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うまれた日に

4月5日は誕生日でした。何歳になったかは敢えて書かないんですけど、何年生まれとかあちこちのプロフィールにも書いているのであれですね。いよいよアラフォーであることは認めざるをえなくなってきた感じです。

で、この歳になると誕生日って単純にやったぜうれしいなっていうよりも、また一年ナントカ倒したなっていう実感と、あともう感謝がひたすら湧いてきます。自然に。なんだろう、人生というバーがあったとして、減っていく残りのほうを意識するみたいなアンニュイな気分もないではないけれど(たぶん人並みにはある)、だからこそ日常の、普通のことに対するありがたさを感じる。ひしひしと。

時が経つのが早いと言いたくない

誕生日が来ると「一年経つの早いね」みたいなことも思うけど、あんまり言いたくないんですよね。なんかもう、いかにも年寄りくさいし、言ってもいいことない。過去を振り返るなら、ウワーッ長かったー! あれもこれも色々やった! みたいなことを多少強がりでも言っていきたいと思います。そうじゃないと、あんまり儚いじゃないですか。

でもたまには言っちゃう

とはいえこう、若作りをしたいとか若い人に合わせたいわけではないのでね…。「老化一切感じたことない」とかって言いたいわけじゃない。それなりに年齢デバフを実感する局面もあれば、さあ寝るかってなってお布団の中であれこれ考えこんでしまうこともあるわけですよ。外見相応のパーソナリティでありたいとは思うけれど、急に年寄りぶるのも、無理に若ぶるのも違うよね。

その点で、先日読んだ打首獄門同好会(最近知った)のjunkoさんのインタビューはたいへんな示唆に富んでいて、見習いたいと思った。

要するに年齢と関係ない「好きな自分」「なりたい自分」にアイデンティティを置いてしまえば(あと多くの人が有難がる社会性などを遠ーくに放り投げてしまえば)、精神が肉体年齢と比べてどうとか悩む意味はなくなるのだ。極論のようでいて、取り繕いのアンチエイジングだとかよりもずっと自然なことのように感じる。

歳を重ねる楽しさ

しかし、いいな、悪くないなと思うのは、生きている限りみんな平等に歳をとるという点ですね。高校生のころに憧れていたヒーローも50代とか還暦とかなっちゃうし、逆に若くてキラッキラしてた10代20代の音楽仲間もアラサーになっちゃうし。これに関してはほんと、時間という無慈悲な概念がかえって慈悲深く感じるほどに平等だ。

そして同世代、わたしよりちょっと上くらいの世代の人たちが、それぞれに好きなことを変わらずバリバリやっていて、楽しそうにしていると、勇気が湧いてきます。創造的に遊んでいる大人の多いこと。わたしも少し下くらいの年代の人たちにとって常にそうでありたいと思う。

もちろん、結婚して家庭を持ったりして、家も買ったりして、子供もこんな大きくなりましたとかってやっている昔の仲間たちもすごい。素晴らしいと思う。でもわたしはそれを選ばなかったし、それだけが答えでないことももう知っているから、そこに迷いはないのだな。

歳を重ねる楽しさという点でもうひとつ思うのは、好きなものを減らさなくてよかったなということ。たとえば、DJ始めたのだって自分はちょっと遅いかなと思っていたくらいだけど、好きで続けているってだけで、歴にして10何年なわけですよ。続けていたら続けていた年月分の蓄積はできるわけで、止めていたらその時点で止まっていたのだなと思うと…なんか、変に「自分のリミットはここまで」って線を引かずに、好きなことはできるだけいっぱい持っていたほうがいいなと思う。荷物になるわけじゃないしね。

30代をふりかえって

30歳になったころに「30代は大人の10代」というようなのを読んで、そういうもんかと思ったけれど、振り返れば確かにそうだったなと思う。30過ぎてようやくそれまでに出会った人や経験したこと、いろんなことが繋がり始めて、世の中の仕組みみたいなものが漠然とわかるようになり、そして自分で自分の人生がコントロールできるようになってきて…みたいな。10代で経験するような自己認識の変化というダイナミズムが、もう一段上のレイヤーで起こる感じはした。

それを踏まえて、この先はもうちょっとうまくやれそうな感じもするし、逆に自分的にはできてこんなもんかという、諦めではないけれど、自分の器を客観的に見始めているみたいなところもある。

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そんなわけで、なにが言いたいかというと、これからも仲良くしてねってことです。たかだか誕生日ってだけで今日一日たくさんメッセージを頂いたりなんかして、身に余ることだと感じています。どうもありがとうございます。

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