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大阪・京都旅行:太陽の塔に会いに行く

前回(大阪・京都旅行:大阪街歩き|R-9|note)の続き。
6月25日、関西旅行3日目の大阪。

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万博記念公園・太陽の塔

阪急千里線から山田駅で大阪モノレールに乗り換えると、もうホームから遠目に奴の姿が見えていた。そのままモノレールで近づく…。

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ウワーッ!こっち見てる!

明確に顔があり、腕があり、存在を主張している。ただの塔じゃない、無機的な建築物とも違う、得体の知れない何か。

岡本太郎(1911-1996)が1970年の日本万国博覧会(大阪万博)のために設計した「太陽の塔」は、2018年3月までに耐震補強工事とリニューアルを済ませ、事前予約制の内部観覧を始めた。実に48年ぶりの一般公開。

大阪行きの一ヶ月前にたまたまこのことを思い出し、公式サイトの予約状況を見てみると、なんと既にほとんどの枠が埋まっている。そんなに人気とは知らなかった。枠は30分刻みになっていて、偶然月曜日の14:30の回だけが空いていたので、一応と思って押さえておいた(予約自体には料金は発生しない)。

そこへ来て、あの大阪府北部地震ですよ。まず万博公園が被害を受けて数日間の閉園、その後入園口を限定して営業を再開するも、大阪モノレールがなかなか復旧しない。予約日前日の24日になっても運休のままだった。調べてみると、公園へは実質的にモノレール以外でのアクセス手段がなく、こちらはキャリーカートも引いているし、その日のうちに京都の宿にチェックインする事情もあるので、最悪今回は諦めようかなと思っていた。

が、幸いにして、25日の始発からモノレールが運行再開。梅雨の真っ最中にして天気も快晴。もうこれは"呼ばれている"と思ったよね。

大型の荷物を駅のコインロッカーに預けて、「公園東口」から入園。万博跡地がそのまま自然公園として整備されているだけあって、当たり前だけど中はめちゃくちゃ広い。中央口からはあれだけ主張していた太陽の塔が一向に見えて来なくて不安になりながらも、案内の通りに進む。高い木が生い茂っていて遠くが見渡せない。暑い…。

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いた。

それは唐突に後ろ姿を現した。なんと禍々しい…!
これ、スケールがちょっとよくわからないと思うんだけど、右下のほうに傘を差しているのが人です。高さ70m

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でかい。

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なんだこれは。

ただただ見上げることしかできない。言葉を失う!「太陽の塔」がこういう形状でこういう作品だというのはよく知っていたつもりだったけど、目の前にニョキッと生えており明らかなエゴを放っているさまに圧倒されてしまう。きみはどこから来たんだ。

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正面足もとには真新しいパネルがあり、ここでしゃがむと間近から眺めることができる。体感気温30度オーバー、直射日光に晒されながら途方もない作品を眺めていると、次第に現実との境界が曖昧になってくる。果たして、こんなにも宗教性を感じさせる生物を象った巨大建築が、何の信仰の対象でもないというのは一体どういうことなのだ。どういう人々が、どういう時代が、どういうモチベーションでこんなプロジェクトを完成させたのだ…。

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そうこうしているうちに予約の14時半が迫ってきたので、裏側から地下に潜りこむようにして入口に向かう。入館方法は、事前に受信した予約完了メールからQRコードを表示して、それを受付で読み取ったうえで入館料を支払うという段取り。受け付け可能なのは予約時間の20分前からで、予約の枠自体は30分間、変更も当日販売もないというから、なかなか難易度が高い。

想定外だったのが、内部はカメラ撮影禁止ということ。薄暗い中を階段で登っていくツアーなので、安全面を考慮してのことなのだろう。ちょっと気合を入れて撮影するつもりだっただけに、残念だけれど仕方がない。

で、太陽の塔の"中身"、実際どうなってるのという話ですよ。岡本太郎さんが故人である以上、もはや直接的に作家本人の手によるものとは言えないし、整備されたといっても、いかにも観光向けに作られたフェイクであるなら、さほど見る価値はないのかもとは思っていました。敢えてB級スポットを見に行くというならまだしも…。わたしは一応、川崎の岡本太郎美術館も、南青山の岡本太郎記念館も行く程度には岡本作品のファンだし、がっかりしたくはない。

太陽の塔の内部に入った

しかし、そんな心配は無用だった。内部は原則的に1970年当時の可能な限り忠実な「復元」をコンセプトとしたもので、別の作家による、いわゆる文脈を無視したリニューアルの類では全然ない。

入館者を最初に出迎えるのは、岡本自身による手書きの構想スケッチ。滞在先のメキシコのホテルのメモ帳に走り書きされた、ぼんやりした有機的イメージが、だんだんと今の形に近づいていく。

続いて暗闇の中から現れるのが、横に長い全長11mの巨大な顔<地底の太陽>!世界各地から収集したという神像、石像に囲まれて、黄金色にギラギラ光っている。円形の中央部に2つの目が空いており、口はない。ウネウネした触手状のコロナが左右に大きく何本も生えている。

太陽の塔には前方に2つ、後方に1つ、太陽を象った「顔」がついているわけだけど、実はこのように地下にもう1つの顔がある。ただし、現在ここにあるのは専門家による検証を経て制作された忠実なレプリカで、本物は行方不明だという。48年経っているとはいえ、まずこんなアホみたいにでかいオブジェが消失したというのが意味分からなくない? もうこの時点で、なにか神話伝承めいている。

さてその先は、入館者たちの列の先頭に係員のお姉さんが立っていて、16人ごとに区切って順に内部に誘導している。順番が来ると、照明でライトアップされた形容しがたい巨大な吹き抜け空間に導かれる。
ここが太陽の塔の内部…。

なんかねえ、そうとしか言えない空間なんですよね。ちょうど先日公開された「ほぼ日」の記事で、内部の様子を写真つきで紹介していたので、具体的にどうなのというのはそちらを見てみてください。当日のわたしの上記ツイートが完全にノードラッグであったことがわかっていただけると思います(相当にハイであったことは認める)。

<生命の樹>

まず、大阪万博当時に太陽の塔がどういう目的で設計されたかというのを把握する必要がある。万博では、このあたりに地上30mの<大屋根>とよばれる高層フロアがあり、観客は地下階から太陽の塔の内部をエスカレーターで登って、<大屋根>の展示へ向かった。太陽の塔は、それ自体が作品であると同時に"導線"の役割を果たしていた。

巨大な円錐状の内部の壁面は、真っ赤な波状のブロックで埋め尽くされている。スタジオ同様の、音を反響させないための音響上の理由があるとのことだけども、一説には脳のひだを象っているらしいという説明だった。こんなふうに、「一体何のために」と問われるとハッキリ分からないものが多い。そもそも半世紀近くも経ってしまったうえ、岡本自身が作品の意図を逐一詳細に説明することをしていないためだ。

中央部からはニョキニョキと巨大な幹が、そして極彩色の枝が四方にてんでばらばらに生えていて、その上にさまざま生物の模型が置かれている。観客は階段を登りながら、下から順に原生類、両生類、爬虫類、哺乳類というように、生命の進化を辿っていくことになる。これが<生命の樹>

動植物模型は、万博後に樹から降ろされて、その後散逸したり壊れたりしてしまったとのことで、今回新たにそれぞれの当時の形が復元されている。なかにはブロントサウルスのように、重すぎて下ろすことができず、そのまま放置されていたものもあったそう。すべてがきれいに修復され彩色されているなかで、唯一ゴリラの模型だけが、封印された48年間の長さを表現するために、敢えて修理されずにボロボロのまま展示されている。頭部がごっそり欠けており、機械部が露出している。万博当時、模型の多くが機械仕掛けで、巨大な恐竜も腹部やアゴが動いていたのだ。

地上11階相当、約30mの最上部(この高さでもまだ塔全体の半分にも満たない)に到達すると、太陽の塔の"腕"にあたる部分を内側から見学することができる。同心円状の鉄骨が規則正しく奥まで続いていてクラクラする。このあたりの写真は、前述のほぼ日の記事にもありますね。

階段を降りながら、壁に展示された写真パネルで、太陽の塔ができるまで、そして今回の復元に至るまでの様子を見ることができた。こうして改めて俯瞰すると、まるきり狂気のプロジェクトだ。だって、こんなにも形容しがたい、何のためでもない「何か」…言ってしまえばひとりの作家の表現のために、国を挙げて莫大な予算が投入されて、短期間でこんなに巨大な建築ができて、それが50年経っても残っているって。今ではとても考えられない。

壁には岡本太郎の言葉として、こうも記されている。

芸術とは呪術である

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自然に還っていくようなパビリオン跡も趣があった。内部は万博記念館のようになっていて、膨大な資料やパビリオンの遺物と共に当時を偲ぶことができる。有料施設だけどもなかなか見応えあり。

この日は地震の影響で休館だったけれど、公園内には有名な国立民族学博物館(みんぱく)もあり、万博公園だけで一日過ごすことも全然できる。大阪市内からちょっと離れているのを差し引いても、行ってみる価値はある。

梅田

2時間以上を万博公園で過ごしたところで、DMでニンジャヘッズのJ0SHUAくんからのお誘い。梅田で昼から飲んでいるとのことで、千里からそのまま京都へ行く予定を変更して、一旦大阪に戻って合流することに。

ここで阪急京都線が人身事故で止まっているというトラブル。でもなんか、今ってGoogleマップと乗り換え案内さえあれば、土地勘なくても全然なんとかなる。いずれにしろ梅田まで戻ってしまえば、京都行きはどうとでもなりそうだった。

さて梅田。迷宮ぶりはうわさに聞いていたので、下手に動かず迎えに来てもらうことにして無事合流。日曜の即売会後も大阪に残っていた人たちと、関西が地元の人たちとで最終的に7人くらいのニンジャヘッズ集団になった。

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「蛸之徹」というセルフのたこ焼き店に連れていってもらい、そのあと駅地下の韓国料理屋をハシゴ。ふと気づくとホテルのチェックイン時間のリミットが近づいていたので、みなさんと分かれて京都へ。この日の夕飯は特に予定がなく、適当にひとりで済ませるつもりだったので、思いがけず楽しく過ごせた。

21時ごろ、京都「サクラテラス ザ・アトリエ」到着。この日23,269歩。よく歩いた。

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