームな、未知の豊穣な電子音楽がの世界が広がっているのだと知ったのです。

その意味で、最初のテクノCDアルバムが"Jerry Tones"だとすれば、その年の冬に買ったエイフェックス・ツイン(Aphex Twin)の"Richard D. James Album"は自分にとって2枚目のアルバムでした。"Milkman"や"4"との出会いも電気のドリルキングアワーだった。

Aphex Twin "4" (1996)
なんだこれはー!

Aphex Twin "Milkman" (1996)
牧歌的風景と偏執的狂気が同居する音楽
後半でヴォーカルに対してもピッチLFOがかかっていくのが怖い

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年が明けて、97年の1月にパソコン用のDTMキット「ミュージくん」を買いました。これはローランドのMIDI音源SC-55のエントリーモデル「SC-55ST」とMIDIシーケンスソフトがセットになった製品。ここから、手探りで自分なりのテクノを作り始めるという長い道のりがスタートすることになるのですが…このことは、今回の連載のテーマとは直接は関係がないので省きます。

そしてまた一方で、ソニーテクノに紹介されるままに聴いていくと、あるいはダンスミュージック専門の音楽雑誌(「ele-king」「remix」「GROOVe」誌が3強だった)の記事を読み込んでいくと、どうしてもひとつの壁に突き当たる。というのは、テクノの新曲はそのほとんどがレコードでまずリリースされて、一部がCDでも出る。――つまり、「CD化されていない音源はレコードでしか手に入らない」ということでした。
じゃあやっぱ、レコードを買うしかないんじゃない?

テクノと私(4):「レコード」が好き につづきます)

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